ゲオルグ・バゼリッツとは?逆さまの絵画で衝撃を与えたドイツ出身の画家の代表作やその価値を紹介

2023/03/11 ブログ

ゲオルグ・バゼリッツとは?逆さまの絵画で衝撃を与えたドイツ出身の画家の代表作やその価値を紹介

ゲオルグ・バゼリッツ

ゲオルグ・バゼリッツ(Georg Baselitz)は、スキャンダラスな作品で画壇デビューしたことで有名なドイツ出身の画家です。その後も「破損絵画」や「さかさまの絵画」など議論の的となるような作品を次々と発表したゲオルグ・バゼリッツは、一体どのような世界観、背景を持つ人物なのでしょうか?

 

今回は、絵画だけでなく写真や舞台芸術なども手がけており、国際的にも評価の高いゲオルグ・バゼリッツの略歴や代表作品などについて紹介します。

 

 

 

ゲオルグ・バゼリッツの略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

まずは、ゲオルグ・バゼリッツの波乱万丈な人生を振り返りながら、作風の変化を追っていきましょう。

 

 

 

1957~1963年:西ベルリン芸術学校で学び、同都市で個展を初開催

 

1938年、ゲオルグ・バゼリッツは旧東ドイツのサクソニー州にあったドイッチェバゼリッツ(現在のザクセン州カーメンツの一部)の教師の家に生まれました。本名をハンス=ゲオルグ・ケルンといいます。

 

第二次世界大戦中に幼少期を過ごしたゲオルグ・バゼリッツは、1956年より東ベルリンの美術学校に通うものの、社会主義的思想に相容れなかったため退学を余儀なくされます。翌年からは西ベルリン芸術学校に通い、アメリカの抽象表現主義をはじめとした絵画に触れて学びを深めました。

 

さらに、1961年からは出身地にちなみゲオルグ・バゼリッツと名乗るようになります。

 

1963年、ゲオルグ・バゼリッツは西ベルリンのGallery Michael Werner & Katzにおいて初めての個展を開催します。そして、この個展に出品した性的な内容を描いた作品2点が「不道徳」であるとされ、たったの2日で検察官に押収され、大きなスキャンダルとなりました。この作品をめぐる訴訟は1965年まで続きます。

 

 

 

1966年:人間や動物の体をずらして並べた「破損絵画」を制作

 

ゲオルグ・バゼリッツは、1965年から1966年にかけて荒れ果てた大地に呆然とたたずむ人を描いた「Helden(英雄)」または「Neuen Typen(ニュータイプ)」と呼ばれる連作を制作しています。

 

そして1966年にはそれを一歩推し進め「Fraktur(骨折)」というシリーズを生み出しました。それは、人間や動物の体を分割し、それを不自然にずらして並べたもので「破損絵画」と呼ばれることもあります。

 

ゲオルグ・バゼリッツによるこれら初期の作品は、幼少期に見た破壊された風景や秩序が失われた社会のあり方に影響されて生まれたものと考えられています。

 

 

 

1969年:主題をすべて反転させた「さかさまの絵画」を初めて制作

 

ゲオルグ・バゼリッツは、1969年に初めて「さかさまの絵画」を制作しました。「さかさまの絵画」とは、描かれるものとそこから連想されるさまざまな意味を切り離すために考えられた手法です。

 

ゲオルグ・バゼリッツはこの手法を使い、幼少期の自分や社会主義などにまつわる多くの絵を描きました。さまざまな生物や樹木などが「さかさまの絵画」として描かれています。

 

 

 

1972~1982年:数々の国際美術展覧会に出品し国際的な評価を確立

 

ゲオルグ・バゼリッツは、1970年代に入ると数々の国際美術展に参加します。1972年のドクメンタ(ドイツのカッセルで5年おきに行われる)を皮切りに、1975年のサンパウロ・ビエンナーレ(ブラジルのサンパウロで2年おきに行われる)、1980年のヴェネツィア・ビエンナーレ(イタリアのヴェネツィアで2年おきに行われる)などに参加しました。

 

また、1978年から1983年までカールスルーエ芸術アカデミーの教授を務めています。1982年には、ゲオルグ・バゼリッツにとって2度目のドクメンタにも参加しました。

 

 

 

1983~2003年:ベルリン美術大学教授に着任

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

1983年、ゲオルグ・バゼリッツはベルリン美術大学の教授に着任します。1983年から1988年までと1992年から2003年までの間、ゲオルグ・バゼリッツはベルリン美術大学で後進の指導にあたりました。

 

また、同年ゲオルグ・バゼリッツの大規模回顧展がイギリス、オランダ、スイスを巡回し、多くの人が美術館に足を運びました。1980年代を通して、彼の展覧会がドイツ国内でも多く催されます。

 

 

 

2004年:ボンで大回顧展を開催し、高松宮殿下記念世界文化賞を絵画部門で受賞

 

2004年、ゲオルグ・バゼリッツの大回顧展「Georg Baselitz: Pictures That Turn Your Head」がドイツ連邦共和国美術展示館(Kunst-und Ausstellungshalle der Bundesrepublik)で開催され、話題を呼びました。

 

さらに同年、ゲオルグ・バゼリッツは日本の高松宮殿下記念世界文化賞を絵画部門で受賞し、翌年には日本の栃木県立美術館でも「ゲオルグ・バゼリッツ展」が開催されています。

 

また、2007年からサンテティエンヌの近代美術館(フランス)とハンブルクの現代美術館(ドイツ)において、ゲオルグ・バゼリッツがこれまでに撮影してきた多くの写真をもとに「The Russian Pictures」展が開催されました。

 

その後もゲオルグ・バゼリッツは絵画や写真以外にも舞台芸術などに活躍の幅を広げながらアーティスト活動を続けます。2017年には80歳を迎えるゲオルグ・バゼリッツを記念して大回顧展「Georg Baselitz: The Prints 1997-2017」がル・ロックル美術館(スイス)で開催されました。

 

ゲオルグ・バゼリッツは現在スイス、ドイツ、イタリアを中心に活動を続けています。

 

*Städel Museum / STÄDELBLOG / DER JUNGE GEORG BASELITZ MALER DER ZERSTÖRTEN ORDNUNG

*SKARSTEDT / ARTISTS / Georg Baselitz

 

 

 

ゲオルグ・バゼリッツの作品の世界観

 

Georg Baselitz 画像:flickr photo by Martin Beek

 

ゲオルグ・バゼリッツは同じくドイツ出身のアンゼルム・キーファー同様「新表現主義」の画家として広く知られています。新表現主義は、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートに対する反動として生まれたムーブメントで、1970年代末から1980年代頃にかけて隆盛を誇りました。原色や荒々しい筆触がその特徴です。

 

ゲオルグ・バゼリッツの「破壊絵画」と呼ばれる初期の連作は、西ベルリン芸術学校で出会ったアメリカの抽象表現主義やヨーロッパのアンフォルメルから影響を受けて制作されたと考えられています。のちに制作した「さかさまの絵画」は、新表現主義的傾向がより強く、人物や風景を躍動感あるタッチで描いています。

 

古い意識や考えを打ち破りたいと考えたゲオルグ・バゼリッツは、特に若いころには物議をかもすようなセンセーショナルな作品を多く生み出しました。アール・ブリュット(正規の美術教育を受けていない人が制作する独創的なアート)に強い関心を抱いていたゲオルグ・バゼリッツは、社会を挑発するような鋭い感性と個性的で豊かな表現力で魅力的な作品を次々と生み出しています。

 

 

 

ゲオルグ・バゼリッツの代表作品を解説

 

それではゲオルグ・バゼリッツの代名詞ともなっている「破損絵画」「さかさまの絵画」のなかからとくに有名な作品を1点ずつ紹介します。

 

 

 

Gr. Nacht im Eimer – Heimat

 

ゲオルグ・バゼリッツが1966年に制作した『Gr. Nacht im Eimer – Heimat』は、「Fraktur(骨折)」または「破損絵画」とも呼ばれるシリーズのうちの一つです。このシリーズではキャンバスが二つ、または三つに分割されます。

 

『Gr. Nacht im Eimer – Heimat』では、三つのパートに分割されたキャンバスの上部に人間の頭部、真ん中には胴体、下部には腰から下が描かれています。それぞれが左右に少しずつずれて描かれているのが不気味に感じられることでしょう。

 

どこかうつろな人物の表情と暗い色彩からは陰鬱な印象を受ける人も多いのではないでしょうか。この作品は180cm×140cmの油彩画で、現在個人のコレクターが所蔵しています。

 

*Städel Museum / Georg Baselitz / Die Helden・30.6. - 23.10.16

 

 

 

さかさまの森

 

ゲオルグ・バゼリッツが1969年に制作した『さかさまの森(Der Wald auf dem Kopf)』は、彼が初めて制作した「さかさまの絵画」です。上下を反転させる「さかさまの絵画」は、描かれているモチーフとそこから連想される意味などを切り離したいというゲオルグ・バゼリッツの考えから生まれ、同時に彼の転機にもなりました。

 

『さかさまの森』は現在ドイツのケルンにあるルートヴィヒ美術館(Museum Ludwig)に所蔵されています。250cm×190cmのキャンバスの背景は空を思わせる青い色で塗られ、そこへ黒い樹木が上から下へとそそり立っています。

 

*Museum Ludwig / RHEINISCHES BILDARCHIV / Georg Baselitz / Der Wald auf dem Kopf

 

 

 

ゲオルグ・バゼリッツの作品は豊田市美術館にて鑑賞可能

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

1995年に開館した豊田市美術館では、19世紀後半から現代までの美術品をコレクションしています。そんな豊田美術館ではゲオルグ・バゼリッツの版画や油彩画を鑑賞できます。同じ新表現主義の画家として知られるアンゼルム・キーファーの作品も豊田美術館で鑑賞可能なので、気になる方はぜひ足を運んでみてください。

 

豊田市美術館ではギャラリーツアーやギャラリートークも盛んにおこなわれているため、その時間に合わせて訪れるのもよいでしょう。また、建築家の谷口吉生とランドスケープ・アーキテクトのピーター・ウォーカーが設計した建築と庭園も見どころのひとつです。

 

豊田市美術館の公式HPはこちら

 

 

 

ゲオルグ・バゼリッツに関する豆知識(トリビア)

 

最後に、ゲオルグ・バゼリッツにまつわるおもしろい豆知識を二つ紹介したいと思います。

 

 

 

1980年代からは木の彫刻や木版画も制作

 

ゲオルグ・バゼリッツが活躍したのは写真、絵画、彫刻、舞台芸術のジャンルだけではありません。1980年代からは彫刻作品や版画作品も手がけており、1980年に開催されたヴェネツィア・ビエンナーレには初の彫刻作品を出品しています。

 

ゲオルグ・バゼリッツの彫刻作品はあらく削った木材に色をつけたものが多く、サイズの大きいものは電動のこぎりなどを使って制作されました。これらの木の彫刻作品のうちのいくつかは、屋外で展示するため、のちにブロンズで複製されています。

 

アール・ブリュットに強い関心があったゲオルグ・バゼリッツは、アフリカ彫刻を200点以上もコレクションしていたことでも有名です。 また、版画に関してはエッチングや木版画などの制作が知られ、特に木版画は国際的にも高く評価されています。

 

 

 

絵画や彫刻に第三者の介入を許さない孤立の表現にこだわる

 

演劇、音楽、文学などあらゆる芸術に対して造詣の深かったゲオルグ・バゼリッツですが、そのなかでも絵画、彫刻は「孤立の表現」だと述べています。絵画や彫刻は演劇などとは違って一人で対峙するべきものであり、孤立なく制作されたものは芸術にふさわしくないというのが、ゲオルグ・バゼリッツの考えでした。

 

その言葉の通り、ゲオルグ・バゼリッツは自らのプライベートに画家という職業をかかわらせません。彼が描いた肖像画のうちのいくつかは妻のelkeによく似通っていますが、妻をモデルにして描いたことは1度もないと言っています。

 

 

 

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