中村政人とは?ネオポップのアーティストが制作する代表作品や略歴を紹介
中村政人とは?ネオポップのアーティストが制作する代表作品や略歴を紹介
中村政人(なかむらまさと)は村上隆や奈良美智と同じネオポップのアーティストです。2001(平成13)年の第49回ヴェネツィア・ビエンナーレではマクドナルドのロゴを大きく拡大した作品が話題を呼び、国内外で広く知られることとなりました。
今回はアーティストとしてだけでなくさまざまなプロジェクトを牽引するリーダーとしても活躍する中村政人について、略歴や代表作品などを中心に紹介します。
中村政人の略歴
まずは略歴を通して中村政人の芸術観を培ったさまざまな体験を追ってみましょう。
1963年:製材所を営む家に生まれ、木や工具と親しんで育つ
1963(昭和38)年、中村政人は秋田県の北部にある大館市(おおだてし)に生まれました。製材所を営む実家では、製材所の経営や父親が木材を加工する姿などを間近に見ながら育ちます。
高校時代から絵を描き始めた中村政人は、地元の高校を卒業したのち浪人時代を経て東京藝術大学美術学部絵画科へ進学しました。
1989年:東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻壁画を修了
東京藝術大学在学中の中村政人は、チャレンジ精神旺盛な学生生活を送りました。当時の流行であった「もの派」や「新表現主義(ニューペインティング)」からは一歩引いて、自分らしい自由な表現を模索します。
中村政人は1985(昭和60)年に初めての個展を開催し、作家活動をスタートさせました。そのまま大学院へと進んだ中村政人は1989(平成元)年に東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻壁画を修了します。
1992年:大韓民国政府招待奨学生として、韓国の弘益大学大学院の西洋画科修士課程を修了
弘益大学校
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大学院を修了した数年後、中村政人は韓国へ留学します。ここでも中村政人は自分らしい道を模索し、多くの人が留学するニューヨークやヨーロッパをあえて避けて韓国を選びました。
韓国では大韓民国政府招待奨学生(韓国で教育分野における国際交流を目的として設けられた制度)として学び、1992(平成4)年にソウルの弘益大学大学院西洋画科修士課程を修了します。
1992年~:精力的に活動を開始し、「中村と村上展」や路上展覧会「ザ・ギンブラート」などを開催
韓国から帰国した1992(平成4)年以降、中村政人は本格的に日本でのアーティスト活動をスタートします。同年に友人の村上隆とともに開催した展覧会「中村と村上展」がその幕開けとなりました。
1993(平成5)年には村上隆や小沢剛らとともに銀座で路上展覧会「ザ・ギンブラート」を開催し、翌年には新宿歌舞伎町で「新宿少年アート」を、福岡県の博多市で「博多少年アート」を続けて開催します。
1997(平成9)年にはアーティスト・イニシアティブ「Command N」を立ち上げ、アート界に新しいページを開くべく活動を行います。(「command」+「N」とはMacのパソコンで新規ページを作成するためのショートカットキーです。)また、2001(平成13)年には第49回ヴェネツィア・ビエンナーレにて日本代表も務めました。
2010年:アートセンター「3331 Arts Chiyoda」を立ち上げ、統括ディレクターとして活躍
アーツ千代田3331
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村政人はプロジェクトスペース「KANDADA」での活動を経て、2010(平成22)年にアートセンター「3331 Arts Chiyoda(アーツ千代田3331)」を立ち上げました。アーツ千代田3331は、統廃合によって使われなくなった千代田区立錬成中学校の校舎を利用して運営される施設です。
アーツ千代田3331は教室をギャラリーとして、体育館を多目的スペースとして改修し、年間を通じて多くの企画展を開催しています。中村政人はアーツ千代田3331の運営元である合同会社コマンドAのメンバーとして、アーツ千代田3331の統括ディレクターを務めています。
ちなみに、施設名の3331は、江戸一本締めの手拍子にちなんで名付けられました。 その後も中村政人は故郷の秋田県などでさまざまなプロジェクトを立ち上げ、精力的に活動を続けます。
2011(平成23)年にはその功績が認められ、平成22年度芸術選奨文部大臣新人賞(芸術振興部門)を受賞しました。
2015年:10年ぶりに開いた個展「明るい絶望」が話題になる
2001(平成13)年のヴェネツィア・ビエンナーレへの出品以来、中村政人はアーティストの活動の場、発表の場を作る活動に特に力を入れていました。そのため、ブランクを経て10年ぶりに開催された2015(平成27)年の個展「明るい絶望」には大きな注目が集まりました。
アーツ千代田3331を舞台に開催された個展「明るい絶望」では、アーティストとして歩み出したばかりの頃の中村政人が撮影した約700枚の写真から、当時の最新作となるインスタレーションに至るまでの作品が幅広く展示されました。
現在も中村政人は社会や教育と美術との関わりに焦点を当てて活動を続けています。
*3331 Arts Chiyoda |アーツ千代田 3331
中村政人の作品の世界観
中村政人は村上隆や奈良美智と同じ「ネオポップ」を代表するアーティストとして知られます。ネオポップとは1990(平成2)年頃の日本に生まれたアートムーブメントで、大衆文化を引用した作品作りを行うという点では1960年代にアメリカで流行した「ポップアート」によく似ています。「ネオポップ」という言葉自体が「新しいポップ」という意味を持っているのです。
中村政人は、後ほど紹介するような、マクドナルドのゴールデンアーチ(Mのマーク)を使った作品などを制作しました。また、中村政人の活躍は作品制作だけにはとどまらず、さまざまなプロジェクトの運営にも広がります。中村政人はアートと社会、アートと教育を結びつけるさまざまな活動に携わっています。
中村政人の代表作品を解説
それでは中村政人の代表作品を、ヴェネツィア・ビエンナーレの出品作を含めて4点紹介します。
トラウマ トラウマ
『トラウマ トラウマ』は、1996(平成8)年に開催された個展「トラウマ トラウマ」で展示された作品です。大手コンビニのCI(コーポレートアイデンティティ)であるカラーボードを並べ、アート作品として再構成しました。都市生活者とアートとの繋がりを浮かび上がらせる作品です。
秋葉原TV
『国際シティビデオインスタレーション秋葉原TV』(通称:『秋葉原TV』)は、秋葉原の電気街でテレビやパソコンのモニターをジャックして数十組の作家による映像作品を同時に流すという作品です。
この試みは1999(平成11)年、2000(平成12)年、2002(平成14)年の3回にわたって行われました。このような伝統的な表現形式とは異なるメディア・テクノロジーを用いた新しいアート作品のことを、メディア・アートといいます。
*commandN / Powwow/46 [メディア×アート×アキバ=混ぜると危険!?] コマンドN 20周年企画展 トークイベント
スキマプロジェクト
1999(平成11)年に行われた『スキマプロジェクト』では、ビルとビルの間のわずかなスキマを利用して作品を発表したり、その場所自体を作品としたりしました。現代社会への批判的な眼差しが感じられる作品です。
QSC+mV / V.V
マクドナルドのロゴ
赤地にゴールデンアーチと文字、1990年代から2000年代前半に使用
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクドナルドのロゴとして知られる「M」のマークは「ゴールデンアーチ」といいます。中村政人はこのゴールデンアーチを大きく拡大した作品を、1998(平成10)年に開催した個展「QSC+mV」で初めて展示しました。
2001(平成13)年、第49回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品した『QSC+mV / V.V』が大いに注目を集めます。中村政人は、このときゴールデンアーチを高さ約4mにまで拡大して円になるように並べ、黄色い光の満ち溢れる空間を作り出しました。
*ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館公式サイト GIAPPONE 国際交流基金 / 2001 第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ 国際美術展
中村政人が関わるプロジェクトを紹介
ここでは中村政人が社会とアート、教育とアートを繋げるべく関わっている代表的なプロジェクトを紹介します。
himming
「ヒミング」は富山県氷見市の魅力を再発見するアートプロジェクトです。ヒミングの活動に先駆けて、2004(平成16)年にアーティスト・イニシアティブ「Comand N」のメンバーを中心として『氷見クリック』という映像作品が制作されました。
『氷見クリック』は氷見市内各地で数年にわたって上映され、この取り組みの中から生まれたのがヒミングです。現在も氷見市内外の人々が協力し、展覧会やワークショップなどさまざまな試みがなされています。
ゼロダテ
中村政人の出身地 秋田県大館市
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2007(平成19)年に発足した「ゼロダテ」は、中村政人の出身地である秋田県大館市で行われるアートプロジェクトです。「日付(DATE)」を「ゼロ」にリセットしてもう一度何かを創り出し、新しい大館を想像するという意味を込めて名付けられました。
地元を愛する大館市出身のクリエイターが集まるゼロダテでは、世代や地位を越えてさまざまな活動を展開しています。この歩みは書籍『コミュニティ・アートプロジェクト ゼロダテ / 絶望をエネルギーに変え、街を再生する』にまとめられています。
わわプロジェクト
「ソーシャル・クリエイティブ・プラットフォーム わわプロジェクト」(通称:わわプロジェクト)は、東日本大震災をきっかけに生まれた創造的に活動する人たちを繋ぐプラットフォームです。一般社団法人非営利芸術活動団体コマンドNがこのプロジェクトを運営しています。
多様な支援・活動を紹介する展覧会「つくることが生きること」やさまざまな考えを共有し語り合うための「3.11映画祭」を開催し、「わわ新聞」というフリーペーパーの発行なども行っています。
美術と教育プロジェクト
美術と教育プロジェクトは、中村政人の浪人時代や留学経験を経て感じた美術教育への疑問が発端となって始まったプロジェクトです。1993(平成5)年にスタートしたこのプロジェクトでは、2004(平成16)年の「美術に教育・二〇〇四」中村政人展 ほか、さまざまな展覧会が開催されました。
また、100名を超える美術関係者へのインタビューが行われ、それらは「美術と教育・一九九七」「美術の教育・一九九九」「美術に教育・二〇〇四」などの書籍にまとめられました。
*commandN / 中村政人 美術と教育プロジェクト / 最新情報
中村政人の作品の落札価格とその価値について
近年、SBIアートオークションで落札された中村政人の作品を2点紹介します。いずれの作品も予想落札価格より大きく超えた高値で落札されているのが特徴です。
2019年:Work|25万3,000円
2019(令和元)年4月に行われたSBIアートオークションにて、中村政人の『Work』が予想落札価格5万円〜10万円を大きく超える25万3,000円で落札されました。この作品は中村政人が韓国への留学から帰国した1992(平成4)年に制作した、104.5cm×99.5cmの作品です。
2015年:mm|60万9,500円
2015(平成27)年7月、同じくSBIアートオークションにおいて、中村政人の『mm』が60万9,500円で落札されました。こちらも予想落札価格30万円〜40万円を大きく上回る落札価格でした。『mm』は、中村政人が1999(平成11)年に制作したミクストメディアです。
中村政人に関する豆知識(トリビア)
最後に中村政人にまつわる2つの豆知識を紹介して締めくくりたいと思います。
中村政人と村上隆は元アルバイト仲間
1992(平成4)年、中村政人は村上隆とともに「中村と村上展」という展覧会をソウルと大阪で開催しました。村上隆は「DOB君」や「お花」、ドラえもんとのコラボ作品などで広く知られる人気現代美術家です。
中村政人と村上隆の2人には、学生時代に東京都立川市にある芸大・美大受験予備校において講師のアルバイトをしていたという共通点があります。
現在中村政人は東京藝術大学大学院で教授として後進の指導にあたっている
美術学部正門、奥が大学美術館
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アーティスト中村政人のもう一つの顔が、教育者としての顔です。中村政人は母校である東京藝術大学で、2003(平成15)年から助教授、2015(平成27)年からは教授を務めています。現在も東京藝術大学大学院美術研究科壁画第一中村政人研究室にて、後進の指導にあたっています。
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