ジュディ・シカゴの芸術作品ディナーパーティーを紹介|インスタレーションアートについても解説
ジュディ・シカゴの芸術作品ディナーパーティーを紹介|インスタレーションアートについても解説
ジュディ・シカゴは、フェミニズムアートのパイオニアとして知られるアメリカのアーティストです。子供の頃よりマルクス主義者の父親のもとで育ち、それと同時にアートにも親しんでいました。大学時代にフェミニズムに興味を持ち、その後、教員としてフェミニズムアートの講義をアメリカで初めて行いました。
代表作品として1970年代の「Womanhouse」や「The Dinner Party」が挙げられます。そこでは女性の権利を主張し、大きな反響を得ました。83歳となった現在もなお精力的に活動を続けています。
ジュディ・シカゴの経歴
ジュディ・シカゴは、1939年にアメリカのシカゴで生まれたアーティストです。彼女の代表作品として、フェミニズムアートである「Womanhouse」や「The Dinner party」が挙げられます。フェミニズムに関して言及されるようになった20世紀後半から現在にかけて、半世紀以上にわたり女性の権利を守るための精力的な活動を続けています。
1944年:5歳からシカゴ美術館で芸術を学ぶ
ジュディ・シカゴは、1939年7月20日にアメリカのイリノイ州・シカゴにジュディ・シルビア・コーエンとして生まれました。父親はマルクス主義の郵便局員で、母親は元ダンサーで医療秘書として働いていました。
父親はマルクス主義でもあったようにアメリカ共産主義を支持しており、彼の影響もあったためか、ジュディ・シカゴ自身ものちにフェミニストとしてフェミニズムアートに携わるきっかけになりました。
ジュディ・シカゴは3歳頃より絵を描き始め、5歳頃より本格的に芸術を学ぶようになりました。
1960年:大学を卒業し、翌年には結婚
子供の頃より芸術に親しんできたジュディ・シカゴは、大学の進路を選ぶ際に、Art Institute of Chicagoを志望しました。しかし、申請拒否によって奨学金を得たのちカルフォルニア大学ロサンゼルス校に入学しました。
1960年に同大学を卒業したジュディ・シカゴは、大学時代に出会った夫ジェリー・ゲロヴィッツと結婚しました。彼は「ジュディ・シカゴ」に改名するきっかけとなった存在でしたが、結婚後わずか3年後に交通事故でこの世を去りました。
1970年:フレズノ州立大学で教員として働き始めた
夫の死後、ジュディ・シカゴは1970年よりフレズノ州立大学で教員として働き始めました。彼女は大学在学中よりフェミニズムに興味を持ち、教鞭を取った大学では、女性だけが参加できるフェミニズムアートの授業をアメリカで初めて行いました。その授業は男性が入れないよう、メインのキャンバスとは離れた場所で行なわれたようです。
その後ジュディ・シカゴは、カリフォルニア芸術大学の教師となり、代表作である「Womanhouse」や「The Dinner party」の制作に取り組みました。
1971年:Womanhouseという女性の内部を表した作品を発表
1971年にジュディ・シカゴは、彼女の代表作「Womanhouse」を発表しました。この作品は彼女の他にミリアム・シャピロが共同制作者となっており、フェミニズムアートで初めて展示された作品と言われています。
この作品では女性の多くが経験する家事、結婚、月経などといった出来事を中心に描かれています。この作品には「女性に働くことを実感させること」「作品制作の技術を作品を通して教えること」「アーティストとして自分の実力を試させること」の3つの目的が表現されています。
1974年~1979年:ジュディ・シカゴの代表作であるディナーパーティーを発表
また、同時期にジュディ・シカゴは代表作のひとつである「The Dinner party」を発表しました。この作品は彼女の作品の中でも最も有名で、ブルックリン美術館に収蔵されています。この作品は大変大掛かりなものとなっており、およそ5年の年月を経て、約25万ドルもの費用がかかったほか、400人のボランティアを要しました。
フェミニズムを想起させるこの作品では、女性器などがテーブルに置かれています。フェミニズムアートの中でも最も有名な作品といえるでしょう。
1990年代:ホロコースト計画やフェミニストの自叙伝など数々の書籍を出版
1980年代にジュディ・シカゴは2度目の結婚をして、23年間ニューメキシコ州ベレンで暮らしていました。1990年代より、彼女は新たな芸術活動を試みます。誕生をテーマにした「バース・プロジェクト」(1980年〜1985年)、ホロコーストをテーマにした「ホロコースト・プロジェクト:闇から光へ」(1985年〜1993年)、暴力的な男性性を追求した「パワープレイ」(1982年〜1987年)など巨大作品を制作しました。また、フェミニストの自叙伝「花もつ女」(1980年)の執筆など文章においてもその才能を遺憾無く発揮しました。
2023年現在:83歳になったジュディシカゴは現在も女性の権利を守るために 活動している
ジュディ・シカゴは2023年現在83歳となりましたが、精力的に活動しています。女性差別について議論されるようになった20世紀後半から現在にかけて、フェミニストとして女性の権利を守ることを主張しています。
半世紀にわたり女性差別に関してさまざまな議論がなされています。以前に比べると女性の社会進出が当たり前のような世界となっていますが、依然として女性差別はやみません。現代のフェミニズムについてジュディ・シカゴはどのように捉えているのか気になるところです。
ジュディ・シカゴの作品の世界観
ジュディ・シカゴの作品の世界観の特徴として「インスタレーションアート」と「フェミニズムアート」が挙げられます。女性の権利を主張する彼女の作品からは、これまでの社会の中で「当たり前」として考えられてきた男性中心の思想や概念への疑問や抵抗を感じさせられます。
ジュディ・シカゴ自身が大学でフェミニズムに興味を持ち、自らも教員として教鞭を取った際にフェミニズムアートについての講義を行いました。当時の最先端の考えであった「フェミニズム」とアート界での最先端の表現方法が融合された斬新なスタイルです。
インスタレーションアート
ジュディ・シカゴの作品を特徴づける要素として「インスタレーションアート」が挙げられます。インスタレーションアートとは、1970年代に出現した、従来の絵画作品や立体作品とは異なる表現手法で制作された作品群のことをいいます。
1970年に登場したボディアート、ランドアート、イベント、パフォーマンスといった新しい表現と並んでインスタレーションアートは区別されています。本来より設置する場所や環境、空間といった特性との関係性を問う傾向が強いインスタレーションアートですが、1970年代以降はさらに映像やサウンドも表現に加わりました。
フェミニズムアート
ジュディ・シカゴは、自身が幼い頃よりマルクス主義者の父親のもとで育ったことや、大学時代にフェミニズムに興味を持ったことより、作品にフェミニズムアートの傾向が強く表現されています。
フェミニズムアートとは字の如くフェミニズムへの関心のもとで表現された作品をいいます。アートとして隆盛したのは、1970年代後半から1980年代の欧米で、ジュディ・シカゴのほかにはシンディ・シャーマンやメアリー・ケリーらが代表的なアーティストとして挙げられます。
年代別・ジュディ・シカゴの代表的な芸術作品を解説
ここではジュディ・シカゴの年代別の代表的な作品を紹介します。1970年代は主にフェミニズムアートの代表作「Womanhouse」や「The Dinner Party」の制作に励み、1980年代には「Birth Trinity」といった作品を制作しました。また、1990年代には「Rainbow Shabbat」という教会のステンドグラスに描かれる絵画のような作品を制作しました。
そのほかにもホロコーストをテーマにした「ホロコースト・プロジェクト:闇から光へ」や暴力的な男性性を追求した「パワープレイ」といった巨大作品も同時期に制作しています。彼女の根底にはフェミニズムがあり、男性社会からの女性の解放をテーマにしていることが作品からもうかがえるでしょう。
1970年代
1970年代のジュディ・シカゴの代表作品としてフェミニズムアートの真骨頂である「The Dinner Party」が有名です。同作品は1979年にサンフランシスコ美術館にて初めて展示され、その後各国を巡回して国際的にも知られる作品となりました。
巨大な正三角形のテーブルに、神話や寓話に登場する架空の人物を含む39名の歴史上の女性著名人にささげられた晩餐会をテーマとした作品です。この作品では古代から現代にかけて歴史に名を残した女性が、ギリシャの詩人サフォーから近代の作家ヴァージニア・ウルフ、女性の選挙や教育等の権利を唱えたスーザン・アンソニーまで幅広く登場します。
晩餐会がテーマなので「最後の晩餐」のごとく食器も登場します。皿やテーブルクロスもそれぞれの座席で異なり、中には皿の上に女性器のオブジェが載っているものもあります。長らく文化の歴史から消されていた女性たちが顕になり、女性へスポットライトを当てた作品となっています。
1980年代
1980年代のジュディ・シカゴの代表作品には「Birth Trinity」(1985年)があります。女性の四肢や女性器が複雑に描かれた作品となっており、柔らかな色彩がそれらを包み込みます。また、ボールドな線描も特徴的です。従来の絵画では白人男性から見た女性が描かれていました。そのような絵画では「女性=男性に付属するもの」であったり「男性の理想像」が描かれがちでした。
しかし、ジュディ・シカゴの描く女性は、マッチョ社会が理想とする女性ではなく、あるがままの女性から見た女性の柔らかさが表現されています。従来の絵画で描かれる女性には権力が伴っていましたが、彼女の作品では神聖な存在として描かれているように思えます。
1990年代
1990年代のジュディ・シカゴの代表作品には「Rainbow Shabbat」(1992年)があります。教会のステンドグラスに描かれる聖書の1シーンのごとく、この作品では聖人が描かれます。
教会のステンドグラスでは、イエス・キリストやその周辺の聖職者にスポットライトを当てています。女性はひっそりと彼らに仕えるように描かれていますが、この作品では給仕する女性に男性たちが注目しています。
また、タイトルの「Rainbow Shabbat」にもあるようにこの作品は安息日をテーマにしています。この作品が収蔵されているブルックリン美術館のあるブルックリン地区にはユダヤ人コミュニティがありますが、彼らはこの作品をどう思うのか気になるところです。
現在ジュディ・シカゴの作品はブルックリン美術館で鑑賞可能
現在、ジュディ・シカゴの作品はブルックリン美術館で鑑賞できます。そこでは彼女の代表作である「The Dinner Party」も鑑賞できます。長い年月と莫大な費用やたくさんのボランティアを起用して制作されたこの作品には、神話や歴史に名を残した女性を見れます。
フェミニズムというと現代ではさまざまな論争がなされているため、根本にある考え方がわからなくなっているのが現状です。フェミニズムの思想が生まれた源泉とは何か、女性とはどういった存在なのか、ということを生の作品で体感してみるのも良いでしょう。
ジュディ・シカゴについての豆知識
ここでは、ジュディ・シカゴについての豆知識を3つ紹介します。彼女の代表作が発表当初世間で批判と賞賛の両方の声で分かれていたことや、一度改名していること、アートだけでなくファッションまでも影響を与えている点があります。
The Dinner Partyは当初かなり世間の間で批判と賞賛の声が分かれていた
ジュディ・シカゴの代表作である「The Dinner Party」は発表当初、世間では批判と賞賛の声で分かれていました。当時は最先端の考え方とされていたフェミニズムですが、まだ男性中心社会が今よりも根強かった時期でした。そのために保守派からは批判を浴び、革新派からは賞賛の声がありました。
この作品が発表されて半世紀経った現在、もし彼女がこのような作品を発表していたらどんな意見が出たのでしょうか。2023年現在、男女平等や性別を超えた社会の実現が謳われていますが、当時とは違った議論が展開されるかもしれません。
ジュディ・シカゴは一度名前を改名している
ジュディ・シカゴは一度改名しています。というのも、そのきっかけとなったのは大学時代に出会った最初の夫ジェリー・ゲロヴィッツの死です。夫の死をきっかけに、彼女は自身の元の名前であるジュディ・シルビア・コーエンの「コーエン」に愛着が湧かなくなってしまいました。そこで彼女は自分の名前を変えることを決意し、当時所属していた展覧会のオーナーより、彼女がシカゴ訛りの英語を話すことから「ジュディ・シカゴ」へと改名してもらいました。
ジュディ・シカゴはアートのみならず、ファッションまでにも影響を与えている
ジュディ・シカゴはアートだけでなくファッションにも影響を与えています。DIORの2020SSオートクチュール・コレクションでは「もし女性が世界を支配したならば?」をテーマに彼女とコラボレーションしています。
このコラボレーションのためにジュディ・シカゴは巨大インスタレーション「The Female Divine」を制作しました。ロダン美術館の庭園に突如出現したシェルターに入ると、ランウェイとともに並んだ挑発的な疑問が記されたバナーの数々が目に飛び込んでくる作品となっています。
ジュディ・シカゴの作品買取なら株式会社獏へご相談ください
ジュディ・シカゴはフェミニズム・アートのパイオニア的存在で、20世紀後半にいち早く男性至上主義のアートシーンに疑問を抱いたアーティストでした。彼女の作品では、男性が描けない神聖な女性の姿が表現されています。
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