ジェニー・ホルツァーの芸術作品を紹介|文字を使った不思議なアートについても解説

2023/05/16 ブログ

ジェニー・ホルツァーの芸術作品を紹介|文字を使った不思議なアートについても解説

ジェニー・ホルツァーは20世紀後半から現在にかけて活躍するアメリカのコンセプチュアル・アーティストです。彼女は、電光掲示板やポスター、チラシといったメディアにメッセージを配置する作品を制作することで知られています。1990年には第44回ヴェネツィア・ビエンナーレにて女性アーティストとして初めてのグランプリを受賞し、現代を代表する女性アーティストのひとりです。

 

また、彼女の作品に表現されるメッセージは過激でありながらも含蓄があり考えさせられるものが多いのも特徴です。人それぞれメッセージの受け取り方が異なるためにますます彼女の作品に惹かれてしまうはずです。

 

 

 

ジェニー・ホルツァーの代表的な芸術作品を紹介

 

ここでは、ジェニー・ホルツァーの代表的な作品を紹介します。具体的には、1970年代に発表されたホイットニー美術館の独立研究プログラムでの「Truisms」シリーズであったり、2010年代に発表されたアメリカの銃暴力に対する「VIGIL」が挙げられます。

 

 

1970年代

 

1970年代のジェニー・ホルツァーの作品としてはホイットニー美術館の独立研究プログラムでの「Truisms」シリーズが挙げられます。彼女はニューヨーク全域で「権力の乱用は驚きではない」や「私が望むものから私を守る」などといったメッセージを貼り付け始め、パフォーマンスアートを始めました。

 

「Trusism」とは「自明の理、分かりきっている」という意味を示します。その意味通り、この作品では、これまでの社会で分かりきっていることに対する問いかけがメッセージで表現されています。

 

 

2010年代

 

2010年代のジェニー・ホルツァーの作品では、ロックフェラーセンターのメインビルとその脇の2棟のビルの向かい合わせにメッセージを配置した作品「VIGIL」があります。これはアメリカの銃暴力に対するメッセージを表現した作品です。

 

タイトルの「VIGIL」とは、夜通しの番、覚醒、祈り、警守といった意味を示します。乱射事件に巻きこまれた高校生や家族、銃暴力の被害者からの手記や詩が建物に投影されており、理想的な言葉でない生々しいメッセージが作品の輪郭をより一層際立たせています。

 

 

 

ジェニー・ホルツァーの作品の世界観|コンセプチュアル・アート

 

ジェニー・ホルツァーの作品はコンセプチュアル・アートに該当します。コンセプチュアル・アートとは、1960年代から1970年代にかけてのミニマルアートの次に登場した端的・芸術的な意味を持つ前衛芸術運動です。

 

ジェニー・ホルツァーの作品は、文字の配置を利用してメッセージを示すことによって無意識のうちに抱える社会への不信感や違和感をたくみに表現しています。従来のアート作品では、ヴィジュアル的な要素がダイレクトにメッセージを表現していたのに対し、彼女の作品では文字を使うことによって作品のメッセージをヴィジュアルよりもさらに鮮烈に伝え、観る者を議論の場へと誘います。SNSなどによって言論が自由化している現代では、誹謗中傷などが問題になり、かえって言語化することに躊躇する動きも見られます。そのようななかで、メッセージを使ったアート作品は社会の深層部を如実に表現し、共感や批判の声を集めて問題提起させてくれることでしょう。

 

 

 

ジェニー・ホルツァーの作品は豊田市美術館にて鑑賞可能

 

ジェニー・ホルツァーの作品は、愛知県の豊田市美術館で鑑賞できます。主に同館の空間に向けて彼自身が制作した作品「豊田市美術館のためのインスタレーション」(1995年)があります。

 

住所 〒471-0034 愛知県豊田市小坂本町8-5-1
アクセス 各線豊田市駅下車
営業時間 10:30~17:30(入館は17:00まで)
料金

一般:300円(団体は250円)
高大生:250円(団体は150円)
中学生以下は無料
※企画展観覧料は内容によって異なる

公式HP https://www.museum.toyota.aichi.jp/

 

 

 

ジェニー・ホルツァーの経歴

 

ジェニー・ホルツァーは1950年にアメリカで生まれたコンセプチュアル・アーティストです。大学卒業後は電光掲示板やポスターといったメディアにメッセージを配置する作品を制作したことで有名です。1990年には第44回ヴェネツィア・ビエンナーレにて女性アーティストとして初めてのグランプリを受賞しています。

 

 

1973年:オハイオ州立大学を卒業

 

ジェニー・ホルツァーは、1950年7月29日にアメリカのオハイオ州ガリポリスに生まれました。デューク大学、オハイオ大学、ロードアイランド美術学校で学びながら芸術作品を発表していました。大学では空間芸術を学んでおり、版画や絵画を学んだのち、ロードアイランド美術学校では言葉を用いた芸術作品を制作しました。また、学生時代にはマーク・ロスコに傾倒し、彼女の抽象的な表現スタイルがジェニー・ホルツァーの後の作風に大きな影響を与えました。

 

 

1977年:ニューヨークに移住し、メディアを作品の発表手段として活用し注目を受ける

 

大学を卒業後、ジェニー・ホルツァーは26歳の時「ブルー・ルーム」にてアトリエを青一色にした作品を発表して絵画を離れました。その後、彼は1977年にニューヨークに移住して電光掲示板やポスター、チラシといったメディアを活用した作品を発表し、注目を浴びました。

 

同時期にジェニー・ホルツァーはホイットニー美術館が主宰するインデペンデント・スタディー・プログラムに選ばれて初作品「トルーイズ」を制作しました。

 

 

1980年代:知名度を得たことでスポンサーが付きさらなる大規模なプロジェクトに取り組むことが多くなった

 

1980年代にはジェニー・ホルツァーは「サヴァイバル」という作品を発表し、電光掲示板を活用しました。それ以降、彼女はシンプルなメッセージをビルの壁、広告掲示板、野球場、さらにTシャツや野球帽などに配置する作品を手がけるようになり、知名度を得るようになりました。スポンサーもついてさらに大規模なプロジェクトに取り組むことが増えました。

 

また、同時期にジェニー・ホルツァーはニューヨークのマンハッタンに位置する全米美術大学協会の加盟校であるスクール・オブ・ヴィジュアルアーツで教鞭を取りました。

 

 

1990年:第44回ヴェネツィア・ビエンナーレでグランプリを受賞

 

ジェニー・ホルツァーは、アーティストとしてのみならず教員としても活躍するほか、多くの媒体で作品を掲載することより知名度が高まりました。そのようななかで彼女は1990年に開催された第44回ヴェネツィア・ビエンナーレにて女性アーティストとして初めてグランプリを受賞しました。

 

また、1989年〜1990年にはニューヨークのグッケンハイム美術館にて本格的な作品展を開催し、独特の空間の使い方により大きな話題を呼びました。

 

 

2023年現在:ジェニー・ホルツァーは現在ニューヨーク州フージックフォールズに在住

 

その後もジェニー・ホルツァーは多くの作品を発表し続けています。1994年には日本で展覧会を開催するほか、愛知県にある豊田市美術館に向けた作品を制作するなど、日本とも関連があるアーティストです。現在はジェニー・ホルツァーは、現在ニューヨーク州のフージックフォールに在住し、今もなお権力に向けたシンプルなメッセージや、見る者をハッとさせるような含蓄のあるメッセージを制作しています。21世紀の混乱の時代を代表する女性アーティストのひとりとも言えるでしょう。

 

 

 

ジェニー・ホルツァーについての豆知識

 

ここでは、ジェニー・ホルツァーのトリビアを紹介します。彼女の作品で表現される言葉には矛盾があったり、キャリアの最初からコンセプチュアル・アーティストでなかったことが挙げられ、興味深い経歴や作風を持つアーティストと言えるでしょう。

 

 

ジェニー・ホルツァーの作品には過激で一見矛盾しているような言葉を見られる

 

ジェニー・ホルツァーの作品の特徴としては、一見矛盾しているような過激な言葉が見受けられます。豊田市美術館に向けて制作された作品には戦争、暴力、性などをテーマにした短文が配置されています。そこでは「子供は未来の希望である」「子供ほど残酷なものはない」といった矛盾した言葉が投げかけられています。一見過激な発言のように思えますが、彼女の意図としては主語は彼女自身でなく、私たちのありかたを照らし出す匿名の言葉として伝えられることを望んでいるようです。このように彼女の作品に表現されているメッセージは、一見過激のように感じますが含蓄の深いものとなっています。

 

 

最初からコンセプチュアル・アートの使い手ではなかった

 

ジェニー・ホルツァーのアーティストとしてのキャリアの原点は、絵画にありました。コンセプチュアル・アーティストとして活躍する彼女からは想像つかないでしょう。実際に彼女は大学では絵画を学んでおり、抽象画家であるマーク・ロスコに傾倒していました。ロスコの抽象表現は彼女のコンセプチュアルな作風に影響を与えていると言えるでしょう。

 

ジェニー・ホルツァーは元々絵画を描いていましたが、アトリエを青一色に塗る「ブルー・ルーム」を制作してからは絵画から離れています。

 

 

ジェニー・ホルツァーの芸術作品がもっとも真価を発揮したのは電光掲示板

 

ジェニー・ホルツァーの作品が最も真価を発揮したのは電光掲示板でした。様々なメディアにてメッセージ作品を展開していましたが、多くの一般人の目に触れるメディアであったり、その当時としては電光掲示板が比較的新しい媒体であったことがより一層彼女の作品の新奇さを際立てたのでしょう。

 

また、街の電光掲示板にごく普通のニュースと一緒にメッセージを配置することによって、歩行者が立ち止まってメッセージについて考えさせられるような作品となっているのも特徴的です。

 

 

 

ジェニー・ホルツァーの作品買取ならば株式会社獏へご相談ください。

 

ジェニー・ホルツァーは、20世紀後半から現代に活躍するコンセプチュアル・アーティストです。様々なメディアを通してメッセージを配置することで表現し、社会に対する違和感や不信感を視覚化しています。

 

当店では現在ジェニー・ホルツァー作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、絵画だけでなく、骨董や茶道具など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。