アクションペインティングの特徴とは|代表的な日本人の画家も紹介

2022/10/28 ブログ

アクションペインティングの特徴とは|代表的な日本人の画家も紹介

20世紀のアメリカで生まれた抽象表現主義の技法のひとつに、アクションペインティングと呼ばれるものがあります。大胆な動きが鑑賞者の目を奪うアクションペインティングには、独自の哲学があるといわれています。

 

第2次世界大戦後のアートの世界で、一世を風靡したアクションペインティングとはどんな特徴があるのでしょうか。

アクションペインティングについて、世界的なアーティストや日本人作家をあわせてご紹介いたします。

 

 

 

アクションペインティングとは?特徴を解説

 

アートといえばヨーロッパが主役といわれていた時代が終わり、20世紀にはアメリカ発祥の抽象表現主義という動向が生まれます。抽象表現主義の技法のひとつであるアクションペインティングは、それまでのアートの概念を覆したともいわれています。

そこにはどんな特徴があるのでしょうか。

 

 

絵の具を垂らしたり飛び散らせたりなど絵を描くという行動(アクション)自体が強調される芸術様式

 

アクションペインティングとは、文字通りアクション(行動)が重要視される芸術の様式を指します。

大きな画布に自らも入り込み、絵の具をたらしたり飛び散らせて作品を作ることに重みをもたせるアートです。画布は制作のための素材ではなく、素材と戦う競技場ととらえ、大胆な動きで作品を作り上げます。

 

「行動美術」や「ジェスチャーペインティング」などの別名もありますが、いずれにしても制作過程こそが重要な要素と捉えることでは変わりありません。

狭義ではジャクソン・ポロックのポード絵画に用いられる言葉ですが、クラインやマチューといった彼のあとに続くアーティストたちも、アクションペインティングを実践しています。

 

 

抽象表現主義のひとつでもあり同一視されることもある

 

美術史史上、はじめてアメリカで生まれた美術様式が抽象表現主義です。

20世紀半ばに盛んになった抽象表現主義において、シンボル的な意味を持つのがアクションペインティングでした。そのため、両者は同一視されることも多々あります。

 

アクションペインティングはジャクソン・ポロックが祖とされていますが、クラインをはじめさまざまなアーティストが形を変えてそれを踏襲しました。

さらに抽象表現主義には、ニューマンやロスコが実践した「カラーフィールドペインティング」という様式もあります。カラーフィールドペインティングは、造形を構成するはずの形や色の関係を拒絶し、全体を眺めるというスタイルが特徴です。

 

 

 

アクションペインティングの誕生した背景や歴史

 

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画像:flickr photo by SydBarrettDragon

 

アート史上前代未聞ともいわれた技法アクションペインティングは、どんな経緯で誕生したのでしょうか。1950年前後のアートの歴史とともに、アクションペインティングの変遷をたどってみましょう。

 

 

1940年代後半:ニューヨークを中心にアメリカで広まり始めた

 

アクションペインティングの発祥は、1940年代後半のニューヨークにあるといわれています。

アメリカで興った抽象表現主義は1940年頃から始まっており、ヨーロッパのアートとは異なる内面重視の風潮が強まっていたころと重なります。

 

1940年代から美術批評家のハロルド・ローゼンバーグは、表現ではなく行為の重要性を説いていました。これを実践したのが、ポロックやデクーニングです。

ヨーロッパのアンフォルメルやタシスムに呼応するように、アメリカでも行動を重視したアートが注目を浴び始めたのが、1940年代後半のことでした。

 

 

1952年:批評家のハロルド・ローゼンバーグが論文「アメリカのアクション・ぺインターたち」にて概念を提唱

 

アクションペインティングという言葉と概念が明確になったのは、1952年のことです。

ハロルド・ローゼンバーグが『アート・ニューズ』に発表した「アメリカのアクション・ペインターたち」が、当時のアーティストたちを大いに鼓舞しました。

 

ローゼンバーグ自身が1940年代から主張してきたアクションの重要性は、ここにいたってアメリカのアーティストたちの表現に投影されるようになりました。

画布の上でアクションを起こすという表現方法によって、アメリカはヨーロッパ美術のしがらみから解放され、新たな潮流を生み出すことに成功したのです。

 

ダダイズムのパフォーマンスや、実存主義の影響を受けて誕生したアクションペイントは、世界のアートの動向に大きな影響を与えることになりました。

 

 

 

世界の代表的なアクションペインティングのアーティストと作品を紹介

 

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画像:flickr photo by cea +

20世紀のアメリカのアートを表象するといってもよいアクションペインティング、そのスタイルを実践したアーティストはどんな特徴があるのでしょうか。

アクションペインティングの有名作家について、代表作とともにご紹介いたします。

 

 

ジャクソン・ポロック

 

アクションペインティングの顔ともいうべきアーティスト、それがジャクソン・ポロックです。

動的な力強さが特徴のポロックの作品は、アクションペインティングのシンボルであり、抽象表現主義の価値を決定づけた金字塔でもあります。

 

1912年にワイオミング州に生まれたポロックは、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学んでいます。当時のアメリカ政府が打ち出した連邦美術計画にも参加し、1943年に初の個展を開催しました。

このころからポロックの個性は顕著になり、画面全体を絵の具が多いオールオーバーや、床に敷いた画布に絵の具を垂らすドリッピングという技法を生み出し、アクションペインティングの草分けとされました。

 

アメリカ独自の美術の確立に大きな功績を残したポロックは、1956年に交通事故で亡くなっています。

代表作には《秘密の守護者》(1943)、《ブルー・ポールズ:第11番》(1952)などがあります。

 

 

ウィレム・デクーニング

 

その荒々しい筆遣いからアクションペインティングの作家の1人とされているのが、ウィレム・デクーニングです。

デクーニングは、1904年にオランダのロッテルダムに生まれました。オランダで興った抽象美術の動向「デ・ステイル」に触れたのち渡米し、1926年からアメリカで抽象絵画を描きはじめました。

 

1950年から描きはじめた《女》シリーズは、アクションペインティングの神髄である実存主義を実践した作品として評価されています。

烈しい筆の使い方がアクションペインティングの典型といわれながら、具象画でも見るべき作品を数多く残しました。いずれにしても全体の作風は、抽象表現主義の範疇にあるとされています。

 

ドローイングや写真でも才能を示し、1997年に死去しました。

代表作には《発掘》(1950)、《女》(1950-1952)、《復活祭の月曜日》(1956)などがあります。

 

 

フランツ・クライン

 

力強く黒い線が特徴の作品を数多く残したフランツ・クラインも、アクションペインティングのアーティストとして有名です。

フランツ・クラインは1910年、ペンシルバニア州に生まれました。ボストン大学卒業後、ロンドンのヒースリーズ・アート・スクールに留学した経験があります。

 

クラインは1930年代から1940年代にかけて肖像画や風景画を描いていましたが、1950年代に入るとデクーニングの影響を受け、作風を一変させます。

クラインの代名詞ともいうべき力強い黒い線を持つ作品によって、アクションペインティングの画家としての地位を確立しました。

 

まるで書道のような趣のあるクラインの作品は、カリグラフィックで偶然性が強いイメージがありますが、入念な下絵制作の上に成り立っているといわれています。

1955年以降は、緑や赤などの色彩が加わった作品も発表しました。

代表作には《カーディナル》(1950)があります。

 

 

 

日本の代表的なアクションペインティングのアーティストと作品を紹介

 

日本のアート界にも、アクションペインティングのアーティストは存在します。彼らはどんなアクションで作品を制作したのでしょうか。

日本の代表的なアクションペインティングアーティストの特徴を、代表作とともにご紹介します。

 

 

白髪一雄

 

日本を代表するアクションペインティングの作家といえば、白髪一雄の名が筆頭に上がります。

白髪独自のスタイルは、「フットペインティング」と呼ばれています。

 

白髪一雄は1924年、兵庫県尼崎市に生まれました。

著名な芸術家を多数輩出した京都市立絵画専門学校に学び、「具体美術協会」のリーダー吉原治良に師事します。日本画から洋画へと転向した白髪は、1954年にフットペインティングの技法を生み出しました。

 

白髪のフットペインティングは、床に敷いたキャンバスに絵の具を乗せ、天井から吊ったロープにぶら下がりながら滑走するように足で描くという様式でした。スタイル、作品ともに激情的な作風が印象的です。

国内外の美術展に招聘されるようになった白髪は、1993年にはヴェネツィアのビエンナーレに日本代表として出展しています。

 

代表作には《水滸伝豪傑シリーズ》(1950年代後半~1960年代初頭)、《丹赤》(1965)などがあります。

 

 

元永定正

 

白髪一雄と同時期に活躍した抽象画のアーティストに、元永定正がいます。

白髪の動的な作風と比較すると、元永の画風は自然への探索を感じさせる精神性の深さが特徴です。

 

元永定正は1922年に、三重県の伊賀市に生まれました。

上野商業を卒業後、1955年に具体美術協会に参加し、白髪と同じように吉原治良に師事しています。元永は、工業用資材を用いて立体的な作品を制作したり、絵の具の流れや飛沫を活用した作品で、イベント的な活動を行いました。

 

元永の評価は海外でも高く、1969年にはイタリアのプレミオリソーネ展で受賞したことをはじめ数々の賞を授与されています。

1967年に欧州を見聞してからは、初期の激しい画風からユーモアを感じさせる作風に変化し、1970年の万博美術展ではイベントの演出を担当しました。

 

絵本も手掛けるなどマルチな才能で、1983年には日本芸術大賞も受けています。

代表作には《作品66―1》(1966)、《ZZZZZ》(1971)などがあります。

 

 

 

アクションペインティングの歴史や代表作家まとめ

 

1950年代のアメリカで盛んになったアクションペインティングは、製作行為を重要視するアートの動向です。

キャンバスに絵の具を叩きつけたり、垂らしてその流れを使用するなど、ドラマチックな制作方法で脚光を浴びました。アメリカで生まれたアートの技法として、ポロックやデクーニングなど、当時の一流のアーティストによって確立されました。

 

アクションペインティングは存在感の大きさから、抽象表現主義のシンボルとされ、両者は同一視されることもあります。

またその技法は世界のアートにも影響を与え、日本でも白髪一雄をはじめとする作家がアクションペインティングを実践しています。

 

アクションによって生まれた力強い作品の数々を、ぜひ堪能してみてください。

 

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