アルテポーヴェラの特徴を解説|誕生した背景や代表的な作家について紹介
アルテポーヴェラの特徴を解説|誕生した背景や代表的な作家について紹介
1960年代後半、アートの国イタリアで誕生した美術に「アルテポーヴェラ」という動向があります。
イタリアの数多くの芸術家たちが参加し、イタリア国内のみで興隆したアルテポーヴェラですが、他国の美術にも少なからぬ影響を与えました。
イタリアにおいても、1950年代の空間主義、1980年代のトランスアヴァングアルディアと並んで重要な美術様式とされているアルテポーヴェラとは、いったいどんな特徴があるのでしょうか。
アルテポーヴェラの特徴や代表的な作家について、ご紹介いたします。
アルテポーヴェラとは?特徴を解説
画像:flickr photo by puffin11k
あまり耳にしたことがないアルテポーヴェラとは、いったいどんな美術の動向であったのでしょうか。その言葉には、どんな意味があるのでしょうか。
まずはアルテポーヴェラの特徴を解説いたします。
「貧しい芸術」の意味を持つ1960年代後半〜70年代前半にかけて確立したイタリアの芸術運動
アルテポーヴェラはイタリア語です。
「アルテ(芸術)」「ポーヴェラ(貧しい)」という言葉を組み合わせており、「貧しい芸術」あるいは「質素な美術」という意味になります。言葉通り、身近にある素朴な素材を用いて表現することが、アルテポーヴェラの特徴です。
アルテポーヴェラは、ジェノヴァが発祥とされています。
1960年代後半にミラノやローマ、トリノなどの大都市を中心として、多くのイタリア人芸術家たちがこの動向に参加しました。
ジェルマーノ・チェラント若くて才能のあるイタリアのアーティストを集めてアルテポーヴェラの普及活動に努めた
アルテポーヴェラがイタリア国内で普及したのは、高名な美術評論家ジェルマーノ・チェラントに因るところが大きいといわれています。チェラントはアルテポーヴェラの名付け親であり、それを理論化したことで知られています。
1960年代後半、20代から30代の若いイタリア人アーティストたちはチェラントに共鳴し、盛んな活動を行いました。
アルテポーヴェラの作家には、以下のような人たちがいます。
アリギエロ・ボエッティ
ピーノ・パスカーリ
ヤニス・クネリス
マリオ・メルツ
ルチアーノ・ファブロ
ミケランジェロ・ピストレット
ぼろぎれや新聞紙など「豊かさ」からかけ離れた素材にアーティストの思考や工夫を組み合わせて制作する
アルテポーヴェラとは、具体的にどんな作風を特徴としていたのでしょうか。
アルテポーヴェラ様式の作品はその名の通り、ごく身近にある素材が使われました。
土、木材、鉱物、ぼろきれ、水、セメントなどを使用し表現することによって、工業化が進む社会やテクノロジーへの反発など、1960年代の社会情勢への批判が込められているといわれています。
素朴な素材を組み合わせた作品は華美や過剰な表現もなく、アーティストたちの思考をシンプルに作品に凝縮していることが特徴です。
アルテポーヴェラの誕生した背景や歴史
ポップなイメージのあるイタリアで展開された素朴なアルテポーヴェラは、いったいどんな時代背景の中で生まれたのでしょうか。
誕生からその変遷まで、アルテポーヴェラの歴史を探ってみましょう。
1967年:「アルテ・ポーヴェラ/Im空間」展が開催された際に批評家のジェルマーノ・チェラントがこの運動を命名
アルテポーヴェラという言葉が生まれたのは、1967年のことでした。
1967年、ジェノヴァで美術展『アルテ・ポーヴェラ/Im空間』が開催されます。
この美術展を主催したのが、ジェノヴァ出身の美術評論家ジェルマーノ・チェラントでした。
美術展に参加していたのは、ボエッティ、パスカーリ、クネリス、メルツなどの若いアーティストたちで、彼らの作品をチェラントが「アルテポーヴェラ」と評したことが発端です。
アルテポーヴェラという言葉は短期間のうちに、イタリアの美術の動向を示す名として定着しました。
1969年:「態度がかたちになるとき」展への参加がきっかけとなり国際的にも認知度が高まる
アルテポーヴェラの名が国際的に知られるようになったのは、1969年にスイスのベルンで開催された美術展『態度がかたちになるとき(When Attitudes Become Form)』がきっかけでした。
ポストミニマリストとアルテポーヴェラが画期的な試みとして開催した同美術展は、各国のメディアによって大きく報道され、注目されたのです。
チェラントはその後、アルテポーヴェラを理論化し、1969年には『アルテポーヴェラ(Arte Povera; Groupe de Recherche d'Arts Visuels)』を刊行、その運動を後押ししました。
こうした状況に勢いを得て、アルテポーヴェラは1972年までその活動の最盛期を迎えることになったのです。
世界の代表的なアルテポーヴェラのアーティストと作品を紹介
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アルテポーヴェラは1960年代の社会情勢に影響を受け、イタリアで生まれました。
1970年代のアートにも影響を与えたアルテポーヴェラ、その代表的な作家と特徴について、ご紹介いたします。
ミケランジェロ・ピストレット
1933年、北イタリアのビエッラに生まれたミケランジェロ・ピストレットは、芸術家であり修復士であった父の手伝いをしながらトリノで成長しました。若き時代に父から修復法を習いつつ、中世やルネサンス時代の作品に触れていました。
20代にはグラフィックデザイナーのアルマンド・テスタとともに、広告を手掛けた経験もあります。
1960年代、ピストレットは本格的にアーティストとしての活動を開始しました。60年代半ばまでに作成した「ミラー絵画」は、金属板を磨き鏡のように仕立てたことが特徴で、彼の初期の代表作といわれています。
ピストレットがアルテポーヴェラの先導者と呼ばれたのは、1967年に制作した《ぼろぎれのヴィーナス》が注目されて以降です。ぼろぎれを使ったこの作品は、アルテポーヴェラの代表作となり、ピストレットはこの分野の先駆者となりました。
ピストレットの作品は、人間と物体の関係を追及する哲学があるといわれており、布だけではなく紙や電線、石膏などを使用するインスタレーションもあります。
ジュリオ・パオリーニ
画家であり彫刻家でもあるジュリオ・パオリーニは、1940年にジェノヴァに生まれました。父は経済学者、兄は建築家という教養ある家庭に育っています。
幼少期をトリノで過ごし青年期にグラフィックを専攻、1950年代の終わりから絵画の制作を始めました。
1960年に発表した作品は、白い紙に幾何学模様がシンプルに描かれたものでしたが、これはその後の制作活動の基盤になったともいわれています。
1964年、ローマの展示会で壁に木のパネルが置かれているだけの作品を発表、賛否両論を巻き起こしました。しかしこれを契機に1967年、ジェルマーノ・チェラントのアルテポーヴェラへの招聘を受けることになります。
パオリーニの作品の特徴は、過去のアートとの対話が表現される点でした。《ロレンツォ・ロットを見つめる若者》(1967)、《ベラスケスの最後の絵画》(1968)といった歴史に残る偉大な芸術家をテーマとする作品が有名です。
1970年代に入るとパオリーニの作品は国際的な評価も上がり、ヴェネツィアのビエンナーレをはじめ各地の展示会に参加するようになります。専攻であったグラフィックを使った理論的な作品も多く、いずれも彼の深い知性と静謐を実感できます。
2022年、その功績が讃えられ高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。
ヤニス・クネリス
アルテポーヴェラで活躍したアーティストの大半はイタリア人でしたが、この運動に大きな影響を与えたギリシア人がいます。それが、ヤニス・クネリスです。
クネリスは1936年にギリシアのアッティカ地方に生まれますが、1956年からイタリアに移住し、ローマの美術アカデミーで学びました。
1960年代初頭、デビューしたばかりのクネリスの作品は退廃性を拒否した明るいもので、さまざまな記号をモチーフにしていました。
1967年にアルテポーヴェラに参加し、身近な素材を用いたスケールの大きい作品を発表し続けます。
クネリスの作品には、生きた鳥や鉄板、コーヒー豆など、日常に点在するものが数多く登場します。1969年には、12頭の馬を登場させるインスタレーションで脚光を浴びました。
神話を思わせるギリシア的な作風は、同時期のイタリア人芸術家にも大きな影響を与えたといわれています。
21世紀に入っても創作意欲は衰えなかったクネリスは、2017年に80歳で亡くなりました。
マリオ・メルツ
1925年にミラノに生まれたマリオ・メルツはトリノで育ち、大学時代は医学を学んでいます。第2次世界大戦中、アンチファシズムに参加し逮捕されるなどの経験もあるメルツは、戦後に美術の世界に身を投じました。
美術に関してはぼぼ独学であったメルツは、最初は絵画の制作をしていました。1960年代に鉄や石などを使う作品へと移行し、アルテポーヴェラの精神を有するようになります。
1967年以降、アルテポーヴェラに参加するようになったメルツは、イグルー型の構造の作品や、フィボナッチ数列をテーマにしたネオン作品などの代表作を次々と生み出しました。
1970年代に入ると、メルツは先史時代の動物のようなものをモチーフとしたスケールの大きな作品を発表、世界中の美術館が彼の展覧会を行うようになります。
2003年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しますが、その年にメルツは死去しました。現在は、メルツの名を冠した財団によって彼の作品が管理保護されています。
ジョゼッペ・ペノーネ
1947年、北イタリアのクーネオに生まれたジュゼッペ・ペノーネは、アルテポーヴェラのアーティストのなかでも「流動性」にこだわりを持つことで知られています。
トリノの美術アカデミーを卒業後、ペノーネはアルテポーヴェラのグループに加わり、工業用の資材と自然の素材を組み合わせた作品を発表しました。当時まだ20代前半であったペノーネのアートは、若々しさがあふれています。
1968年以降、ペノーネは木や森に着目し作品を作るようになります。人間の体と自然との融合をテーマに、自然を用いるのではなく自然に介入するという独自のアートを確立しました。
有機的なものを素材として用いることで、その変化や流動性を鑑賞する人に感じさせることがペノーネのアートです。
また1970年に発表した《Reversing the eyes》は、自画像の目の部分に反射するレンズを埋め込むように製作され、ペノーネ自身が目にしている景色を鑑賞者が鑑賞するという独自の視点で注目されました。独創性の豊かさでは抜きんでた存在です。
ペノーネは現在もトリノに健在で、アーティストとしての活動を行っています。
日本にはアルテポーヴェラをメインの作風とした作家は少ない
アルテポーヴェラの様式をもつ日本人の芸術家はいるのでしょうか。
アルテポーヴェラは、ほぼイタリア国内のアートの動向と捉えられています。一方でその言葉自体は、1969年にベルン市立美術館で開催された『態度が形になるとき』以降、国際的によく知られるようになりました。
しかし運動そのものの活動期間は短く、日本をはじめとする他国のアーティストがそのグループに加わることはありませんでした。
日本にはアルテポーヴェラと似た「もの派」という美術傾向がある
イタリア国外には広がらなかったアルテポーヴェラですが、他国のアートの動向と無関係だったわけではありません。
アルテポーヴェラの影響を受けた芸術の動向には、1970年にフランスに興った「シュポール・シュルファス」があります。
また日本でも、アルテポーヴェラと同時期に盛んになった「もの派」というグループがありました。
もの派は石や土、布や鉄などを手付かずのまま展示するのが主流であり、アルテポーヴェラと似通う点も多々ありました。
いずれも素朴な素材を使用したことでは変わりませんが、アルテポーヴェラが素材同士、あるいは素材と環境との結びつきを重視したのに対し、もの派は物質そのものが持つ世界に着目したところが、相違点といえるでしょう。
アルテポーヴェラの歴史や代表作家まとめ
アルテポーヴェラとは、イタリア語で「貧しい芸術」「質素な美術」という意味を持っています。
アルテポーヴェラは1960年代後半、美術評論家ジェルマーノ・チェラントが提唱し、当時の若手イタリア人アートが参画したアートの動向です。
個々のアーティストの個性は際立っていましたが、いずれも水や土、火や木、鉄などの身近な素材を用いて表現することが共通しています。
アルテポーヴェラが本格的に活動した期間はわずか数年でしたが、その作品群は高く評価され、のちの美術にも大きな影響を与えました。
過剰な表現は避けつつも、地中海的なスケールの大きさを持ったアルテポーヴェラの作家たちは、円熟期にもさまざまな作品を創作し、美術史に足跡を残しています。