フェミニズムアートの特徴をわかりやすく解説|運動が誕生した時代背景や日本の代表的な作家も紹介
フェミニズムアートの特徴をわかりやすく解説|運動が誕生した時代背景や日本の代表的な作家も紹介
「女性尊重主義」と訳されることもあるフェミニズムの概念は、1830年頃にフランスで生まれたといわれています。
第2次世界大戦後の1960年には、アートも巻き込んだフェミニズムの一大潮流が起きます。
日本人のオノ・ヨーコはその中でも特に名前が知られた1人ですが、フェミニズムアートは70~80年代の理論の時代を経て、現代美術にも実践されています。
芸術の世界だけではなく、社会的な意味合いも大きいフェミニズムアートとは、どのような時代背景の中で生まれた運動なのでしょうか。
フェミニズムアートについて詳しくご紹介いたします。
フェミニズムアートとは?特徴を解説
フェミニズムアートは、ただシンプルに女性の手から成る芸術という意味以上の概念を有しています。
それではフェミニズム・アートは、どんな特徴を持っているのでしょうか。
フェミニズム・アートの概要について見ていきましょう。
男性中心主義視点で描かれた美術界や社会に対する問題提起、視座の転換を目的に活動が行われた
フェミニズムアートは、1960年代後半に起こった第2次フェミニズム運動と歩調を合わせるように発展した芸術の動向です。
社会の中で存在が認められてこなかった人々が平等を希求した結果、芸術の分野でも女性たちが躍進した事象を指します。
性差による経済的、政治的、あるいは文化的な不平等を排して、女性の意識やライフスタイルを転換すべく立ち上がったのが、1960年代のフェミニズムでした。
そして芸術の才能に恵まれた女性たちが、社会へのメッセージを込めた芸術、それがフェミニズムアートです。
1960年代後半に生まれたフェミニズムアートは、70年代から80年代にかけて活発に議論され、現在のアートへとつながっています。
ローラ・マルベイの論文「視覚の快楽と物語映画」がフェミニズム・アートの理論的洗練にもっとも貢献したとされる
教養や学を身につけた女性たちによるフェミニズム論は、枚挙にいとまがありません。
その中でも、フェミニズム・アートを理論的にかつ明快に著述したのが、1975年のローラ・マルベイの論文『視覚の快楽と物語映画』でした。
同論文では、男性中心の「視覚の快楽」が大衆娯楽として一般社会に定着することで、女性がいかに社会から除外されているかについて、警鐘を鳴らしたのです。
マルベイの理論と相似するものが、美術作家のシンディ・シャーマンが手掛けた作品群でした。
シャーマンは、当時のテレビやドラマの中で「狙われ」最後には「保護される」というステレオタイプの女性像を揶揄した作品で、高く評価されました。
こうしたフェミニズムアートの大きな波は、社会の変化とともに徐々に普及していったのです。
フェミニズムアートの誕生した背景や歴史
画像:Adobe Stock
激動の時代といわれた20世紀、女性たちも変動する社会の変革に参画しはじめます。
フェミニズムアートは、20世紀における社会的な動きによって誕生しました。
その大きな波を生み出した歴史の流れを追っていきましょう。
1960年代:芸術界で女性が男性と同様の権利や地位を得るために開始した
1830年代のフランスで生まれ、欧米に広がったフェミニズムの概念が、アートの世界に浸透するのは1960年に入ってのことでした。
1964年にオノ・ヨーコが行ったイベント「カット・ピース」や、ヴァリ―ー・エクスポートの《触って味わう映画》(1968)はすでに、フェミニズム色が濃厚なボディ・アート作品とみなされていました。
性差別や不平等について提起する運動を、女性たちがアートを介在させて実践し、活躍するようになったのです。
1970年代:「戦後最も影響力のある国際運動」と呼ばれるほど、フェミニズムの第二波として栄えた
フェミニズム・アートという言葉が鮮明になったのは、1960年代後半といわれています。
この時代のフェミニズムは、「戦後最も影響力のある国際運動」と呼ばれるほどの発展を遂げます。
ちなみに、アメリカで生まれたウーマン・リブの影響を色濃く受けたフェミニズム・アートは、大別すると2つの流れがあります。
ひとつは、女性の文化的あるいは身体的迫害に異議申し立てをする形式をとったもので、モダニズムの美学から拒絶されてきた装飾的なものや民族的なものを主役にしようとする動きです。
男性中心であった美術界の美の基準を、女性的な視線から修正しようとしたわけです。
シュザンヌ・レーシーによる黒マントのパフォーマンスなどが代表例とされています。
もうひとつは、精神分析等の教養を身につけた女性たちによる、社会制度や男性社会の中に定着した古い女性像からの脱却という動きです。
代表作にはメアリー・ケリーの《出産後のドキュメント》などがあげられます。
このように女性たちが自らの視点によって、男性中心であった世界に問題提起を行い、新たな時代への転換を求めたのが1960年代後半のフェミニズムであり、芸術を手段に用いる動きがフェミニズムアートといわれているのです。
1980年代末〜1990年代頭:ポスト植民地主義・多文化主義・ゲイ=レズビアン・スタディーズなどと連動し運動を活発化した
1960年代から1970年代に活発化したフェミニズムやフェミニズムアートに関する議論は、1980年代に入るとポスト植民主義やセクシュアル・マイノリティの主張、ジェンダー問題、異なる民族の共存を目指す多文化主義などへと広がっていきました。
こうした刺激を受けて、1984年にはメアリー・ケリーによる『表象とセクシュアリティに関する差異』展が開催され、注目を浴びました。
フェミニズム・アートは、21世紀に向けて大衆性や物語性、装飾性を養いつつ、芸術のポストモダンに大きく貢献しました。
表現方法も主張も多様化したフェミニズムアートは、現在進行形といっても過言ではないでしょう。
世界の代表的なフェミニズムアーティストと作品を紹介
画像:flickr photo by Mark B. Schlemmer
フェミニズムという運動を、芸術によって表現した女性たちは少なくありません。
その中でも特に高名なファミニズムアートの体現者たちをご紹介いたします。
彼女たちは、どんな技法でフェミニズムを訴えたのでしょうか。
ジュディ・シカゴ
1939年、アメリカのシカゴに生まれたジュディ・シカゴは、本名をジュディ・コーエンといいます。生地の名を名字に変えたのは、アメリカに根づいていた家父長制度への抵抗であったという説もあります。
ジュディ・シカゴはカリフォルニア大学で美術を学び、のちにカリフォルニア芸術大学にフェミニズム美術プログラムを創設しました。教育者としてもその才能は顕著でした。
ジュディ・シカゴの初期の作品は、当時の風潮に忠実な抽象画や彫刻が多かったといわれています。
1974年から1979年にかけて発表した《ディナー・パーティ》は、ジュディ・シカゴの代表作であると同時に、フェミニストアートというカテゴリーの試金石とさえいわれています。
三角形の巨大なテーブルに、歴史に残る高名な女性たちの名を記した同作品、男性中心の歴史の中で忘れ去られがちな女性たちの存在を訴え、フェミニズムアートの傑作として名を残しました。
ルイーズ・ブルジョワ
1911年、パリに生まれたルイーズ・ブルジョワは、非常に複雑な家庭環境の中で育ちました。
複雑な家庭環境の中で、若い頃には自殺未遂騒動まで起こしたブルジョワですが、生家がタペストリーの工場であったこともあり、若き時代にグラフィックデザインの技能をものにしていました。
ソルボンヌ大学で数学を専攻、のちにアメリカ人美術批評家ロバート・ゴールドウォーターと結婚し、ニューヨークに移住します。美術学校アート・ステューデンツ・リーグに入学し、製作活動を開始しました。
絵画やインスタレーションなど多岐にわたって技能を発揮したブルジョワの特徴は、蜘蛛や生殖器をテーマとした作品の中で、個性的なエロティシズムが感じられる点にあります。数学を専攻していたせいか、合理性や堅実さを秘めた作品も少なくありません。
ブルジョワがフェミニズムアートの芸術家として喧伝されたのは、1982年にニューヨーク近代美術館で開催された回顧展においてでした。回顧展をきっかけにブルジョワの作品は、ジェンダーやフェミニズムの視点で分析されることが多くなったといわれています。
精力的な活動は晩年まで続き、2003年には六本木ヒルズに《ママン》と名付けた蜘蛛の彫刻を制作しています。
メアリー・ケリー
1941年、アメリカのアイオワ州に生まれたメアリー・ケリーは、高名なコンセプチュアルアートの芸術家であり、教育者や作家としての顔も持つ多才な女性です。
アメリカのカレッジで学んだあとヨーロッパに渡り、ロンドンやフィレンツェで研鑽を積みました。
メアリー・ケリーによって、コンセプチュアルアートはフェミニズムを訴えるだけではなく、ヒューマニズムをも内包していると評価されています。
特にメアリー・ケリーのインスタレーションに見られるスケールの大きさや物語性は、女性のアイデンティティに焦点をあてたものとして、批評家たちを瞠目させました。
そのひとつが、1976年にICA現代美術館で開催された《Post Partum Document(出産後のドキュメント)》です。ケリーは息子のおむつを展示し、メディア上での議論が沸騰しました。
またマリー・ケリーのメッセージは、母と子の関係をテーマにした作品にとどまりませんでした。1984年に発表した《Interim》や1992年製作の《Gloria Patri》では、湾岸戦争をテーマに戦禍の悲劇を訴えています。
女性らしさと毅然とした理論性、両方を秘めたメアリー・ケリーの作品は、フェミニズムアートのなかでも高く評価されています。
ジェニー・ホルツァー
芸術的な技能に加えて、社会へのメッセージ性が強いフェミニズムアートを発信しているのが、ジェニー・ホルツァーです。
1950年、オハイオ州に生まれたジェニー・ホルツァーはオハイオ大学、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインで学業を修めています。
学生時代、マーク・ロスコに傾倒していたホルツァーは、1977年にニューヨークに拠点を移したのを機に、活動をコンセプチュアルアートへと移行しました。
同年に発表した、機知にとんだ警句を町に貼り付けるというパフォーマンスが、ホルツァーの代名詞となった《自明の理》シリーズです。
ホルツァーが発信する言葉は無意味に見えて深い精神性を含んでおり、パブリックスペースで繰り広げられる一種のゲリラ的なパフォーマンスが特徴です。
1990年にはヴェネツィアのビエンナーレで金獅子賞を受賞、人気と実力を不動のものにしました。
1990年代以降は、戦争とレイプをテーマにした作品を作りつつ、インターネットの世界でも活躍の場を広げています。
日本の代表的なフェミニズムアーティストと作品を紹介
画像:flickr photo by RG in TLV
頼もしいことに、日本のフェミニズムアーティストの芸術家たちはインターナショナルな知名度を有している女性が数多く存在します。
世界から注目されるフェミニズムアーティストの日本人女性をご紹介いたします。
オノ・ヨーコ
日本人として最も名前が知られた女性が、オノ・ヨーコです。
小野洋子として1933年に東京に生まれた彼女は、学習院大学で哲学、ニューヨークのサラ・ローレンス・カレッジで芸術を学びます。
1950年代にニューヨークに移り、コンセプチュアルアートの芸術家として活動を開始しました。かの有名なジョン・レノンと結婚する以前から、オノ・ヨーコは芸術的なパフォーマンスを通じて、世間に介入し問うというアートを展開し、独自の世界を構築していました。
日常の些事を救いあげ、観客と問答のようなコミュニケーションをしながら完成させていく彼女のアートは、すべてにおいて先鋭的でした。
とくに1964年に発表した《カット・ピース》は、観客がオノ・ヨーコの衣服にはさみを入れるというパフォーマンスで、フェミニズムアートの先駆けと評されました。
夫となったジョン・レノンとともにベトナム反戦運動へのメッセージを送り、そのレノンの死後も、オノ・ヨーコは単独でメッセージ性の強い美術活動を続けています。
2009年、その功績はヴェネツィアのビエンナーレでも讃えられ、生涯業績部門金獅子賞を受賞しました。
富山妙子
アメリカを舞台に華やかに活躍したオノ・ヨーコと一線を画す、日本らしいフェミニズムアートを展開したのが、富山妙子です。
1921年頭に生まれた富山妙子は、幼少期を旧満州で過ごします。満州の女学校を卒業後、来日して現在の女子美術大学に通いますが中退、女性向けに開講していた美術工芸学院に転校しました。
戦後、筑豊の炭鉱労働者をテーマにした作品を描きはじめます。やがて三井三池争議、韓国の政治犯釈放に対するメッセージ性を込めた活動で、日本におけるフェミニズムアートを牽引しました。
傍観者であることを自らに許さなかった富山妙子は、婦人解放運動や国家に抑圧される人々の姿を、シュールなタッチで描き続け、世界各国で個展を開いています。2021年に99歳の天寿を全うするまで、その活動はとどまることを知りませんでした。
富山妙子の力強いタッチと女性的な色彩は、彼女の熱い想いをそのまま映したかのようで、鑑賞する人々を惹きつけます。
草間彌生
現役のフェミニズムアーティストとして活躍し、ルイ・ヴィトンなどのブランドとコラボしたことでも知られているのが、草間彌生です。彼女の活動は21世紀に入ってから頻繁に新聞紙面などを飾るようになりましたが、その活動は1960年代から始まっていました。
1929年に長野県に生まれた草間彌生は、女学校時代からさまざまな幻覚体験があり、これが創作の源になったと語っています。(※1)
1948年に入学した京都市立美術高等学校では日本画を学んでいましたが、草間彌生の作風は独特であり、水玉や網をモチーフとした作品が見られました。
1957年、アメリカに拠点を移して以降は、彫刻、平面作品だけではなく映画や本の執筆でも才能を開花させます。とくにニューヨークの国際芸術センターやイギリスのオックスフォード美術館での個展は、世界中から注目され評価されました。
1993年にはヴェネツィアのビエンナーレに日本代表として参加、世界中でその名を冠した回顧展が開かれるほどの人気を得ています。
芸術選奨文部大臣賞、高松宮殿下記念世界文化賞、フランス芸術文化勲章オフィシエなど受賞歴も多数あります。
<引用元>
※1.小学館日本大百科全書「草間彌生」
フェミニズムアートの歴史や代表作家まとめ
フェミニズムが台頭した第2次世界大戦後、世界中の女性たちが同性の権利を主張し、アートによって社会にメッセージを送るという動きが大きくなりました。
フェミニズムアートと名付けられたこの動きは、それまで男性中心に評価されてきた美術の世界の大きな変革となっただけではなく、社会における女性の存在意義を改めて問い直す、歴史の転換点にもなったのです。
日本の女性たちもこの動向の中で、大きな役割を果たしています。
女性らしさと力強さが共存するフェミニズムアートの数々を、その歴史とともに楽しんでみてください。