抽象表現主義の特徴をわかりやすく解説|代表する海外・日本の作家も紹介
抽象表現主義の特徴をわかりやすく解説|代表する海外・日本の作家も紹介
抽象表現主義は完成された作品を眺めるだけではなく、製作工程をも重要視するというユニークな一面もあります。
アメリカ生まれのアートのパワーを世界に知らしめた抽象表現主義について、詳しくご紹介いたします。
抽象表現主義とは?特徴を解説
画像:flickr photo by SydBarrettDragon
抽象表現主義は、歴史においてはじめてのアメリカ独自の芸術です。
アメリカの芸術といえば、明るく屈託のないポップアートが頭に浮かびますが、抽象表現主義はそれに先立ってアメリカで誕生した芸術です。
抽象表現主義とはどのようなものだったのでしょうか。
わかりやすく説明いたします。
ニューヨークを中心に広まり、アメリカが初めて世界に影響を及ぼした芸術様式
抽象表現主義は、2つの要素から構成されています。
表現主義
日本人にも人気の印象主義(いわゆる印象派)とは対極をなす芸術です。
外界の印象ではなく、内面を表出することから表現主義と名付けられました。
抽象芸術
20世紀初頭に始まった、写実を目的としない芸術です。表現する対象の造形要素の可能性を追求するものでした。(※4)
1940年代後半から1960年代前半にかけてのアメリカで、この2つを併せ持つ芸術が生まれ、興隆したものが抽象表現主義です。
抽象的な表現を支柱に、感情や内面、精神性を表現していることが、抽象表現主義の特徴です。
主にニューヨークを中心に展開した抽象表現主義は、アメリカが初めて世界に影響を及ぼした芸術とされています。
巨大なキャンバスに具体的なモチーフを持つことなく感情を描き表現したスタイル
それでは、具体的に抽象表現芸術とはどのように描かれているのでしょうか。
抽象表現芸術の絵画は、巨大なキャンパスの全体が絵の具によって覆われています。無焦点、あるいは多焦点を特徴としており、具体的なモチーフは用いず、感情や内面を表現しています。
そこには主役も脇役もいません。
水のように絵の具を撒いたと表現される技法、50年代に入って登場した白黒の二大特徴を際立たせる手法などがよく知られていて、いずれもダイナミックな画風が印象的です。
絵画技法として「アクション・ペインティング」と「カラーフィールド・ペインティング」の2つの傾向が見られる
ポロック、ニューマン、ロスコ、スティールなど、抽象表現主義の芸術家において大家と呼ばれる人は少なくありません。
大別すると抽象表現主義は、「アクション・ペインティング」と「カラーフィールド・ペインティング」という2つのスタイルに分けることができます。
この2つの様式の特徴を比較してみましょう。
アクション・ペインティング | カラーフィールド・ペインティング | |
日本語訳 | 行為の絵画 | 色彩の場の絵画 |
言葉の誕生年(文献) | 1952年『アート・ニュース』 | 1956年『アメリカ型の絵画』 |
特徴 | 完成作品だけではなく、描く行為を重視する | 形と色の造形的な関係はなくフィールドの概念を重視する |
代表的なアーティスト |
ジャクソン・ポラック ウィレム・デ・クーニング |
バーネットニューマン マーク・ロスコ クリフォード・スティール |
アクション・ペインティングの代表格ポロックは、画面の中に入り込み、絵画を作成していくパフォーマンスで有名でした。完成していく作業工程を目的達成への過程ではなく、素材と格闘する競技場と位置付けていたことで知られています。
いっぽうカラーフィールド・ペインティングは、物理学やゲシュタルト心理学の概念が投影されているといわれています。色の彩度や明度による表現によって、内省的な感情を描いていることが特色です。
また、ポロックをはじめとする躍動的な作品を「熱い抽象」と呼ぶのに対し、幾何学的な様式を用いた作品を「冷たい抽象」と分けることもあります。
抽象表現主義の誕生した背景や歴史
画像:Adobe Stock
文字通り抽象的で、理解が難しいとされる抽象表現主義ですが、この様式が誕生した背景を知れば、理解度も深まるかもしれません。
第2次世界大戦後、経済的にも政略的にも大きな力を得たアメリカには、世界中からさまざまな芸術家や文化が到来します。
その時代に誕生した抽象表現主義の背景や歴史について、ご紹介いたします。
1945〜1946年:「ザ・ニューヨーカー」誌が抽象表現主義という言葉を初めて用いたことが始まり
抽象表現主義が花開こうとしていた1940年代後半のアメリカは、どのような社会だったのでしょうか。
第2次世界大戦の勃発によって、かつてないほどの数のヨーロッパ人が、ニューヨークに移り住んできたといわれています。
ヨーロッパのインテリ層やアーティストもニューヨークに集い、それによってニューヨークはカルチャーの中心となったのです。
抽象表現主義という言葉は、1929年にアルフレッド・バー2世がウェルスリー大学の講義において使用したのが最初といわれています。
抽象表現主義が活字となったのは、1946年のことでした。
雑誌『ザ・ニューヨーカー』において、ロバート・コーツがハンス・ホフマンの展覧会に転用し、抽象表現主義はアメリカ独自の芸術表現として定着したのです。
1950年代:クレメント・グリーンバーグによる理論的な用語もあり、その後のアメリカ美術の地位を築く土台となる
ニューヨークを席巻した抽象表現主義ですが、世界的に知られていく過程には、美術批評家クレメント・グリーンバーグの存在を無視できません。
グリーンバーグは『パーティザン・レヴュー』や『ネイション』の美術批評を担当していました。それまで文学的に書かれることが多かった芸術批評は、グリーンバーグによって芸術の内在性を主役とする表現へと変身を遂げます。
ポロックやモーリス・ルイスなど、グリーンバーグによって見出された抽象表現主義の芸術家は少なくありません。
第2次世界大戦後における最大の美術批評家と呼ばれたグリーンバーグは、抽象表現主義を高く評価していました。
彼によって、アメリカ美術は国際的な評価を確固たるものにしたのです。
1960年代:徐々に影響力を失い始め、後に抽象表現主義やポップ・アートを批判的に継承した形でミニマリズムが生まれた
1960年代初めまで続いた抽象表現主義は、その他のアートにもさまざまな影響を与えました。
たとえば1960年代前半に生まれて一世を風靡することになるポップアートは、抽象表現主義とは対極にある、あっけらかんとした明るさと大衆性を特徴としています。
また、抽象表現主義やポップアートの劇場性や、突出した個性を批判する形で誕生したのが、ミニマリズムでした。
ミニマリズムは「最小限の芸術」という名前通り、あらゆる要素を極限まで排除して価値観を与えた視覚芸術です。1965年に哲学者リチャード・ウォルハイムによって発表された論文から、ミニマルアートという言葉でも知られるようになりました。
1970年代に生まれた新表現主義から現在に至るまで、抽象表現主義はさまざまな形でアートに影響を与えているのです。
世界で著名な抽象表現主義のアーティストと作品を紹介
画像:flickr photo by SydBarrettDragon
抽象表現主義を体現したアーティストは、数多く存在します。
そして著名な芸術家たちの作風は、それぞれかなり個性的です。
下記では、抽象表現主義を代表するアーティストの特徴や作品について紹介していきます。
ジャクソン・ポロック
抽象表現主義の第一人者ともいえるのが、ジャクソン・ポロックです。
1912年生まれのポロックはアート・スチューデンツ・リーグに学び、キャリア初期にはピカソなどのシュルレアリスムの影響を受けた作品を残しています。
1943年、グッゲンハイム〈今世紀美術画廊Art of This Century Gallery〉において開催した個展から、ポロックの独自性が突出し始めたといわれています。
ポロックは1940年代半ばから、画布を床に敷いて缶の中の絵の具を上から垂らすドリッピング技法を用いるようになりました。彼のこのアクション・ペインティングは、抽象表現主義のシンボルともいえるかもしれません。
アメリカの土着的な要素も内包しているポロックの作品は、初期から力強く抒情性があり、アメリカの絵画の先駆となりました。
代表作には《秋のリズム:第30番》(1950)、《ラヴェンダー・ミスト:第1番》(1950)などがあげられます。
ウィレム・デ・クーニング
アーティストらしい波乱万丈の生涯を送った抽象表現主義の画家が、ウィレム・デ・クーニングです。
デ・クーニングは1904年、オランダに生まれました。ロッテルダム・アカデミーで学びながら商業デザインに従事し、1926年にアメリカに密航します。
1930年代に入ると、ピカソを代表とするシュルレアリスムの影響から半具象的な作品を発表するようになりました。
1940年代後半、ポロックの影響を受けてそのタッチは非常に激しいものとなり、代表作《発掘》が生まれています。
1950年代になると、奔放な女性たちをデフォルメして描いた《女》シリーズに着手し話題になりました。その中から生まれた《女性Ⅰ》(1952)は代表作のひとつです。
デ・クーニングは剛直と円熟の絶妙なバランスを持ち、晩年には枯淡の趣を漂わせた作品も多く見られます。
最晩年まで旺盛な創作欲は衰えず、数多くの作品を残しました。
バーネット・ニューマン
抽象表現主義の中でも、カラーフィールド・ペインティングの筆頭に挙げられるのがバーネット・ニューマンです。
ニューマンは1905年にニューヨークに生まれ、アート・スチューデンツ・リーグ、さらにニューヨーク市立大学で芸術を学びました。画家としてだけではなく、彫刻家としても活躍した過去を持ちます。
1948年、ロスコとともに「芸術家の主題」という名の学校を設立したことでも有名です。
他の抽象具現主義の芸術家と同様に、ニューマンも初期にはシュルレアリスムや抽象主義の影響を受けた作品を描いていました。1950年以降、作風はそれらを否定する方向へと変化します。
ニューマンのカラーフィールド・ペインティングは、過去の造形への決別となる金字塔となりました。
ニューマンの作品には、見る人を大きな画面で包み込むような特徴があります。平面的な空間に込められた彼の哲学は、カラーフィールド・ペインティングの真髄ともいえます。
ニューマンの代表作には、《崇高にして英雄的な人》(1950-51)、《壊れたオベリスク》(1963-67)があります。
マーク・ロスコ
ニューマンとともに抽象表現主義のカラーフィールド・ペインティングを代表する画家が、マーク・ロスコです。
1903年ロシア生まれのロスコは、1913年にアメリカに移住し、エール大学とアート・スチューデンツ・リーグで学んでいます。
1935年に表現主義を信奉する「ザ・テン」というグループを結成し、フォービスム、キュビズム、シュルレアリスムの様式の作品を残しています。
1940年代半ばから矩形の作品を描きはじめ、そのころから平面絵画という、ロスコ独自の鮮やかな作風が生まれました。明るい色彩は、晩年になると灰色を多く含んだ暗いトーンへと変化しますが、瞑想的な静けさはロスコの作品に一貫する特色といえるでしょう。
後進の育成にも熱心であったロスコですが、抽象表現主義の画家と呼ばれることを好まなかったという説もあります。
シンプルで普遍的な形態に込められた深い精神性は、彼の死後完成した《ロスコ・チャペル》(1971)の中で完結しています。
日本で著名な抽象表現主義のアーティストと作品を紹介
アメリカ生まれの芸術である抽象表現主義ですが、日本にもこのアートを生み出す芸術家がいます。
日本人の手から生まれる抽象表現は、誰によってどんな形となっているのでしょうか。
下記では、2人の芸術家をご紹介いたします。
丸山直文
1964年、新潟県に生まれた丸山直文は、1988年からアーティストとしての活動を開始しています。
文化服装学院やセツ・モードセミナーで学んだ丸山直文の作品は、コットンに水と絵の具を含ませていく技法が特徴です。
活動初期から有機的な物体を抽象的に大画面に描く作風を貫いており、人や自然をテーマにした作品を数多く生み出しています。
具象と抽象の絶妙なバランスをもつ丸山直文の作品には、抽象表現主義のスピリットに加え、日本文化特有の繊細さと誠実さを見ることができます。
作品と鑑賞者との境界線を払ってしまうような奥深さは高く評価され、2008年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞しました。
代表作には《Path 4》(2005)、《水辺の風景》(2018)などがあります。
今後はさらに円熟した作品が期待できそうです。
岡田謙三
1902年、横浜に生まれた岡田謙三は、東京美術学校西洋画科を中退後、1924年からフランスに留学しました。
そして1950年、アメリカ移住後に、当時のニューヨークで活発であった抽象表現主義の影響を受けたといわれています。
その後、独自の作風を確立した岡田謙三は、カーネギー国際美術展やイタリアのビエンナーレ展など、国際的に知られた美術展で入賞を重ねます。
岡田謙三の作品が国際的に高く評価されたのは、彼の抽象表現主義の中に日本の装飾性や抒情性がふんだんに含まれていた点にあります。
幽玄主義(ユーゲニズム)と呼ばれた岡田謙三の作品は、静的な抽象表現主義を体現したものとして、抽象表現主義の本拠地アメリカでも高く評価されました。
岡田謙三の代表作には《元禄》(1957)、《入り江》(1973)などが有名です。
抽象表現主義の歴史や代表作家まとめ
難解なイメージのある抽象表現主義ですが、その様式が生まれた背景や歴史を知ると、個々の芸術家たちの魅力がより際立ってきます。
第2次世界大戦後に生まれた抽象表現主義は、当時のアメリカ社会の影響を受けた特異性や精神性が、最大の特徴といえるでしょう。
アクション・ペインティングやカラーフィールド・ペインティングといった前例のないスタイルは、アメリカ国内だけではなく、日本をはじめ世界中の芸術に影響を与えました。
アートの多様化に寄与した抽象表現主義の作品を、このような事情も踏まえて鑑賞するのも一興です。