松谷武判とはどんなアーティスト?具体美術協会の一員として活躍した画家の代表作品や落札価格を紹介
松谷武判とはどんなアーティスト?具体美術協会の一員として活躍した画家の代表作品や落札価格を紹介
松谷武判(まつたにたけさだ)は、1972年に解散した具体美術協会の一員でした。パリを拠点に半世紀以上にわたって活躍しており、ボンド(ビニール接着剤)を使って盛り上げたキャンバスを黒い鉛筆で塗りつぶした作品が松谷武判の代名詞となっています。
本記事では、80歳を超えてもなお精力的に作品制作に打ち込む松谷武判の代表作品や、オークションにおける驚きの落札価格について紹介します。
松谷武判の略歴
松谷武判は若い頃に病に苦しみながらも学びの手を止めず、吉原治良に才能を見出されて自らの芸術を打ち立てていきました。まずは、松谷武判の生い立ちや作風の変遷を追ってみましょう。
1937年:大阪市の阿倍野区に生まれ、10代半ばで兵庫県西宮市へ移る
兵庫県西宮市にある西宮神社
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松谷武判は1937(昭和12)年、大阪府大阪市の阿倍野区に生まれました。父親は保険会社に勤めており、松谷武判は4人兄弟の長男でした。活発な性格で、チャンバラや野球が好きな少年だったそうです。
中学校2年生のときに兵庫県の西宮市に住まいを移しますが、高校生のときに結核で入院し健康面に陰りが見え始めました。絵が好きだった松谷武判は工芸高校で日本画を学んでいましたが、健康上の理由で中退を余儀なくされます。
その後は自宅で制作を続け、二十歳のころに西宮市展日本画部に出品した作品で初めて入選を果たしました。
1960年:吉原治良に師事し、3年後には具体美術協会の会員になる
松谷武判は、1960(昭和35)年から具体美術協会のリーダ-吉原治良のもとで学び、同年第9回具体美術展に自身の作品を出品しました。具体美術協会とは「誰もやったことのないことをやれ」をコンセプトに若い美術家たちが集った前衛アーティスト集団で、今でも国内外で非常に高く評価されています。
吉原治良の言葉を受けて自分らしい表現法を模索した松谷武判は、市販されてまもない木工用ボンドを使う作品に辿り着きました。それが吉原治良に評価され、1963(昭和38)年に具体美術協会への加入が許されます。
1966年:フランス政府給費留学生として渡仏し、数多くの国際版画展で受賞
1966(昭和41)年、松谷武判はフランス政府給費留学生を選抜する第1回毎日美術コンクールでグランプリを受賞します。これを受けて当時29歳の松谷武判はフランスへ渡り、パリのアトリエで作品制作を開始しました。
松谷武判は、1967(昭和42)年にイギリス出身の銅版画家S.W.ヘイタ-(Stanley William Hayter)が運営するアトリエ17という版画工房に入り、銅版画を学びます。何年か助手を務めながら、1969(昭和44)年の後半頃からはシルクスクリーンの制作も始めました。そして、1970(昭和45)年にアトリエ17を辞し、松谷武判はパリ南部のモンパルナスに自らの版画工房を作ります。
版画制作に力を注いだ1970年代前後には、スペイン国際版画展やポーランドのクラコウ版画ビエンナーレといった数々の国際版画展で入賞を果たしました。
1980年代以降:ボンドの膨らみを鉛筆で黒く塗りつぶした作品を制作
熱心に版画制作に取り組んだ松谷武判ですが、韓国のアーティスト鄭相和(ていそうわ)の言葉がきっかけとなり、再度自らの芸術を模索します。そして1970年代後半から鉛筆を使った表現に挑戦し始め、長い紙に鉛筆の線を重ねるドローイング作品などを制作します。さらに、1980年代以降にはボンドで盛り上げたキャンバスを鉛筆で塗りつぶした、独創的な作品を制作するようになりました。
日本の画家の多くが墨を使って東洋的な思想を表現していたなかで、鉛筆を用いて自らの世界観を表現する松谷武判のユニークな試みは、大変注目を集めました。
2019年:パリのポンピドゥー・センターで個展「Takesada Matsutani」を開催
ポンピドゥー・センター
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2019(令和元)年6月26日から9月28日にかけて、パリのポンピドゥー・センターにおいて松谷武判の個展「Takesada Matsutani」が開催されました。この展覧会では新作を含め、1950年代以降に制作した作品が数多く展示されました。
ヨーロッパ最大の近現代美術館のひとつとして広く知られているポンピドゥー・センターで個展を開くのは、非常に名誉なことです。しかも、「Takesada Matsutani」展には12万人以上もの入場者が訪れて関係者を驚かせました。
1966(昭和41)年から現代に至るまで、松谷武判は半世紀以上にわたってフランスの地で制作に励んでいます。松谷武判は80歳を超えた今も自らの芸術に向き合い、精力的に活動を続けています。
*西宮市大谷記念美術館 収蔵品データベース / 松谷武判 *産経新聞 / ポンピドーで個展、美術家・松谷武判さんの漆黒の芸術
松谷武判の作品の世界観
松谷武判の画業はおもに4つの時代に分類されます。初期の「日本画時代」、吉原治良に師事した「具体時代」、渡仏して間もなくの「版画時代」、1980年代から現代にかけての「黒の絵画、インスタレーションの時代」です。
松谷武判は戦後の自由な空気のなかで、絵画においても自分の内面をどんどん表現していくべきだと考えました。そして吉原治良の「誰もやったことのないことをやれ」という言葉を胸に、自らの芸術を模索しユニークな作品を数多く生み出しました。
松谷武判の作品で特に人気が高いのが、ボンドで盛り上げたキャンバスを鉛筆で塗りつぶした「黒の絵画」と呼ばれる近年の作品です。
ボンドの膨らみや垂れる性質を使って有機的に表現されたこれらの作品は、黒鉛が持つ鈍い光や独特の色彩で私たちを大いに魅了します。どこか宗教めいた東洋的な世界観が松谷武判の作品の特徴であり、魅力であるといえるでしょう。
近年は黒だけでなく赤、緑、黄色を使った鮮やかな作品や、歴史的な建造物を使ったインスタレーション作品も制作しています。松谷武判は80歳を超えてもなお、精力的に新しい表現に挑戦し続けています。
松谷武判の代表作品を解説
それでは、松谷武判の代表作品を3つ紹介したいと思います。
Work-A 65-1
『Work-A 65-1』は松谷武判がフランスに渡る前年の1965(昭和40)年に制作されました。ボンドを使ったベージュやグレーの盛り上がりが数十個ランダムに並び、いくつかの盛り上がりには切れ目が入っています。
女性器を思わせるような造詣がエロティシズムを感じさせます。ちなみに、このような切れ目はもともとはボンドを早く乾かすために入れられていました。 『Work-A 65-1』は183.5cm×137cmの作品で、2014(平成26)年にポンピドゥー・センターが日本人友の会から受贈しました。
*Centre Pompidou / Takesada Matsutani / Work-A 65-1
作品66 生命
『作品66 生命』は1966(昭和41)年、フランスに渡る直前に制作した作品で、第17回具体美術展に出品されました。159.3cm×130.8cmの大型作品です。 ボンドで描かれた円が艶やかに盛り上がって半立体状になっています。
松谷武判は、大きなキャンバスを裏返し、ボンドを垂らしながら乾燥させてこの作品を制作しました。
*西宮市大谷記念美術館 収蔵品データベース / 松谷武判 / 作品66 生命
発芽90-7-14
『発芽90-7-14』は、松谷武判によって1990(平成2)年に制作されました。全体的に黒を基調としていますが、よく見ると作品の上半分には青い線が何本も重ねて描かれているのがわかります。そして、中央部はボンドによって大きく盛り上がっています。
『発芽90-7-14』はキャンバス、ボンド、鉛筆、水彩絵具、和紙で制作された162cm×130cmの大型作品です。
*西宮市 / 平成14年度 西宮市民文化賞受賞者功績の紹介(松谷武判さん)
松谷武判の作品は西宮市大谷記念美術館にて鑑賞可能
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
開館50周年を迎えた西宮市大谷記念美術館(兵庫県)は、昭和電極(現在のSECカーボン株式会社)の創業者大谷竹次郎からの寄贈を受けて、1972(昭和47)年に開館しました。日本近代洋画、近代日本画、フランス近代絵画を中心にコレクションしています。
西宮市大谷記念美術館では代表作品として紹介した『作品66 生命』のほか、1963(昭和38)年から1999(平成11)年にかけて松谷武判が制作した全10点の作品を鑑賞できます。
四季折々の自然が楽しめる日本庭園も、西宮市大谷記念美術館の魅力のひとつといえるでしょう。ご興味のある方、お近くにお住いの方はぜひ足を運んでみてください。
松谷武判の作品の落札価格とその価値について
近年、松谷武判の作品はオークションにおいて予想落札価格を超える高値で落札されています。そこで、クリスティーズで行われた注目の2つの取引について紹介します。
2021年:WAVE 97-2-1|約1,720万円
2021(令和3)年12月2日にクリスティーズが開催したライブオークションにおいて、松谷武判の『WAVE 97-2-1』が約1,720万円で落札されました。『WAVE 97-2-1』は、松谷武判の代名詞ともなっているボンドの膨らみを鉛筆で黒く塗りつぶして制作された作品です。サイズは162cm×130cmで、1997(平成9)年に制作されました。
『WAVE 97-2-1』は、予想落札価格が50万香港ドルから70万香港ドルであったところ、それを大きく上回る118万7,500香港ドル(約1,720万円)で落札され、話題になりました。
*CHRISTIE'S / TAKESADA MATSUTANI / WAVE 97-2-1
2019年:A Position-7|約875万円
2019(令和元)年の5月26日、同じくクリスティーズで行われたライブオークションにおいて、松谷武判が1981(昭和56)年に制作した『A Position -7』が約875万円で落札されました。この作品もボンドと鉛筆によって仕上げられていますが、『WAVE 97-2-1』よりやや小ぶりで116cm×89cmのサイズです。
『A Position -7』の予想落札価格は32万香港ドルから42万香港ドルでしたが、それを上回る62万5,000香港ドル(約875万円)で落札されました。
*CHRISTIE'S / TAKESADA MATSUTANI / A Position-7
松谷武判の作品の買取相場
松谷武判は、今もなお世界的に高く評価されている具体美術協会(1972年に解散)の会員でした。しかし、存命の作家であるため同じく具体美術協会の会員であった白髪一雄などと比べるとやや低い価格で取引されることが多いです。
ただし、ものによっては数百万円台の買取価格を提案できる場合もあります。保存状態や作品のサイズ、人気の作品かどうかで買取価格は変わってきますので、お気軽にご相談ください。
松谷武判に関する豆知識(トリビア)
最後に、松谷武判の人間関係が垣間見える2つの豆知識を紹介しましょう。
松谷武判の妻は芸術家のKate VAN HOUTEN(ケイト・ヴァン・ホーテン)
松谷武判の妻は、同じくアーティストのKate VAN HOUTEN(ケイト・ヴァン・ホーテン)です。2004(平成16)年には、兵庫県たつの市にあるガレリア アーツ&ティーにおいて「ガレリア5周年記念 松谷武判/ケイト・バン・ホウテン二人展」が開催されました。
また、2018(平成30)年にはフランスの画廊GALERIE 48が行なった『アーティストの対話、 パリ-大阪、大阪-パリ』展に2人で参加しています。
松谷武判はパリで菅井汲のシルクスクリーンを制作していた
松谷武判が渡仏して間もない1970年代、車や道路をモチーフとした作品で有名な菅井汲は、既にパリで人気の作家となっていました。この頃まだ生活が安定していなかった松谷武判は、菅井汲のシルクスクリーン制作を請け負って生計を立てていました。松谷武判はKate VAN HOUTENとともに、菅井汲のシルクスクリーンを刷っていたそうです。
菅井汲と松谷武判の交流はその後も長く続き、松谷武判の展覧会に菅井汲が訪れることもありました。
松谷武判の作品は強化買取中
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