フランツ・クラインとはどんな画家?アクション・ペインティングという手法で描かれた代表作品やオークションでの落札価格について解説

2023/02/07 ブログ

フランツ・クラインとはどんな画家?アクション・ペインティングという手法で描かれた代表作品やオークションでの落札価格について解説

フランツ・クライン_ペインティング NO2

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フランツ・クライン(Franz Kline)はジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)やウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning)と同じく抽象表現主義、特にアクション・ペインティングの巨匠として知られています。

 

書道を思わせるような白と黒で描かれる油彩画は現代においても人気が高く、フランツ・クラインの作品のポスターはスタイリッシュな室内装飾としても注目されています。

 

今回は、フランツ・クラインの略歴とともに、代表作品や彼の作品の世界観などについて幅広く紹介します。

 

 

 

フランツ・クラインの略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』  

 

まずは、フランツ・クラインの生い立ちや、彼が画壇に認められていく過程を順に追ってみましょう。

 

 

 

 

1910年:アメリカのペンシルべニア州ウィルキス・ベールに生まれる

 

1910年、フランツ・クラインはアメリカのペンシルベニア州ウィルキスベールに生まれました。ウィルキスベールは、ペンシルバニア州北東部にあり、フランツ・クラインが生まれた20世紀頃には石炭の採掘が非常に盛んに行われていました。

 

7歳のときに父親が亡くなったため、フランツ・クラインはひとり親世帯の優秀な子どもが通うジラード・カレッジ(Girard College)に通います。その後、1931年から1935年にかけてボストン大学で美術を学びました。  

 

 

 

1937年:ロンドンのヒースリーズ・アート・スクールに1年間留学

 

ボストン大学を卒業したフランツ・クラインは、27歳でイギリスに留学します。そしてロンドンのヒースリーズ・アート・スクール(Heatherley School of Fine Art)で1年間学びを深めました。

 

帰国後はニューヨークで百貨店のデザイナーとして働きながら、故郷を思わせるような風景画を描いて過ごします。そして1940年代の半ばに抽象表現主義の代表的な画家として知られるウィレム・デ・クーニングやジャクソン・ポロックに出会いました。

 

それがフランツ・クラインの転機となり、彼らとの出会いをきっかけに、フランツ・クラインは抽象表現の道へ足を踏み入れます。

 

 

 

1950年:イーガン・ギャラリーにて初めての個展を開催

 

1950年、フランツ・クラインはニューヨークのイーガンギャラリーで初の個展を開きました。この個展には白と黒を用いた11枚の抽象画が出品されます。そして翌年に発表したアクション・ペインティングの大型作品が注目され、抽象表現主義の画家として地位を確立することに成功しました。

 

1950年代後半のフランツ・クラインは、ヴェネツィア・ビエンナーレ(1956年、1960年)、ドクメンタ(1959年)、サンパウロ・ビエンナーレ(1957年)などの国際美術展にも積極的に参加しています。また、1956年頃からは白黒の画面にカラフルな色を加えた作品の制作を開始しました。  

 

 

 

1962年:リウマチ性心疾患のため51歳で亡くなる

 

1962年5月13日、フランツ・クラインはリウマチ性心疾患のために52歳を目前にして亡くなります。色彩のある絵画を模索する、道半ばの出来事でした。

 

フランツ・クラインが本格的に作品制作を行ったのは約10年間です。しかし、この短い期間のアーティスト活動を通して、ロバート・ラウシェンバーグやサイ・トゥオンブリーなど、多くの画家に影響を与えました。

 

 

 

フランツ・クラインの作品の世界観

 

Painting Number 2(1954年)

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

フランツ・クラインは抽象表現主義の中でも、アクション・ペインティングの画家として広く知られています。ウィレム・デ・クーニングやジャクソン・ポロックの影響を受けて抽象画を描き始めたフランツ・クラインですが、特にウィレム・デ・クーニングのアドバイスが彼に大きな影響を与えました。

 

白と黒で描かれるフランツ・クラインの作品は、特に初期の作品においては書道作品を連想する方も多いでしょう。しかし、彼が書いているのは文字ではありません。彼の作品の中では黒と白が同等の力を持っており、それらが互いに作用しあうことで独特の世界観を作り出しているのです。また、彼は自らの作品に意味を与えることを好まず、数字や関係のない短い単語を作品名として用いることが多くありました。

 

抽象表現主義の巨匠フランツ・クラインは非常に人気の高い作家で、死後も彼の作品をめぐる展覧会が世界中で開催されています。

 

 

 

フランツ・クラインの代表作品を解説

 

フランツ・クラインの代表作品を5点紹介します。5点のうち『カーディナル』は個人蔵ですが、その他の作品はメトロポリタン美術館、及びニューヨーク近代美術館に所蔵されています。  

 

 

 

黒、白、灰色(Black, White, and Gray)

『黒、白、灰色』はフランツ・クラインが1959年に制作した作品です。1965年にニューヨークのメトロポリタン美術館で行われた「アメリカ絵画の3世紀」や、1978年に同館で開催された「キュレーターへのトリビュート:ロバート・ビバリー・ヘイル」に展示されたの作品は、フランツ・クラインの代表作品として広く知られています。

 

266.7cm×198.1cmの巨大なキャンバスに、黒や白の油彩絵具を使ってダイナミックに描いた作品です。

 

*メトロポリタン美術館 / コレクション / 現代美術 / 黒、白、灰色  

 

 

 

チーフ(Chief)

 

1950年に制作されたこの作品のタイトルは『チーフ』です。鉄道好きであったフランツ・クラインのお気に入りの列車にちなんで名付けられました。白く塗られた背景に黒い線が描かれており、他の作品と比較すると曲線の存在感が目立ちます。148.3cm×186.7cmの作品です。

 

*ニューヨーク近代美術館 / アートとアーティスト / フランツ・クライン / チーフ

 

 

 

カーディナル

 

『カーディナル』は、フランツ・クラインによって1950年に制作されました。この作品のタイトルも、『チーフ』と同じくフランツ・クラインが幼い頃から知っていた列車の名前にちなんで付けられたと考えられています。201.9cm×148.5cmの背景が白く塗られたキャンバスにくっきりとした黒い線が書道を思わせる、初期の作品です。  

 

 

 

メリオン(Meryon)

 

『メリオン』には1960年のサインが入っていますが、この作品が発表されたのは1961年です。そのため、1960年に制作がスタートし、翌年に完成した作品だと考えられています。

 

『メリオン』は、19世紀フランスで活躍したアーティストのシャルル・メリオン(Charles Meryon)にちなんで制作されました。シャルル・メリオンはフランスでは著名な版画家で、精神疾患を患っていたともいわれています。

 

236cm×195cmの巨大なキャンバスに白と黒で力強く描かれたこの作品では、フランツ・クラインらしさが大いに発揮されています。

 

*ニューヨーク近代美術館 / アートとアーティスト / フランツ・クライン / メリオン  

 

 

 

黒い反射(Black Reflections)

 

1959年に制作された『黒い反射』は、フランツ・クラインの作品にしては小型といえる48.3cm×49.2cmの作品です。上述の通り、フランツ・クラインは1956年以降、白と黒では表現しきれないものを色彩で表現しようと試みました。そのため、この作品では白と黒の他にも赤や黄色などが用いられています。

 

画面の中央にある黒いかたちは、1954年に描かれた無題の絵から取り入れられました。

 

*メトロポリタン美術館 / コレクション / 近代美術 / 黒い反射

 

 

 

フランツ・クラインの代表作品「黒、白、灰色」はメトロポリタン美術館にて鑑賞可能

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

フランツ・クラインの作品の中でも特に人気の高い『黒、白、灰色』は、メトロポリタン美術館で鑑賞できます。

 

ニューヨークのマンハッタンにある世界最大級の私立美術館であるメトロポリタン美術館は1870年に開館しました。古今東西のあらゆる貴重な品を約300万点所蔵しおり、その内容は絵画、彫刻のほか楽器や衣装、武器、鎧などと幅広いことで知られます。

 

メトロポリタン美術館では『黒、白、灰色』のほかに、フランツ・クラインが初めての個展に出品した『ニジンスキー』という作品や、フランツ・クラインの作風に大きな影響を与えたウィレム・デ・クーニングの作品などもあわせて鑑賞可能です。

 

メトロポリタン美術館の公式HPはこちら

 

 

 

フランツ・クラインの作品の落札価格とその価値について

 

それでは、近年オークションにおいて高額で取引されたフランツ・クラインの作品について紹介します。

 

 

 

2017年:Sawyer|約11億3,000万円

 

2017年11月16日、フィリップス(Phillips)のオークションにおいてフランツ・クラインの『Sawyer』が約11億3,000万円で落札されました。この作品は、フランツ・クラインが1959年に制作した208.3cm×170.2cmの油彩画です。

 

フランツ・クラインは1959年のはじめにマサチューセッツ州のリゾート地ケープコッドに家を購入しました。『Sawyer』は、この海辺の町で翌年の個展に出品するために描かれた作品です。

 

*Phillips / Franz Kline / Sawyer

 

 

 

2014年:King Oliver|約30億6,700万円

 

2014年11月12日、フランツ・クラインの『King Oliver』がクリスティーズ(Christie's)のオークションにおいて約30億6,700万円で落札されました。この作品はフランツ・クラインが1858年に制作した251.4cm×196.8cmの大型作品です。

 

赤、青、緑、黄色などの鮮やかな色彩が見られる『King Oliver』は、フランツ・クラインが白と黒のみの表現から鮮やかな色彩を用いた表現に挑戦し始めたばかりの頃に描かれました。

 

この作品のタイトルはアメリカのジャズバンドで演奏したコルネット奏者の名前にちなんで名付けられています。

 

*Christie's / Franz Kline / King Oliver

 

 

 

2015年:Steeplechase|約25億6,800万円

 

2015年5月13日、クリスティーズのオークションにおいて、フランツ・クラインが制作した『Steeplechase(障害物競走)』が約25億6,800万円で落札されました。この作品はフランツ・クラインの画業がピークに達したともいえる1860年、つまり亡くなる2年前に描かれました。

 

白く塗られた204.2cm×165.1cmのキャンバスにエネルギッシュな黒い線がくっきりと描かれています。

 

*Christie's / Franz Kline / Steeplechase

 

 

 

フランツ・クラインに関する豆知識(トリビア)

 

最後にフランツ・クラインにかかわる豆知識を2つ紹介して締めくくりたいと思います。  

 

 

 

フランツ・クラインは「ニューヨーク・スクール(New York School)」の一員

 

出典元:Unsplash

 

1940年代の後半から1950年代にかけて、アメリカのニューヨークで活躍したアーティストのことを「ニューヨーク・スクール」と呼ぶことがあります。ニューヨーク・スクールに属する画家の多くは抽象表現主義の作品を残しました。

 

画家だけでなくミュージシャンや詩人などもニューヨーク・スクールの一員として数えられます。 ニューヨーク・スクールは、19世紀以降フランスのパリがアートの中心とされてきたことに対して、戦後にアメリカのニューヨークがアートの中心となったことを表現するために名付けられました。  

 

 

 

妻のエリザベス V. パーソンズは統合失調症を患うバレエダンサー

 

フランツ・クラインがのちに妻となるバレエダンサー・エリザベス V. パーソンズに出会ったのは、1937年にイギリスのロンドンに留学したときのことでした。彼女は統合失調症を患っていたといわれています。

 

フランツ・クラインが初めての個展に出品した『ニジンスキー』という作品は、妻と同じ統合失調症を患っていたロシアの著名なバレエダンサー・ニジンスキーにちなんでいます。

 

 

 

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