日本画家・福王寺法林の作品と買取金額について説明
日本画家・福王寺法林の作品と買取金額について説明
はじめに
文化勲章を受章した日本画家・福王寺法林は今から8年前の2012年の2月21日に逝去しました。赤富士やヒマラヤを描いた作品が有名で自然の雄大さや荘厳さを日本画の技法を駆使して表現していました。
息子は有名な日本画家・福王寺一彦です。画家一家は数多くいますが親子そろって著名な作家は上村三代(松園・松篁・淳之)か織田家(織田広喜・織田広比古)ぐらいで非常に例が少ないです。
福王寺法林の買取相場・高価買取のポイント・略歴を順に見ていきましょう。
福王寺法林の買取金額や高価買取のポイント
買取のポイントは「赤富士」と「ヒマラヤ山脈」です。
日本画の概念がフェノロサの尽力によって生まれた当初は、日本画というジャンルを成立させるルールが幾つか決まっていました。その中の1つに「日本らしいものを描く」というルールがありました。現代日本画家は当初のルールを大幅に広げた概念で自由に表現している作品が多くなっています。その中で福王寺法林は日本独自の富士だけではなくヒマラヤ山脈も描き日本画の幅を広げた功績があると言えます。
福王寺法林は現場主義・写実主義を徹底してヒマラヤ山脈を描く際もヘリなどを使用して、高山病と闘いながらスケッチをしていたそうです。リアルで臨場感がある自然風景を描くには、一瞬を切り取った写真を使うよりも現場で時間をかけながら構図を決定する方が優れています。男性的で荒々しタッチが命を削りながら描く愚直さと相性が良く、日本を代表する山岳作家です。
買取価格は?
このブログをご覧になっている方が最も気になるところだと思います。ズバリ、一時期に比べると非常に厳しい買取価格です。他の絵画・美術品を専門におこなっている買取業者も同様の見解ではないかと思います。
福王寺法林の略歴
1920年に山形県で生まれました。6歳の時に不慮の事故で左目を失明します。1929年から日本画を学び、その後画家を志して上京します。1953年に東京都三鷹市に転居し本格的に絵画制作に取り組みます。54歳(1964年)の時に初めてネパール・ヒマラヤに取材旅行に出かけて、ヒマラヤを描く原点で終生のテーマとなりました。
2012年の2月21日、享年91歳でした。
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