コンセプチュアル・アートの特徴を解説|略歴や日本の代表的な作家について紹介

2022/10/28 ブログ

コンセプチュアル・アートの特徴を解説|略歴や日本の代表的な作家について紹介

20世紀アートの世界は、さまざまな潮流が渦巻いてきました。

そのなかで、1960年代にその概念がうまれ、1970年代に全盛を迎えた動向が、コンセプチュアル・アートです。その独特の概念から生まれる作品は、好き嫌いがわかれるかもしれません。

 

さまざまな芸術の様式の影響を受け、あるいは反発することで生まれたコンセプチュアル・アートとは、いったいどんな特徴があるのでしょうか。

別名「概念芸術」とも呼ばれるコンセプチュアル・アートについて、その特徴や代表的な作家について、詳しく説明いたします。

 

 

コンセプチュアル・アートとは?特徴を解説

 

まずはコンセプチュアル・アートについて、根本的な概要を説明します。1960年代半ばからの10年間、欧米のアートを席巻したコンセプチュアル・アートとは、どんな特徴を持っていたのでしょうか。

 

 

作品の技術的な側面だけでなく作者によって込められたコンセプトを重視する芸術運動

 

「概念芸術」「コンセプト・アート」の別称もあるコンセプチュアル・アートとは、素材を使って芸術作品を作るという技術的な面よりも、作品製作の背景にある発想や思想に重きを置く芸術を指します。

 

芸術を極限まで概念化する手法であり、様式上は文字や写真、記号や映像を用いることが多いです。

こうしたアイテムを使って、概念を直接的に表現しようとしたアートの傾向を、コンセプチュアル・アートと呼んでいます。

 

 

ミニマルアートの次のアートとしてアメリカの中央情報局の支援の対象にもなった

 

アメリカ発祥のアート、抽象表現主義が高く評価されるにあたっては、実はアメリカの中央情報局(CIA)が関連していたからだ、という説があります。

 

2016年にイギリスのBBCによって報道された説によれば、アメリカ発祥の芸術がスピーディに国際的な名声を経た背景には、抽象表現主義の作品群の購入や展覧会の実施のために、CIAが多大な式年所を影で行っていたというのです。

 

理由として、CIAは冷戦時代におけるアートをソフトパワーとして活用する意図があったと伝えています。

真偽はいまだ謎のままですが、一説によればコンセプチュアル・アートはミニマルアートに続いてCIAが支援をしたのだとか。つまりそれほど当時のコンセプチュアル・アートは、世界中の注目を浴びていたと言い換えられます。

政治と芸術の関係が垣間見える、興味深い説といえるでしょう。

 

<引用元>

BBC「Was modern art a weapon of the CIA?」

 

 

 

コンセプチュアル・アートの誕生した背景や歴史

 

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画像:AdobeStock photo by Shtroy

 

第2次世界大戦後の混沌とした芸術の世界において、コンセプチュアル・アートの誕生にはどんな意味があったのでしょうか。

コンセプチュアル・アート誕生の経緯や歴史的な背景について、詳しく見ていきましょう。

 

 

1910年代:フランス人アーティストのマルセル・デュシャンが「知的な刺激を与えるもの」として作品を制作したことがルーツとされる

 

1960年代に生まれたコンセプチュアル・アートですが、そのルーツは1910年代のフランスの芸術家、マルセル・デュシャンの作品にあるといわれています。

源流となった作品の例を挙げてみましょう。

 

既製(レディーメイド)の男性用便器に《泉》と名付けて作品化されたものが、代表例です。デュシャンは、概念や約束事を変更すれば芸術の中身も変わり得ることを強く主張しました。

 

第2次世界大戦後、マルセル・デュシャンの主張は多くの芸術家たちによって共有され、美術という概念そのものを根本から問い直すという動向が展開していったのです。

 

 

1960年代〜70年代:最盛期として盛り上がりを見せる

 

コンセプチュアル・アートという言葉が定着したのは1960年代後半、ミニマルアートとコンセプチュアル・アートを結び付けたソル・ルウィットが活躍し始めたころです。

「芸術を定義する芸術」を追求し始めた当時のアーティストたちによって、コンセプチュアル・アートは1960年代終わりから1970年代にかけて大いに盛り上がりを見せることになりました。

 

ジャンル区分を超越したアートとして、アーティストたちの共感を得たコンセプチュアル・アートは、70年代まで欧米の芸術の主流を占めたといっても過言ではないでしょう。

 

 

世界の代表的なコンセプチュアル・アートのアーティストと作品を紹介

 

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画像:flickr photo by Gautier Poupeau

 

コンセプチュアル・アートを実践したアーティストたちは、それぞれ顕著な特徴を持っています。中でも特に有名なコンセプチュアル・アートの芸術家たちを、代表作とともにご紹介いたします。

 

 

ジョセフ・コスース

 

コンセプチュアル・アートの第一人者といわれているのが、1945年にアメリカに生まれたジョセフ・コスースです。

オハイオ州出身のコスースはトレド美術館付属デザイン学校、クリーブランド美術学校、ニューヨーク視覚芸術学校などで学んだほか、ヨーロッパ各地を訪れて研鑽を積みました。

 

哲学や人類学も学んだコスースが、コンセプチュアル・アートの先陣を切って作品を発表したのは、1965年のことでした。

《壁に立てかけた透明で正方形のガラス》という作品は、4枚のガラスを壁に立てかけ、さらに言語を組み入れたものです。物体と言葉の同語反復的なコンビネーションは、同年に発表された《一つでありまた三つでもある椅子》にも見ることができます。

 

コスースのこうした作品は、外観上の美しさによって概念を理解するのではなく、人々の嗜好や認識を刺激して、概念を問いかけるコンセプトの上に成り立っています。

哲学や芸術論に造詣が深かったコスースは、コンセプチュアル・アートについての論文もいくつか残しています。

 

1970年代以降、コスースの興味はアートにおける社会の役割へと移っていきました。1970年代には屋外や公共の空間での作品を数多く残したのち、1980年代になると室内展示に回帰しています。

特に1986年、ウィーンのフロイト博物館で発表した作品は、フロイトが唱えた「抑圧」の概念を体現したものとして、注目を浴びました。

 

 

ヨーゼフ・ボイス

 

ドイツ生まれのコンセプチュアル・アートのカリスマとして知られているのが、ヨーゼフ・ボイスです。ボイスは芸術家としてだけではなく、社会活動家としても名前が知られていました。

1921年、ドイツのクレーフェルトに生まれたボイスは、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学び、のちに同校の教授も務めています。

 

第2次世界大戦中、空軍に所属していたボイスは重傷を負い、救助と治療を受ける際に使用された銅やフェルト、動物の脂肪を象徴的に用いて、作品を制作しました。

一回性の行為を中核とした「ハプニング」や「アクション」を実践したことでも知られるボイスは、すべての人間は芸術家であるという概念を信奉し、社会の変革を目指していたといいます。

 

哲学者ルドルフ・シュタイナーの人智学に影響を受け、芸術グループ「フルクサス」に参加したほか、自由国際大学を設立するなど教育にも熱心でした。

代表作には《コンサートピアノのためのホモゲン》(1966)、《20世紀の終わり》(1983)などがあります。

 

 

マルセル・ブロータス

 

コンセプチュアル・アートの芸術家は多才であるという特徴があります。ベルギー生まれのマルセル・ブロータスもその1人です。彼は大変な文才に恵まれ、芸術家であると同時に詩人でもありました。

1924年、ベルギーのブリュッセルで生まれたブロータスは早くから詩を書きはじめ、さらにベルギー在住であったルネ・マグリットと深い交流を持ちます。

 

長年詩人として活躍していたブロータスが芸術の分野に足を踏み入れたのは、1963年のことでした。

1964年、ブリュッセルで開催された初めての個展では、自作の詩集を漆喰で塗り固めた作品《考える獣》を発表し、話題になりました。言語と造形の境界への鋭い意識が視覚化されたことで、彼はコンセプチュアル・アートの芸術家として認められます。

 

また、1968年から製作された《現代美術館――鷹の部》は、美術館の持つ役割をアイロニーとともに表現し、伝統的な芸術の概念を批判しました。

デュシャンとも比較されることが多いブロータスは、実に多様に解釈ができる芸術家であるともいわれ、全体像については研究途上といった趣があります。

 

 

ピエロ・マンゾーニ

 

イタリアのコンセプチュアル・アートの代表格とされているのが、ピエロ・マンゾーニです。

マンゾーニは1923年、北イタリアのクレモナ近郊に生まれました。

 

若い頃には法学を志したマンゾーニですが、夏のバカンス先で知り合った芸術家たちの影響を受け、1956年頃から作品の制作を開始します。

当初は空間主義の創始者ルーチョ・フォンタナの影響が強かったといわれていますが、徐々にデュシャンやイブ・クラインに傾倒した作品が多くなりました。

 

代表作である《アクローム》が生まれたのは、1957年のことでした。絵の具や粘土を使用した白一色の作品群は、美醜を超越した「真実」の体現として評価されています。

ピエロ・マンゾーニの作品で忘れてはいけないのが、1961年に製作された《芸術家の糞》です。

 

これはマンゾーニ自身の排せつ物を90個の缶に詰め、4つの言語によるラベルを貼った作品です。「芸術家の糞 正味量30g」の文字がラベルに記されたうえ、マンゾーニは30gと純金と同等の価格をつけるというアイロニカルな行動も起こしています。

この作品で国際的に名前を知られるようになったマンゾーニですが、1963年、脳梗塞により30歳で早逝しています。死の直前まで作成していたのは、彼の名を世に知らしめた《アクローム》シリーズであったと伝えられています。

 

 

 

日本の代表的なコンセプチュアル・アートのアーティストと作品を紹介

 

コンセプチュアル・アートを作り出した日本の芸術家のなかには、世界で知られる有名アーティストも存在します。
日本のコンセプチュアル・アートや芸術家たちの特徴を紹介しているためご覧ください。

 

 

河原温

 

日本におけるコンセプチュアル・アートの第一人者といわれているのが、河原温です。

欧米でも高い評価を受けている河原温は、1933年に愛知県刈谷市に生まれました。1951年に刈谷高校を卒業し上京した河原温は、日本アンデパンダン展や読売アンデパンダン展に出品し、早くも注目を浴びました。

 

特に、鉛筆の素描で人体をグロテスクに表現した《浴室》シリーズ、《物置小屋の出来事》シリーズが有名です。

河原温は1959年からヨーロッパを旅行し、1965年に拠点をニューヨークへ移しました。

 

日記風の絵ハガキや、キャンバスに日付だけを書く《日付絵画》によって、独自のコンセプチュアル・アートを確立しています。日本人らしいユニークさが、彼の特徴です。

1969年に現代日本美術展で長岡現代美術館賞を受賞、2014年にはカーネギー国際展で大賞を受賞するなど、入賞歴も多い河原温は2014年に81歳で逝去しています。

 

 

荒川修作

 

1936年、名古屋に生まれた荒川修作は、戦後の日本における前衛芸術を牽引した一人です。

反芸術運動グループ「ネオ・ダダ・オーガナイザー」を結成したことでも知られています。荒川修作は1961年からニューヨークに居住、線や矢印、記号を用いて非情な詩学を感じさせる独自のスタイルを確立しました。

 

1970年代には国際的に名前が知られるようになり、世界各地で個展を開催しています。

後年、作風は平面的なものから脱却し、建築をはじめとする空間作品へと移動していきました。

 

1995年、詩人の妻マドリン・ギンズとともに岐阜県養老町に建設した《天命反転地》は大きな話題となりました。この公園は、日本芸術大賞を受賞しています。

1968年には現代日本美術展で最優秀賞、1988年にはベルギー批評家賞を受賞するなど、戦後日本を代表する芸術家といえるでしょう。

 

 

オノ・ヨーコ

 

世界で最も知名度が高い日本女性のひとりといえば、オノ・ヨーコの名前があがります。

彼女はかの有名なジョン・レノンの妻であっただけではなく、自身も音楽家であり、コンセプチュアル・アートの芸術家でした。

 

1933年に東京に生まれたオノ・ヨーコ(本名は小野洋子)は、学習院大学で哲学を、ニューヨークのサラ・ローレンス・カレッジでアートを学びました。

ニューヨークを舞台にパフォーマンス・イベントを実施し、コンセプチュアル・アートという概念が生まれる前から、日常の中に潜む想像力や人間との関係性を重視する傾向にありました。

 

彫刻やビデオなども駆使して先鋭的な表現を行ったオノ・ヨーコの作品は、特に1964年以降のものが高く評価されています。

1969年にビートルズのジョン・レノンと結婚、1969年にはジョンとともにポスターや飛行機の煙文字で反戦を訴えるという行動を起こし、脚光を浴びました。

 

1980年にジョン・レノンが亡くなった後も活動は衰えず、芸術家としてではなく、強いパブリックメッセージを活用した平和運動家としても高名になっています。

2009年にはヴェネツィアのビエンナーレ生涯業績部門において金獅子賞を、2010年にはヒロシマ賞を受賞、その幅広い活躍が世界でも認められています。

 

 

 

コンセプチュアル・アートの歴史や代表作家まとめ

 

1960年代から1970年代にかけて、多くの芸術家たちに信奉されたコンセプチュアル・アートは、物質的なものよりも、基本の概念を重視するという特徴がありました。

1910年代のデュシャンの作品が発端となり、美術への本質な問いかけという彼の問題提起は、1960年代にようやく世界で共有されることになりました。

 

コスースを筆頭に、多彩な芸術家たちが追い求めたコンセプチュアル・アートは、日本でも河原温やオノ・ヨーコによって形となっています。

哲学性さえ感じるコンセプチュアル・アート、皆さんもぜひこれらの作品に触れて、芸術のなんたるかについて思いをはせてみてください。

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