陶芸家・荒川豊蔵の売却は美術品買取専門店「獏」へお任せ下さい

2020/03/21 ブログ
荒川豊蔵

はじめに


今から126年前の1894年3月21日に陶芸家・荒川豊蔵が生まれました。志野焼の人間国宝で文化勲章も受賞した日本を代表する陶芸家です。歴代の陶芸家でも十傑に入る陶芸家で、現在でも需要は高いです。バブル景気の時と比べると経済状況が異なりますので、流通価格は下がっていますが、現在の相場では非常に評価されている作家です。

美術品買取専門店の立場から荒川豊蔵の評価を紹介させていただきます。

 

荒川豊蔵の買取金額について


荒川豊蔵は志野、黄瀬戸、瀬戸黒などで茶碗、花入、盃などの作品を制作していました。

数ある作品の中で志野か瀬戸黒で作られた茶碗が良いとされています。現在の評価では100万円~の買取価格となり、作品によっては150万~200万円前後の金額が付くこともあります。

作品の年代や付属品の有無などで判断させていただきます。

 

2000年前後の相場と比べても良質な作品は大きな相場変動はありませんが、二番手、三番手の作品は評価が下がっている状況です。

処分・売却をお考えの際は美術品買取専門店獏へご相談ください。

 

荒川豊蔵の略歴


1894年に岐阜県土岐郡で生まれました。小学校卒業後に多治見や神戸の貿易商店に勤めましたが、1909年に京都市丸太町三本木の塾に入り、諸学を学びました。転機となったのは1913年に神戸で陶磁器の販売や行商に従事し始めたことです。ここから陶器の世界に入り、1915年に名古屋の愛岐商会に入社しました。1924年に東山窯に寄宿した魯山人と知り合いました。この出会いが豊蔵の人生を大きく変えました。

この頃から毎月開催された古陶器研究会に出席し、叔父清右衛門の案内で岐阜県可児郡久々利村大平の古窯跡を発掘しました。1927年に魯山人が北鎌倉に築窯していた星ケ岡窯に招かれ、同地に移住します。翌年には魯山人らと朝鮮半島南部の古窯跡を調査し、志野・織部が瀬戸で焼かれたという従来の定説に疑問を抱き、魯山人と美濃の大平、大萱の古窯跡を調査しました。その結果、志野や織部、黄瀬戸、瀬戸黒などの桃山茶陶が美濃で焼かれたことを確信しました。

1932年に大萱の牟田洞窯近くに陶房を作り始め、翌年には魯山人の星ケ岡窯を正式にやめて大萱に桃山時代そのままの古式の窯を築きました。作陶を続けた結果、1955年に新たに設定された重要無形文化財技術指定制度の第一次指定により、志野と瀬戸黒の技術保持者として人間国宝に指定されました。1972年頃より「斗出庵」の号を多く用いるようになりました。1985年に逝去しました。享年91。