東京で近藤浩一路の売却なら

2020/03/19 ブログ
近藤浩一路

はじめに


日本画家・近藤浩一路は今から136年前の1884年3月20日に山梨県で生まれました。

水墨で描かれた作品を数多く残し、伝統的な表現様式から当時の風俗や情景を想像できます。当初は洋画を学んでいましたので西洋的な延期法などの技術も見受けられ、西洋と東洋を融合した作家です。1962年に逝去して50年以上経過しましたがマーケットにも登場してくる作家です。ただ、50年という歳月で市場価格は非常に厳しくなっています。

近年の評価と略歴につてい紹介させていただきます。

 

近藤浩一路の買取金額について


水墨をメインに作品を残しており、色の濃淡のみで細部まで表現できる技術力と卓越したデザイン力は素晴らしいです。

しかしながら、良質な作品が永久に市場価値があるとは限らず、近年の流通価格は低いと言わざるを得ないです。

 

作品は額ではなく軸に仕立てているものも多く、一般的なサイズで5万円以上の金額を付けるのは難しいです。

掛軸ですと共箱というサインとタイトルが書かれた木箱が無いと大きく評価が下がり、1万円を切ってしまうケースもあります。

売却を検討されていても、「金額が安いなら持っておく」と思われる方も多いですが、将来飾る機会が来るかどうかで考えるのも良いかと思います。金額が付く以上は欲しい方がどこかにいるのは事実ですので、自分より楽しんでもらえる人へ橋渡しするのも良いのではないでしょうか。

 

近藤浩一路の略歴


1884年に山梨県に生れて、東京美術学校洋画科(現在の東京芸術大学)を卒業しました。卒業後は読売新聞社に入社し、一時漫画を描いて知られたそうです。日本画に転じて日本美術院同人となりました。1922年にフランスに留学し、西洋絵画を見学したのをきっかけで水墨画の世界に入っていきました。1923年の第10回院展に発表した「鵜飼六題」は、彼が公表した最初の水墨画と言われ、この作品により制作の方向を決定したといわれています。翌年に京都へ移住しました。1931年に再渡欧し、アンドレ、マルロオ等の交友がはじまりました。またマルロオの斡旋によって翌年にはN・R・F社の画廊で第2回個展を開き、多くの反響を呼びました。1935年の出品を最後に日本美術院を脱退し、京都から東京に帰り、その後は専ら個展によって作品を発表しました。しかし、1959年に日展会員になり、以後活躍しました。享年78。

 

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