ジャクソン・ポロックとは?ドリッピングで描かれる代表作品やオークションでの落札価格を解説

2023/01/21 ブログ

ジャクソン・ポロックとは?ドリッピングで描かれる代表作品やオークションでの落札価格を解説

ジャクソン・ポロック_ワン:ナンバー31、1950年

アクションペインティングについての詳細はこちら

 

ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)は、マーク・ロスコらと並んで抽象表現主義を代表する作家の一人です。アルコール依存症に苦しみながらもアクション・ペインティングという新しい美術様式を生み出し、美術史上に大きな功績を残しました。

 

今回は、44歳で人生の幕を閉じたジャクソン・ポロックの波乱万丈な生涯や、ドリッピングという技法を用いた彼の代表作品などについて紹介します。

 

 

 

ジャクソン・ポロックの略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

戦後のアメリカで時代の寵児となったジャクソン・ポロックの生涯を、幼少期から順を追って紹介します。  

 

 

 

1912年:アメリカ西部のワイオミング州に生まれ、アートに親しみながら育つ

 

1912年、ジャクソン・ポロックは西部劇のような街並みの残る自然豊かな町・アメリカ西部のワイオミング州コーディに生まれました。ジャクソン・ポロックは5人兄弟の末っ子でした。

 

芸術に造詣が深かった母親ステラの影響を受け、ジャクソン・ポロックはアートに親しみながら育ちます。また、父親のリロイ・ポロックはネイティブ・アメリカンの文化を訪ねて息子をよく連れ出しました。

 

 

 

1930年:ニューヨークに移り、アート・スチューデンツ・リーグのトーマス・ハート・ベントンに師事

 

ジャクソン・ポロックはロサンゼルスにあるマニュアル・アーツ・ハイスクール(Manual Arts High School)で学んだのちに、長男チャールズ・ポロックに続いてニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグ(Art Students League of New York)へ進みます。

 

アート・ステューデンツ・リーグでは壁画家で版画家のトーマス・ハート・ベントン(Thomas Hart Benton)に師事しました。トーマス・ハート・ベントンはシカゴ美術研究所やフランスのアカデミー・ジュリアンで学び、アメリカの日常生活を描く作品を多く制作した画家です。  

 

 

 

1935年~1943年頃:公共事業促進局(WPA)で働き、連邦美術計画に携わる

 

ジャクソン・ポロックは、1935年から1943年頃までWPA(公共事業促進局。失業者対策でアメリカ政府が発足させたもの)の連邦美術プロジェクトに参加しました。また、1936年にはかねてから憧れていたメキシコの壁画家デビッド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros)のワークショップに参加します。

 

シケイロスのワークショップで見た液体塗料の飛び散る様子や、大きな画面にスプレーガンやエアブラシで描くさまは、のちのジャクソン・ポロックの作風に大きな影響を与えました。

 

さらに、1938年から1942年頃までジャクソン・ポロックはアルコール依存症の治療を受けています。ユング派であった精神科医から治療の一環として絵画を描くことを勧められ、この経験もその後の彼の作風に影響を与えました。

 

ジャクソン・ポロックは1943年に、グッゲンハイム美術館の創立者ソロモン・R・グッゲンハイムの姪でアートコレクターのペギー・グッゲンハイムと、ギャラリー契約を結びます。  

 

 

 

1947年:ジャクソン・ポロックの代名詞であるドリッピング作品の制作を開始

 

1947年、ジャクソン・ポロックは彼の代名詞となっている「ドリッピング」の作品を制作し始めます。この頃から1950年までの間はジャクソン・ポロックの黄金期といえるでしょう。この3年間に描かれた絵画は非常に高く評価されています。

 

この頃のジャクソン・ポロックは、床に巨大なキャンパスを置いて穴のあいた缶から直接絵具を滴らせて作品を制作しました。また、1948年にはシュルレアリスムのアーテイストが用いたオートマティスム(自動記述)の作品を制作し、ベティ・パーソンズ画廊で行われた初めての個展に出品しています。

 

1949年、ジャクソン・ポロックはアメリカの『ライフ』誌において「現存する偉大なアメリカ画家」として取り上げられ、大いに話題になりました。

 

 

 

1950年以降:名声が高まり、プレッシャーと戦いながら作品制作を続ける

 

1951年以降もジャクソン・ポロックは新しい作風を生み出そうと模索し続けますが、なかなか思い通りにいきませんでした。また、名声が高まったことによるプレッシャーが彼を追い込み、ジャクソン・ポロックは再び酒に溺れるようになります。

 

アルコール依存症により入退院を繰り返していたジャクソン・ポロックは、1955年に『香り』と『検索』を制作し、それが彼の最後の制作活動となりました。

 

ジャクソン・ポロックは1956年8月11日に飲酒運転による交通事故を引き起こし、44歳で亡くなります。現在、ジャクソン・ポロックはニューヨーク州スプリングスのグリーンリバー墓地に埋葬されています。

 

 

 

ジャクソン・ポロックの作品の世界観

 

Jackson Pollock 出典元:flickr

 

ジャクソン・ポロックはアクション・ペインティングの祖といわれる、戦後のアメリカを代表する芸術家です。ジャクソン・ポロックの生み出したアクション・ペインティングとは、行動が重要視される芸術の様式のことをいいます。

 

アクション・ペインティングでは大きなキャンバスにまたがり、絵具を缶から直接滴らせたりまき散らしたりする「ドリッピング」や、棒などに絵具をつけて垂らす「スプラッシュ」、絵具を流しこみながら線を描く「ポーリング」などの技法で作品が制作されます。そして、でき上がった作品よりもそこに至る過程や創作行為そのものが重要視されるのがポイントです。

 

ジャクソン・ポロックの作品は、これに加えて中心や方向性が存在しない「オール・オーヴァー」の絵画であることが特徴といえるでしょう。ジャクソン・ポロックは、それまでヨーロッパが牽引してきた美術の流れに対し、アメリカ発祥の新しい流れを生み出すことに成功したのです。

 

 

 

ジャクソン・ポロックの代表作品を解説

 

続いて、ジャクソン・ポロックの代表作品を時代ごとにピックアップして、5点紹介します。

 

 

 

男と女

 

『男と女』はアルコール依存症の治療の一環として1942年から1943年にかけて描かれた作品です。1943年11月に、ペギー・グッゲンハイムのギャラリー「Art of This Century 」で開催されたジャクソン・ポロックの個展に出品されました。

 

右側にある縦長の黒い部分が男性を、左側のやや曲線的な縦長の部分が女性を表し、幾何学的な造形からはユングの影響が見て取れます。まわりの滲んだ絵具や水しぶきからは「ドリッピング」の誕生を予感させるでしょう。『男と女』は現在フィラデルフィア美術館に所蔵されています。

 

*Philadelphia Museum of Art / Collection / Male and Female  

 

 

 

壁画

 

Berlin, Jan-2016 出典元:flickr

 

この作品はペギー・グッゲンハイムの新居に飾るために制作された242.25 cm × 603.89cm × 6.35cmの大型作品です。1943年の制作で、ペギー・グッゲンハイムの新居の玄関広間に飾られました。現在はアイオワ大学スタンレー美術館に所蔵されています。

 

アメリカからヨーロッパへの移住を考えていたペギー・グッゲンハイムのため、彼女の友人で顧問でもあった芸術家のマルセル・デュシャンは、作品を壁ではなくキャンバスに描くことを提案しました。

 

ジャクソン・ポロックはこの壁画の制作が予定通りいかず、ストレスで飲酒を続け、完成は引き渡しの日の朝になったといいます。

 

*The University of Iowa / Stanley Museum of Art / Mural  

 

 

 

五尋の深み

 

1947年に制作された『五尋の深み(Full Fathom Five)』は、シェイクスピアの戯曲『テンペスト』の第1幕にあるセリフにちなんで名付けられたと考えられています。五尋(ひろ)とは約9mをあらわし、劇中では「五尋の深み」とは「水中はるか深く」という意味を持ちます。

 

この作品はドリッピングの技法が使われた初期の代表作品です。よく見ると絵具の下にはタバコの吸い殻、釘、ボタンなどが埋め込まれているのがわかるでしょう。ニューヨーク近代美術館にコレクションされている作品です。

 

*The Museum of Modern Art / Art and artists / Jackson Pollock Full Fathom Five  

 

 

 

ワン:ナンバー31、1950年

 

Jackson Pollock: Number 31 (MoMA - New York) 出典元:flickr

 

ニューヨーク近代美術館に所蔵されている『ワン:ナンバー31、1950年(One: Number 31, 1950)』は、ジャクソン・ポロックのドリッピング作品のなかでも最も優れた作品のうちのひとつといえます。

 

269.5cm × 530.8cmの巨大なキャンバスの下層は黄褐色、青、灰色で表現されており、その上を黒と白の絵具の線が縦横無尽に走っています。スピード感と力強さに加え、細部には繊細さや叙情性も感じられるでしょう。

 

ジャクソン・ポロックはこの作品に見られるように、タイトルによく数字を用いました。1950年に開催されたベティ・パーソンズ画廊での個展に出品された作品です。

 

*The Museum of Modern Art / Art and artists / Jackson Pollock One: Number 31  

 

 

 

ブルー・ポールズ

 

『ブルー・ポールズ(Blue poles)』は、ジャクソン・ポロックが新しい作風を生み出せずに苦しんでいた頃の作品です。この作品が制作されたのは1952年ですが、ジャクソン・ポロックは同年にシドニー・ジャニスの画廊に移りました。しかし、状況が好転することはなく、アルコール依存症の症状は悪化の一途をたどります。

 

白、黄色、赤褐色の色彩の上に、濃い青の太い線が切り裂くように描かれています。『ブルー・ポールズ』は、オーストラリア国立美術館に所蔵されている作品です。

 

*National Gallery of Australia / Art / Jackson Pollock Blue poles

 

 

 

ジャクソン・ポロックの作品「緑、黒、黄褐色のコンポジション」はDIC川村記念美術館にて鑑賞可能

 

ジャクソン・ポロックが1951年に制作した作品『緑、黒、黄褐色のコンポジション』は、千葉県佐倉市にある「DIC川村記念美術館」で鑑賞できます。この作品は50.8cm × 139.7cmのキャンバスに白、黒、緑、銀色などの色彩が大胆に滴り、飛び散るさまが非常に彼らしく、ジャクソン・ポロックの代表作品のひとつです。

 

DIC川村記念美術館は、大日本インキ化学工業(DIC旧社名)創業家の2代目社長であった川村勝巳によって設立されました。ジャクソン・ポロックと同じ抽象表現主義の画家であるマーク・ロスコの作品だけを展示した「ロスコ・ルーム」を設置するなど、ユニークな展示で知られています。

 

DIC川村記念美術館は他にもピカソやシャガールなどの作品を所蔵しており、20世紀美術を中心とした多彩なコレクションを持っています。興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

 

DIC川村記念美術館の公式HPはこちら

 

 

 

ジャクソン・ポロックの作品の落札価格とその価値について

 

近年、クリスティーズのオークションにおいて高額で落札されたジャクソン・ポロックの作品を、2点紹介します。

 

 

 

2020年:Red Composition|約13億7,000万円

 

2020(令和2)年10月6日、クリスティーズのオークションにおいてジャクソン・ポロックの『Red Composition』が約13億7,000万円という驚きの高値で落札されました。この作品はジャクソン・ポロックが1946年に制作した48.3cm × 60.3cmの油彩画です。

 

実はこの『Red Composition』は、ニューヨークのエバーソン美術館の所蔵品でした。エバーソン美術館は、この作品を売却した資金で有色人種のアーティストや女性アーティストなどこれまで過小評価されてきた作家の作品を取得し、コレクションの多様化を図ろうと考えたのです。

 

しかし、市民からニューヨーク州教育省に異議を唱える嘆願書が提出されたために売却がなかなか確定せず、議論の的になりました。

 

*Christie's / Jackson Pollock / Red Composition  

 

 

 

2013年:Number 16, 1949|約32億4,000万円

 

2013(平成25)年11月12日、同じくクリスティーズのオークションにおいて、ジャクソン・ポロックの『Number 16, 1949』が約32億4,000万円で落札されました。この作品はジャクソン・ポロックの全盛期である1949年に制作した作品で、青、赤、緑、黄色、オレンジ色の絵具がドリッピングによってエネルギッシュに表現されています。

 

*Christie's / Jackson Pollock / Number 16, 1949

 

 

 

ジャクソン・ポロックに関する豆知識(トリビア)

 

最後に、ジャクソン・ポロックの私生活が垣間見える興味深い豆知識を2つ紹介します。  

 

 

 

ジャクソン・ポロックの妻はアーティストのリー・クラスナー

 

死の時までジャクソン・ポロックが住んでいたジャクソン・ポロックとリー・クラスナーの家。今はアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されている。

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

ジャクソン・ポロックは、1945年に4歳年上の画家のリー・クラスナーと結婚しました。リー・クラスナーはブルックリン生まれのアーティストで、10代の頃には既に作品を発表し始めていたといいます。1942年に開催されたグループ展に参加したときに、同じく作品を出品していたジャクソン・ポロックに興味を持ち、そこから関係がスタートしました。

 

うまくいっていた2人でしたがジャクソン・ポロックのアルコール依存症の再発と浮気などで関係にひびが入ります。冷却期間を置いている間にジャクソン・ポロックは交通事故で亡くなってしまいました。 リー・クラスナーは、ジャクソン・ポロックが亡くなってからも彼の財産を管理し続け、彼の評判を守りました。

 

リー・クラスナーは自身も創作活動を続け、彼女の死後にはニューヨーク近代美術館で回顧展も開催されます。リー・クラスナーはニューヨーク近代美術館で回顧展が行われた数少ない女性アーティストとしても知られています。  

 

 

 

ジャクソン・ポロックは映画にもなっている

ジャクソン・ポロックの創作活動やリー・クラスナーとの生活を描いた『ポロック 2人だけのアトリエ』という映画作品が2003年に公開されました。監督のエド・ハリス自らジャクソン・ポロックを演じています。また、マーシャ・ゲイ・ハーデンが妻のリー・クラスナー役を演じました。

 

破天荒なジャクソン・ポロックとそれを支えるリー・クラスナーのひたむきな愛を描いた名作です。AmazonでDVDが購入できるので、興味のある方はチェックしてみてください。

 

 

 

ジャクソン・ポロックの作品は強化買取中

抽象表現主義の巨匠でありアクション・ペインティングの祖であるジャクソン・ポロックは、わずか44年の生涯のうちに大きな功績を美術史上に残しました。

 

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