赤瀬川原平とは?千円札を模したセンセーショナルな代表作品や、流行語大賞を受賞した人気の著書を紹介

2022/11/14 ブログ

赤瀬川原平とは?千円札を模したセンセーショナルな代表作品や、流行語大賞を受賞した人気の著書を紹介

赤瀬川原平_大日本零円札

 

「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」や「ハイレッド・センター」といった芸術家グループの一員として活動した赤瀬川原平(あかせがわげんぺい)は、戦後から平成にかけて活躍したアーティストです。前衛芸術家、小説家、路上観察家などさまざまな顔を持つ赤瀬川原平は、あふれ出る制作意欲をジャンルの枠にとらわれることなく自由に表現したことで知られています。

 

今回は「心はいつもアヴァンギャルド」という言葉を残し、少々過激に自らの芸術を追求した赤瀬川原平について、代表作品や人気の著書などを幅広く紹介します。

 

 

 

赤瀬川原平の略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

まずは、赤瀬川原平の生い立ちや波乱万丈な芸術家としての歩みを追ってみましょう。

 

 

 

1937年:神奈川県横浜市に生まれ、転居を繰り返しながら育つ

 

1937(昭和12)年、赤瀬川原平は神奈川県の横浜市に生まれました。倉庫会社に勤める父のもとで、転居を繰り返しながら育ちます。戦中戦後の混乱もあり、経済的には恵まれなかったものの、赤瀬川原平は幼少期からおもしろいことを見つけるのが得意な明るい性格でした。

 

高校に入学するまでの11年間を過ごした大分県では、画材キムラヤのアトリエにて建築家の磯崎新や現代美術家の吉村益信と知り合いました。その後、名古屋へ転居した赤瀬川原平は、愛知県旭丘高等学校美術科に転入します。同校では、のちに現代美術家となる荒川修作や画家・演出家となる岩田信市らと共に学びました。

 

 

 

1955年:武蔵野美術学校油画科へ進学するも経済的理由で中退

 

武蔵野美術大学 出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

1955(昭和30)年、赤瀬川原平は武蔵野美術学校(現在の武蔵野美術大学)油画科へ進学しました。しかし、アルバイトをしながら学校へ通ったものの、経済的理由から中退を余儀なくされます。 その後は、創作活動を行いながら日本アンデパンダン展や読売アンデパンダン展といった自由出品の美術展に参加し、1958(昭和33)年には渋谷の道玄坂にある喫茶店「コーヒーハウス」にて初めての個展を開催しました。

 

また、1960(昭和35)年には現代美術家の吉村益信や篠原有司男の呼び掛けで結成された「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」(ネオダダ)の一員となり、同年末まで彼らとともに活動します。

 

 

 

1963年:高松次郎、中西夏之とともに「ハイレッド・センター」を結成

 

ネオダダの一員として活動を行ううちに、赤瀬川原平は現代美術家の高松次郎、中西夏之と知り合いました。1963(昭和38)年に彼らはそれぞれの苗字の頭文字「高」「赤」「中」を取って「ハイレッド・センター」を結成します。ハイレッド・センターはハプニング「山手線事件」や全身白衣で清掃を行う「首都圏清掃整理促進運動」などを通して、日常と芸術、公と私の境界線を揺さぶりました。

 

同年、赤瀬川原平はキャンバスを梱包した最初の梱包作品『事実か方法か』と、千円札を拡大した作品『復讐(ふくしゅう)の形態学(殺す前に相手をよく見る)』を制作します。これらは赤瀬川原平の代表作となりました。

 

 

 

1979年:尾辻克彦(おつじかつひこ)のペンネームで小説を書き始める

 

1970(昭和45)年あたりから、赤瀬川原平はイラストや漫画の制作に本格的に取り組むようになります。そして1978(昭和53)年に『レンズの下の聖徳太子』という小説を初めて執筆しました。

 

翌1979(昭和54)年から、赤瀬川原平は「尾辻克彦(おつじかつひこ)」というペンネームを使い始めます。同年には『肌ざわり』、翌1980(昭和55)年には『闇のヘルペス』という小説を執筆し、これらは芥川賞の候補作品となりました。そして、ついに1981(昭和56)年には『父が消えた』で芥川賞を受賞します。

 

1980年代には「超芸術トマソン」や、そこから生まれた「路上観察学会」などの活動も行い、1998(平成10)年に執筆した『老人力』はベストセラーにもなりました。晩年まで精力的に芸術活動を行っていた赤瀬川原平ですが、2014(平成26)年に敗血症のため、都内の病院にて77歳で亡くなりました。

 

*独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所 / 赤瀬川原平

 

 

 

赤瀬川原平の作品の世界観

 

大日本零円札(オフセット 1967年)

 

赤瀬川原平の芸術は絵画や彫刻だけでなく、漫画や小説、そして赤瀬川原平が自ら名付けた「トマソン」(都市空間に存在する一種芸術のような無用の長物)にまでいたり、その活動は多岐にわたります。また、紙幣を模した作品で警察に目を付けられたり、パロディや風刺の効き過ぎた漫画が休刊に追い込まれたり、彼の活動や作品は少し過激であるのも特徴です。

 

「心はいつもアヴァンギャルド」という言葉を残した赤瀬川原平は、その通りあらゆる分野において前衛であることを自らに課し、誰にも真似ができないような独自の芸術を追い求めました。

 

非常に多才であり文才も持ち合わせていた赤瀬川原平は、自らの芸術観を「超芸術トマソン」や「路上観察学入門」といったさまざまな著作に残しました。赤瀬川原平の精神世界をより深く知りたい人は、彼の残した著書を読んでみることをおすすめします。

 

 

 

赤瀬川原平の代表作品を解説

 

それでは、赤瀬川原平の作品の中でもよく知られている代表作品を3点紹介します。

 

 

 

ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)

 

『ヴァギナのシーツ』は赤瀬川原平が1961(昭和36)年に制作した作品で、読売アンデパンダン展に出品されました。「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の一員として活動していた頃の作品です。この頃の赤瀬川原平は、廃棄物を利用して高度経済成長時代の大量消費への批判を込めた立体作品を多く制作しました。

 

『ヴァギナのシーツ』における肉体を思わせるような赤い部分は廃棄タイヤに使われていたゴムチューブで、その上にはホイールや真空管が設置されています。展覧会が終わると作品を解体するのが常であった赤瀬川原平ですが、この作品は1994(平成6)年に再制作されました。

 

 

 

復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)

 

『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)』は千円札をルーペで見て拡大模写し、印刷した大型作品です。赤瀬川原平はこの作品に付随して、友だちから借りた絵を梱包した『事実か方法か』という初めての梱包作品も制作し、あわせて読売アンデパンダン展に出品しました。

 

『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)』は1963(昭和38)年、「ハイレッド・センター」が結成される少し前に制作した作品です。これに関連してちょうどお札と同じくらいのサイズの版画作品『模型千円札』シリーズも制作しています。

 

*陸奥新報 /「アート悶々12」梱包芸術

 

 

 

宇宙の罐詰

 

『宇宙の罐詰(かんづめ)』は、ハイレッド・センターで開催されたイベントのお土産として、1964(昭和39)年に制作された作品です。本来外に存在するはずの宇宙が中にある、というコンセプトを、缶詰の中身を取り出したあとで外側に貼ってあるラベルをはがして内側に貼り直し、再びハンダで密閉するという方法で表現しています。

 

*陸奥新報 / / 「アート悶々12」梱包芸術

 

 

 

赤瀬川原平の作品『ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)』は東京国立近代美術館にて鑑賞可能

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

東京都千代田区にある東京国立近代美術館は、19世紀末から今日までの国内外の美術作品を幅広くコレクションしている大型美術館です。同館には赤瀬川原平の『ヴァギナのシーツ(二番目のプレゼント)』に加えて、『患者の予言(ガラスの卵)』という彫刻や『模型千円札』の版画、『架空の事実』という絵画作品など、多くの作品が所蔵されています。

 

また、ハイレッド・センターの高松次郎や中西夏之の作品も同時に鑑賞できる点も東京国立近代美術館の魅力といえるでしょう。戦後の日本美術史に大きな足跡を残したハイレッド・センターや赤瀬川原平の作品を間近に鑑賞したい人は、ぜひ東京国立近代美術館に足を運んでみてください。

 

東京国立近代美術館の公式HPはこちら

 

 

 

赤瀬川原平の代表的著書

 

次に、赤瀬川原平の著書の中で今でも人気の高い代表的著書を3冊紹介します。

 

 

 

超芸術トマソン

 

『超芸術トマソン』は赤瀬川原平が1985(昭和60)年に執筆した著書で、白夜書房から出版されました。現在は筑摩書房から出版されています。赤瀬川原平は「不動産に付着していて、美しく保存されている無用の長物」のことを「トマソン」と名付けました。このトマソンは、1980(昭和55)年頃に若者たちの間で大きなブームとなります。『超芸術トマソン』を読めば、トマソンとは何であるかを具体的に知ることができるでしょう。

 

*筑摩書房 / 超芸術トマソン

 

 

 

路上観察学入門

 

『路上観察学入門』は赤瀬川原平、 藤森照信、南伸坊による街歩きマニュアルで、1986(昭和61)年に筑摩書房から出版されました。『超芸術トマソン』がさらに発展した内容で、マンホールや煙突など路上から観察できるものについて書かれています。隠された街の表情を発見する喜びを書いた名著です。

 

*筑摩書房 / 路上観察学入門

 

 

 

老人力

 

『老人力』は、1998(平成10)年に赤瀬川原平が執筆した著書で筑摩書房から出版されました。「ぼけ」や「もうろく」は成熟することで身に付く力として、老いをポジティブに捉えた内容が人気を呼びました。同年「老人力」という言葉は流行語大賞も受賞しています。

 

*筑摩書房 / 老人力

 

 

 

赤瀬川原平の作品の落札価格とその価値について

 

赤瀬川原平のリトグラフ作品『大日本零円札』は、オークションに出品されることの多い作品です。非常に人気が高く、落札価格が落札予想価格より高くなることも多々あります。ここでは、『大日本零円札』の近年の落札価格を紹介します。

 

 

 

2016年:大日本零円札|約350万円

 

2016(平成28)年10月11日、クリスティーズのライブオークションにおいて、赤瀬川原平の『大日本零円札』が約350万円(27,500ポンド)で落札されました。

 

この作品は1967(昭和42)年に制作された14cm×35cmのリトグラフで、紙幣のようなデザインでありながら中央には大きく「零円」と表示されています。予想落札価格1,200ポンド〜1,800ポンドを大きく上回る金額で落札され、話題になりました。

 

*CHRISTIE'S / 赤瀬川原平 / 大日本零円札

 

 

 

2022年:大日本零円札|138万円

 

2022(令和4)年7月、SBIオークションにおいて、同じく赤瀬川原平が1967年に制作したリトグラフ『大日本零円札』が、予想落札価格70万円〜100万円のところを138万円で落札されました。

 

*SBIアートオークション / 赤瀬川原平 / 大日本零円札

 

 

 

赤瀬川原平の作品の買取相場

 

ねじ式(シルクスクリーン 1969年)

 

赤瀬川原平の作品で市場に多く出まわっているのは、リトグラフ作品『大日本零円札』です。しかし、シルクスクリーンなどの版画作品もいくつか制作しています。赤瀬川原平の作品をお持ちの方がいらっしゃいましたらお気軽にお声かけください。市場相場や保存状態なども含めて総合的に判断し、適正な買取金額をご案内いたします。

 

 

 

赤瀬川原平に関する豆知識(トリビア)

 

最後に、赤瀬川原平に関する豆知識をふたつご紹介します。

 

 

 

赤瀬川原平は「模型千円札」事件で起訴されたことがある

 

赤瀬川原平は『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)』や『模型千円札』のような紙幣を模した作品をいくつか制作しています。実は、これらの作品は同時期に起きた戦後最大の紙幣偽造事件「チ-37号事件」との関連性が疑われ、赤瀬川原平を「千円札裁判」へと巻き込みました。

 

裁判にはハイレッド・センターのメンバーを中心とした多くの芸術家や評論家が出廷し、「模型千円札」の高い芸術性を強く訴えました。証拠品として持ち込まれた作品が法廷を埋め尽くし、ギャラリーの様になったこともあるそうです。

 

作品はもちろん事件とは無関係であったものの、赤瀬川原平は通貨及証券模造取締法違反で執行猶予付きの有罪判決となりました。法と芸術の関係性を問うたこの裁判は歴史に名の残る「芸術裁判」として、今も語り継がれています。

 

 

 

赤瀬川原平らによって芸術上の概念である「超芸術トマソン」が発見された

 

トマソン黙示録 (オフセット 1988年)

 

前述の通り、「不動産に付着していて、美しく保存されている無用の長物」のことを赤瀬川原平は「トマソン」と名付けました。具体的には、上がった先には何もない階段や、入口がふさがれた門などを指します。

 

一般的に、芸術とは作り手によって意識的に生み出されますが「超芸術トマソン」は観察者が発見することではじめて芸術となる存在です。赤瀬川原平が定義した「超芸術トマソン」は、一般的な芸術とは明確に区別されるべき新しい概念といえるでしょう。ちなみに、この名称は元読売ジャイアンツの「ゲーリー・トマソン」選手に由来しています。

 

 

 

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