ピーター・ハリーの代表的な芸術作品を紹介|シミュレーショニズムやネオ・ジオの世界観も詳しく解説
ピーター・ハリーの代表的な芸術作品を紹介|シミュレーショニズムやネオ・ジオの世界観も詳しく解説
ピーター・ハリーは1953年にニューヨークで生まれた現代画家です。フランスのポスト構造主義の哲学者であるミシェル・フーコーの名著「監獄の誕生」の思想から牢獄と思しき幾何学体を用いた哲学的・社会的批評となる作品を制作しました。彼のスタイルは「ネオ・ジオ」と名付けられ、ポストモダニズムの潮流のひとつと言われています。
また、インターネットによるコミュニケーションが活発になった1990年代にはインターネットアートやデジタルアートにも着手しました。インターネットがソーシャルな場となった今、「見ること/見られること」を本質的に問うピーター・ハリーの作品が注目されています。
ピーター・ハリーの略歴
ピーター・ハリーは1953年にニューヨークで生まれた現代画家です。ポスト構造主義の思想のもとで幾何学体をモチーフとした作品を制作しています。また、アーティストとしての活動だけでなく大学教授を務めるほか、アーティストや文化人にフォーカスしたインタビューを行う雑誌を刊行するなど、様々な活躍をみせています。
1971~1978年:数々の名門大学で学び美術・絵画の学位を取得
ピーター・ハリーは1953年にニューヨークで生まれました。彼はマサチューセッツ州のアンドーバーにあるフィリップス・アカデミー在学中に、ドイツ出身のアーティストであるヨゼフ・アルバースの著書に感銘を受け、同アカデミー卒業後の1971年よりイェール大学やニューオリンズ大学で美術を学びました。
そして1978年には彼のキャリアで初めての個展を、ニューオリンズのコンテンポラリーアートセンターにて開催しました。
1986年:初の大規模な個展がインターナショナル・ウィズ・モニュメントで開催
ピーター・ハリーは1978年にMFA(芸術修士)を取得し、1980年までニューオリンズに住んでいました。その後1980年にニューヨークに戻り、マンハッタンに移住します。そこではロックバンドのトーキング・ヘッズのフロントマンが住んでおり、彼をはじめとしたニューウェーブカルチャーにハリーは影響を受けました。
1986年にはピーター・ハリー初の大規模な個展がニューヨークのインターナショナル・ウィズ・モニュメントにて開催されました。1980年代後半には当時のアメリカやヨーロッパの主要ギャラリーを中心に彼の個展が開催されました。
1990年代:各施設向けのサイトスペシフィックなインスタレーションを制作
1990年代はデジタル革命によってコミュニケーション手段がめざましく変化した時代でした。その影響を受けたピーター・ハリーは制作スタイルを変え、デジタルプリンティングアートやインターネットアートに着手しました。
また、ピーター・ハリーは同時期にそのようなアートとは別に美術館やギャラリー、パブリックスペース向けのサイトスペシフィックなインスタレーションを制作しました。それらのインスタレーションアートは建築物との関係を重視したものとなっています。彼の初のインスタレーション作品は、テキサス州のダラス美術館で制作されました。
2002~2011年:イェール大学芸術学部で絵画・版画の大学院研究のディレクターを務める
2002年から2011年までのピーター・ハリーは、イェール大学芸術学部にて絵画研究のディレクターを務めました。また、1996年から2005年までのおよそ10年間、「index magazine」と呼ばれる芸術や文化を牽引する人物へのインタビュー雑誌をアーティストのボブ・ニッカスとともに出版していました。
この時代のピーター・ハリーは大学院研究のディレクターを務めるほか、作品制作や雑誌出版など幅広い分野で活動していました。
2023年現在:アメリカのニューヨークを拠点に活動中
現在のピーター・ハリーはニューヨークを拠点に活動しています。2011年に開催された個展にて、彼はこれからのソーシャルコミュニケーションについて「自分自身が活動していたこれまでの30年間で、ソーシャルな場というものの本質はめざましく変化した。自分が活動を始めた1980年代ではテクノロジーを通したコミュニケーションは電話やファックスなど限られたものだったが、ほんの短い間でインターネットやGoogle、Facebookといった一直線のコミュニケーションの時代が到来した」と述べています。
時代の最先端となるカルチャーに影響された作品を制作するほか、自身が出版した雑誌では様々なアーティストと関わっていたであろうピーター・ハリーが、今後どのようなスタイルで活動するのか、注目したいです。
ピーター・ハリーの作品の世界観
ピーター・ハリーは、彼の作品のモチーフである「導管」「監房」「牢獄」といったオブジェクトをカラフルに装飾したり、時につなげたり重ねたりすることで本来重苦しいイメージであるものを幾何学的にユーモアたっぷりに描いています。しかし、それはただのユーモアでなく、背景には1960年代から1970年代のアートムーヴメントであったポスト構造主義に根ざした思想があります。
さらにシミュレーショニズムや、ハリー独自が考案した「ネオ・ジオ」といったアートムーヴメントの流れで制作され、単なる幾何学体ではなく哲学的、社会的な批評を含んだ作品です。
ハリーが「ネオ・ジオ」についての思想を発表する際に、哲学書であるミシェル・フーコー「監獄の誕生」を参考にしました。この書籍の内容が作品にも反映され、「見る/見られる」といった関係性が常に問われる作品となっています。
ポスト構造主義
ポスト構造主義とは、端的に言えばこれまでのモダンアートを否定するモダンアートムーヴメントで、1960年代から1970年代の潮流でした。同時代にフランスのミシェル・フーコーやジャック・デリダをはじめとしたユーラシア大陸の哲学者や批評家が活躍しました。それに伴い、アート作品は哲学的な考察や社会を批評したようなスタイルが主流となりました。これまでのアートとは異なりコンセプチュアルな点が特徴ですが、他にはブリコラージュやレディメイド、簡素化されたミニマリズム、パフォーマンス・アートが代表的なものとして挙げられます。
シミュレーショニズム
シミュレーショニズムとは、広告やメディアを通して知られているヴィジュアルや、誰もが知っているイメージや芸術作品を、作品に取り入れて大胆に変化させるアートムーヴメントです。シミュレーショニズムは1980年代のニューヨークにて流行し、その背景として大量生産時代に発展した複製技術や情報化が進んだことが挙げられます。サンプリングやカットアップ、リミックスが代表的な技法で、映画を彷彿させる場面で自分自身を撮影したシンディ・シャーマンやマールボロのポスターを複製したリチャード・プリンスらがシミュレーショニズムを牽引するアーティストです。
ネオ・ジオ
ネオ・ジオとは「ネオ・ジオメトリック・コンセプチュアリズム」の略称で、1980年代後半より流行したアートムーヴメントです。幾何形体とテクノロジカルなイメージが特徴的で、1984年にピーター・ハリーが雑誌に発表した論文「幾何学における危機」においてネオ・ジオについての思想が記載されています。
1960年代にも幾何形体を使ったアートが数多く制作されましたが、ネオ・ジオにおける幾何形体は社会的なメタファーとなっています。そして、ネオ・ジオの作品群では、産業主義や消費主義への批判やテクノロジーの進化への疑念といったポストモダニズム的要素が表現されています。
1984年にニューヨークで開催された、ピーター・ハリー、アシュリー・ビッカートン、ジェフ・クーンズ、メイヤー・バイスマンらの展覧会によって「ネオ・ジオ」といった言葉が初めて使われました。
【年代別】ピーター・ハリーの代表作品を解説
ここではピーター・ハリーの代表作品について、年代ごとに作品を分類しながら解説します。特に現代アートではムーヴメントごとのサイクルが早く、それに伴って各時代により彼の表現が変遷していることがうかがえます。
1980年代~1990年代
ここでは、ピーター・ハリーが1980年代から1990年代に手がけた3作品を紹介します。
・「Prison with Underground Conduit」(1985年)
タイトルが示すように地下の牢獄という意味となっていますが、地下といってもキャンバスが橙色と黄色といった明るい色彩であることが特徴です。本来ならば地下は見えない場所ですが、あえて明るさを表現することによって「見る」ことの意味を考えさせられる作品です。
・「Prison 28」(1995年)
鮮やかな色彩の作品を描くピーター・ハリー作品としては珍しく、モノクロの色調で描かれた作品です。モノクロ作品といえど、白と黒のあわいのような色彩を用いており、無機質というよりは有機的な仕上がりとなっています。
・「Cruel Intentions」(1999年)
ピーター・ハリー作品のモチーフである「監房」のようなオブジェクトがカラフルに重ね合わせながら描かれています。しかし、もしかするとオブジェクト同士は重なっているのではなく、導管で繋がっているとも考えられます。作品を観る者に対して「そもそもオブジェクトとは何か?」といった疑問を抱かせるコンセプチュアルな作品となっています。
2000年代~2010年代
ここでは、ピーター・ハリーが2000年代から2010年代に手がけた3作品を紹介します。
・「Blue prison / Red Prison」(2005年)
ピーター・ハリー作品に多く用いられる「Prison(監獄)」のバリエーションが豊富に描かれている作品です。赤と青の監獄があり、さらに鉄柵の向きがそれぞれで異なります。監獄と聞くと重苦しいイメージですが、彼の手にかかると不思議にもチャーミングな雰囲気へと変化することがうかがえる作品です。
・「Explosion #1」(2015年)
サイケデリックバンドのCDジャケットのような鮮やかな迷彩柄の作品となっています。ピーター・ハリーといえば幾何学模様をモチーフとしていることで有名ですが、彼の作品としては珍しいものとなっています。
・「Action Point」(2018年)
3つ並んだ監獄の間に導管と思しきものが描かれています。「Action Point」というタイトルからも、導管は監獄から抜け出すためのアクションを行える道具といった意味があるのでしょうか。監獄という「意識せずとも誰かに見られてしまうもの」を提示することによって「見る/見られる」の関係性を問う作品です。
2020年代
ここでは、ピーター・ハリーが2020年代に手がけた3作品を紹介します。
・「Plus One」(2020年)
この作品では、蛍光色の牢獄のオブジェが連なっています。まるで集合住宅のような様相で、初めて彼の作品を観る者にとっては牢獄とは思えないでしょう。
・「Out of Shadows」(2020年)
タイトルにもあるシャドウ(=影)を表現しているのか、寒色系の牢獄のオブジェが目立ちます。暖色と寒色のオブジェのコントラストが映えている作品となっています。
・「CODA」(2021年)
様々な色の四角形のオブジェが並び、大きな四角形を成しています。「CODA(コーダ)」とは音楽用語で「楽曲の締めくくり」を意味します。2020年から2021年にかけて新型コロナウイルス感染症により世界中がロックダウンを余儀なくされました。そのような閉塞した世界が終わり、これまでのような円環した世界へと戻ることを意図した作品といえそうです。
ピーター・ハリーに関する豆知識(トリビア)
ピーター・ハリーは大学教授としても活躍しており数々の論文を執筆しています。また、アーティストや文化人にインタビューを試みた雑誌を出版するなど、アーティストという側面だけでなく物書きとしても才能を発揮し、創造性と知性を併せ持った人物であることがわかります。
1984年に論文「幾何学における危機」がアートフォーラム誌に掲載
1984年にピーター・ハリーは、アメリカの現代美術誌「アートフォーラム」に論文「幾何学における危機」を発表しました。その論文にはアートムーヴメントの「ネオ・ジオ」のもととなる思想が記載されています。
のちに呼称される「ネオ・ジオ」の作品群で用いられる幾何学体は、フランスの思想家ミシェル・フーコーが同時代に発表した書籍「監獄の誕生」やジャン・ボードリヤールのシミュラクルへの考察がベースとなっています。
1996年「index magazine」を創刊し日本版も発刊
1996年にピーター・ハリーは、アーティストのボブ・ニッカスとともに「index magazine」を創刊しました。
同誌ではアーティストや文化人へのインタビューが掲載され、カメラマンとしてユルゲン・テラーやヴォルフガング・ティルマンス、テリー・リチャードソンが起用されました。また、ビョークやブライアン・イーノ、マーク・ジェイコブスといった1990年代を代表するインディーズアーティストを中心に取材した雑誌で、日本版も刊行されました。
ピーター・ハリーの作品は獏にて強化買取中
ピーター・ハリーはポストモダンアートを起源とした新しいアートムーヴメント「ネオ・ジオ」の第一人者であり、現在もなおアーティストとして活動しています。様々な芸術運動が活発になった1970年代から1980年代にかけて、彼独自のスタイルである幾何学体をモチーフとした作品を数多く手がけました。また、アーティストとしてのみならず、大学教授や雑誌出版にも携わり、創造性と知性を併せ持った人物です。
当店では現在ピーター・ハリー作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、絵画だけでなく、骨董や茶道具など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。