新表現主義(ニューペインティング)の特徴を解説|代表的なアーティストや時代背景を紹介
新表現主義(ニューペインティング)の特徴を解説|代表的なアーティストや時代背景を紹介
1980年代に登場した美術の傾向に、新表現主義(ニューペインティング)と呼ばれる様式があります。
日本では新表現主義と呼ばれていますが、各国によって呼び名が異なり、またそれぞれの国のアーティストたちも顕著な個性を持っていることで知られています。
アメリカやドイツ、イタリアを中心に興った新表現主義とは、どんな特徴があったのでしょうか。日本にもこの傾向をもつアーティストは存在したのでしょうか。
原色を使った華やかなイメージがある新表現主義について、詳しくご紹介いたします。
新表現主義(ニューペインティング)とは?特徴を解説
画像:flickr photo by pixelsniper
新表現主義(ニューペインティング)は20世紀後半の美術界に登場しました。
新表現主義をひとつのグループとしてみると、なかなか特徴がつかみにくいのが実情です。
その理由も含めて、新表現主義についてご説明いたします。
具象絵画を中心に作者の心情を表すかのような荒々しい作風のアートムーブメント
新表現主義は、1970年代の終わりから1980年代にかけて興隆した美術の傾向です。
作者の心情を表すような具象表現、原色の多用、物語性、荒々しい筆遣いなどが主な特徴です。
新表現主義は誰かが提唱して興った様式ではないため、表現方法が非常に幅広いといわれています。国やアーティストたちの個性が際立っており、各国で呼び方も異なるのです。
どの国の新表現主義においても共通していることが、1970年代のミニマル・アートやコンセプチュアルアート(概念美術)の対極にあるという点です。
モダンアートに見られる新しいものを追求する姿勢ではなく、過去のさまざまな様式を再発見する点も、新表現主義の特徴です。神話や歴史をテーマにすることも多く、この点においてはポスト・モダニズムの意識との関連も見られます。
日本語の新表現主義は、この傾向がドイツの表現主義運動を引き継ぐものと認識されたため、この名がついたといわれています。
ドイツ・アメリカ・イギリス・フランスのアート市場を中心に盛り上がりをみせた
新表現主義は、欧米のさまざまな国で盛り上がりを見せました。
既述したように、各国では呼び名が異なります。
それぞれの国でこの傾向はどのように呼ばれているのでしょうか。
各国の代表的な新表現主義のアーティストとともにご紹介いたします。
アメリカ(バッドペインティング)
ジャン・ミシェル・バスキア
デヴィッド・サーレ
ジュリアン・シュナーベル
フィリップ・ガストン
ノエル・ロックモア
イタリア(トランスアヴァングアルディア)
サンドロ・キア
フランチェスコ・クレメンテ
エンツォ・クッキ
ミンモ・パラディーノ
ニコラ・デ・マリア
ドイツ(ノイエ・ヴィルデンあるいはネオ・エクスプレッショニズム)
ゲオルク・バゼリッツ
A.R.ペンク
アンゼルム・キーファー
ルチアーノ・カステリ
マルクス・リュペルツ
イギリス(ニューペインティング)
デヴィッド・ホックニー
フランク・アウヘルバッハ
ピーター・ハウソン
レオン・コゾフ
クリストファー・ル・ブラン
フランス(フィギュラシオン・リーブル)
レミ・ブランシャール
フランソワ・ボアロン
ロバート・コンバス
エルヴェ・ディ・ローザ
パスカル・ル・グラス
新表現主義(ニューペインティング)の誕生した背景や歴史
画像:flickr photo by Martin Beek
1980年代の美術界に大きな足跡を残した新表現主義の誕生には、どのような背景があるのでしょうか。
新表現主義は、20世紀に現れたアートの傾向と無縁ではありません。
21世紀に入っても高く評価される新表現主義について、歴史や経緯を探ってみましょう。
1970年代後半:コンセプチュアル・アートへなどの反動から発生
1970年代後半に新表現主義が誕生したのは、以前に存在した美術傾向への反動でした。
その傾向とは、1960年代に要素を際立たせるために簡素を極めたミニマル・アート、1960年代半ばから10年ものあいだ欧米の美術の主流となっていたコンセプチュアル・アートのことです。
素材の要素や芸術の概念に重きを置いたこれらのアートの源流は、1910年代に活躍したマルセル・デュシャンにあるといわれています。デュシャンは既成のものもアートとなり得ることを示し、その概念はその後の美術傾向にも影響を与え続けたのです。
新表現主義は、こうしたアートの表現に対抗するように、原色や荒々しい作風が目立ちます。とはいえ、新表現主義も内面を作品にするという点では、20世紀のアートの例外ではありませんでした。
20世紀初頭にドイツで発生した表現主義は主観をテーマとしていましたが、この流れをくむものとして新表現主義の名があるのです。
1980年代中ごろ:アート市場において主流な現代美術の潮流の1つとなる
新表現主義風の作品は、1980年代に入ると若手のアーティストたちを中心に新たな潮流を起こしました。
1980年、イタリアの美術批評家アキッレ・ボニート・オリーヴァがこうした傾向を「トランスアヴァングアルディア」と名付けて以降、アート市場においても価値が認められ、現代美術のひとつとして根づきました。
人気は21世紀に入っても衰えず、新表現主義のアーティストのひとりバスキアの作品は、オークションにおいて新聞紙上をにぎわすほどの高値をつけています。
新表現主義が持つ躍動感や勢いが、成功者となり作品を買うほどの財力を身につけた人々の共感を誘うのかもしれません。
世界の代表的な新表現主義(ニューペインティング)のアーティストと作品を紹介
現在も人気が衰えていない新表現主義ですが、作品を作り出した芸術家たちの名前をご存じでしょうか。
20世紀の終わりを飾った新表現主義を代表するアーティストについて、特徴とともにご紹介いたします。
ゲオルグ・バゼリッツ
ゲオルク・バゼリッツは1938年にドイツのドレスデン近郊に生まれました。
1956年に東ベルリンの美術学校に入学、のちに新表現主義の代表といわれたA.R.ペンクと出会います。
しかし政治的な理由から追放され、西ベルリンの美術学校に転校しました。こうした理由からか、1961年に本名のハンス・ゲオルク・カーンからゲオルク・バゼリッツという名に改名しています。
1963年に行われた初めての個展で、抽象表現主義やアンフォルメルに影響を受けた個性を発揮し、物議をかもしました。切断した生物と風景画を組み合わせる「破壊絵画」と呼ばれる反体制主義の作品は、バゼリッツの代名詞となっています。
また単純な連想を嫌って、モチーフを上下反転してに描いた《逆さまの絵》(1969)は、強いタッチや色彩がいかにも新表現主義らしい特徴といえるでしょう。
ベルリンの美術学校の教授を務めるほか、1980年以降は木彫り製作も行っています。
代表作は《オルモの少女たちII》(1981)や《私たちはライン河を訪れる》(1996)などがあります。
1989 年にはフランスの芸術文化勲章シュヴァリエを授与されています。
アンゼルム・キーファー
アンゼルム・キーファーは1945年にバーデン・ウュルテンベルク州に生まれ、幼少期を森林の中で過ごしました。
1963年から欧州各国を旅行したのち、フライブルク大学で法律を学びます。しかしフランスのラ・トゥーレット修道院の美術に触れて刺激を受け、美術へと転向しました。
ヨーゼフ・ボイスに師事したキーファーは、活動初期に戦後のドイツではタブーとされていたナチズムをテーマにした作品で注目を集めました。
1971年に息子が生まれてから作風が変わり、ドイツの伝説やワーグナーの歌劇を題材とした作品を制作するようになります。
その壮大さは他に類を見ないといわれ、新表現主義らしい物語性を十二分に感じさせてくれます。藁や鉛、砂などを混ぜた立体感のある作風が、キーファーの特徴です。
キーファーは絵画だけではなく、写真や版画も製作するなど、多岐にわたって活躍しています。
代表作には《パルジファルIII》(1973)、《マルガレーテ》(1981)などがあります。
ジャン・ミッシェル・バスキア
1960年にニューヨークで生まれ、1988年に27歳の若さで亡くなったジャン・ミッシェル・バスキアは、新表現主義のアーティストの中でもっとも名が知られているといってよいでしょう。
バスキアは、プエルトリコ系の裕福な家庭に生まれ、幼少期から母とともにMoMAを訪れるなどの美術的な教育を受けます。
1976年頃から、SAMOという架空の名前でストリートの落書きを行うようになりました。
1979年、アンディ・ウォーホルと知り合い、バスキアはアートの世界にデビュー、ウォーホルはその後もバスキアの最大の庇護者であり続けました。
バスキアの名が世界的に認められたのは1981年、ディエゴ・ゴルティスが開催したグループ展「ニューヨーク/ニュー・ウェーブ」に20点の作品を展示してからでした。
ストリート風の荒々しい作風は大いに注目され、バスキアの名を一気に世に知らしめました。
しかしまだ20代であったバスキアは、黒人アーティストとしてのアイデンティと、白人中心のアート界における存在感の間で深い相克を抱えていたともいわれています。
バスキアは、1988年に薬物中毒によって27歳で亡くなりました。1996年に新表現主義のアーティストであるジュリアン・シュナーベルの映画『バスキア』によって、彼は80年代を代表する芸術家としてのイメージが定着することになりました。
ジュリアン・シュナーベル
ジュリアン・シュナーベルは、1951年にニューヨークに生まれました。画家であると同時に、映画監督としても高く評価されています。
シュナーベルはヒューストン大学卒業後に渡欧して見聞を広げたのち、1979年にキャンバスに陶器の破片を貼り付けた作品を発表して、注目を浴びました。
神話や暴力、死といったドラマチックなテーマを劇的な筆致で描き、シュナーベルは一躍アート界のスターに躍り出ました。
この「プレート・ペインティング」というスタイルはシュナーベルの代名詞であり、動物の毛皮や麻袋といった日常的な素材も、画材として使用しています。
伝統的なヨーロッパの美術の影響を受けながら、斬新な作風を確立したことがシュナーベルの功績といえるでしょう。
1980年代後半には、「カブキペインティング」という日本の歌舞伎をテーマにした美術展も開催しています。
映画監督としても卓越した存在で、前述の『バスキア』(1996)のほかに『潜水服は蝶の夢を見る』(2007)などの作品が有名です。
デヴィッド・サーレ
新表現主義のアーティストの中でも、敢然とコンセプチュアル・アートを批判したのがデヴィッド・サーレです。
サーレは1952年にアメリカのオクラホマ州に生まれました。1970年代にカリフォルニア大学で学びますが、この時期に全盛であったコンセプチュアル・アートへの嫌悪が生まれた、とサーレは語っています。(※1)
同じくコンセプチュアル・アートを批判していたシュナーベルとともに、サーレは1980年代前半から新表現主義の画家として、時代の寵児となりました。
サーレの作品は、祭壇画のように2連および3連となって画面が分かれていることが多いのが特徴です。連携する絵画を見ながら、鑑賞者が物語を構築するというスタイルです。
サーレは若い頃にドキュメンタリーのカメラマンの経験があり、これが作品に反映したといわれています。
ハイアート、ポルノ、歴史的大著、入門書など、あらゆるメディアを題材に異なるイメージを重ねるのがサーレの手法で、映像的な世界観を表現しています。
<引用元>
※1.小学館日本大百科全書(サーレ)
日本には新表現主義(ニューペインティング)をメインの作風とした作家は少ない
アメリカや欧米の一部で盛んになった新表現主義は、日本でも展開されたのでしょうか。
実は日本では、アートの動向として新表現主義が定着しませんでした。
しかし、土俗的風俗や聖書の挿絵などをモチーフにしたデザイナー横尾忠則、日本の風景をモチーフに独自の画風を確立した大竹伸朗、グラフィック界の第一人者日比野克彦らの作品に、新表現主義風の画法が垣間見られるという説もあります。
新表現主義(ニューペインティング)の歴史や代表作家まとめ
オークションにおいて高額で落札される新表現主義の作品の数々は、1970年代終わりから1980年代にかけて欧米で興った美術の潮流の中から生まれました。
バスキアやバゼリッツ、シュナーベルなどの作品は、1960年~1970年代に盛んになったコンセプチュアル・アートに相対するように、ドラマチックで荒々しい作風を有しています。
テーマそのものも壮大であった新表現主義の作品は、21世紀に入ってからも人気が衰えていません。若々しい力をもつ新表現主義の作品には、普遍の魅力があるのでしょうか。
日本では特に新表現主義のカテゴリーに入るアーティストはいませんが、横尾忠則や日比谷克彦の作品は、新表現主義の影響があるといわれています。