ヌーヴォー・レアリスムの特徴を解説|グループ結成から解散までの略歴や代表的な作家について紹介

2022/10/28 ブログ

ヌーヴォー・レアリスムの特徴を解説|グループ結成から解散までの略歴や代表的な作家について紹介

20世紀は、情報社会であり物質文明の時代でした。

この20世紀特有の現象を土台に展開されたのが、ヌーヴォー・レアリスムという美術運動です。

 

20世紀半ばの世相を写したともいえるヌーヴォー・レアリスムとはどんな特徴があるのでしょうか。当時しのぎを削っていた他の美術の動向とは、どんなかかわりがあるのでしょうか。

特徴や代表的なアーティストとともに、ヌーヴォー・レアリスムについてご説明いたします。

 

 

ヌーヴォー・レアリスムとは?特徴を解説

 

ヌーヴォー・レアリスムは、「新写実主義」あるいは「新しい現実主義」と訳される、前衛美術運動です。

 

1950年代にフランスを中心に展開されたヌーヴォー・レアリスムは、どんな特徴を持っていたのでしょうか。

今回はヌーヴォー・レアリスムの概要を説明いたします。

 

 

伝統的な技法を捨て、大量生産・消費された廃棄物を用いて作品を制作することが特徴

 

ヌーヴォー・レアリスムは、20世紀の物質文明抜きには語れません。

1950年にフランスを中心に興り、1960年に美術批評家ピエール・レスタニによって名前が付けられたヌーヴォー・レアリスムは、既製品や工業製品の廃棄物を使用し、「現実社会の論争をありのままに記録する」ことをモットーとしていました。

 

技法はさまざまでしたが、どれも伝統的な絵画や彫刻のあり方とは一線を画していたことが共通しています。

ヌーヴォー・レアリスムは絵画だけではなく、画面に物質を張り付けていくコラージュ、組み立てていくアッサンブラージュの技法もよく使われました。

 

 

クライン、セザール、アルマン、ティンゲリーなどの芸術家が運動の中心となった

 

ヌーヴォー・レアリスムは、1960年からおよそ10年、さまざまなアーティストがそのコンセプトで作品を制作しています。

主なアーティストとその特徴を見てみましょう。

 

イヴ・クライン 青色を用いたモノクロニズムの代表作家
セザール 工業廃材の圧縮や膨張で新たな彫刻を提唱
アルマン 既製品や日用品の廃材を使い風刺的な作品を制作
ティンゲリー 金属の廃品とモーターを使い芸術品を可動化
クリスト 景観を利用した巨大な梱包芸術を展開

 

 

ほぼ同時期にアメリカにて行われた芸術運動「ネオ・ダダ」と共通する傾向がある

 

ヨーロッパでヌーヴォー・レアリスムが盛んになった時期、アメリカではネオ・ダダ(新しいダダイズム)という芸術が活発化していました。

 

ネオダダは、身近にある日用品をモチーフにすることが特徴で、ジャスパー・ジョーンズの初期の作品や、コンバイン・ペインティングで有名なロバート・ラウシェンバーグなどが、ネオ・ダダの代表とされています。

コンセプトが似ていることから、ヨーロッパのヌーヴォー・レアリスムとネオ・ダダは作風が共通する傾向があり、2つのグループは合同展も開催しています。

 

 

ヌーヴォー・レアリスムの誕生した背景や歴史

 

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画像:flickr photo by Roͬͬ͠͠͡͠͠͠͠͠͠͠͠sͬͬ͠͠͠͠͠͠͠͠͠aͬͬ͠͠͠͠͠͠͠ Menkman

 

生活からあふれたものを使って、冷徹にあるいは風刺的にさまざまなものを表現したヌーヴォー・レアリスムは、どんな歴史の中から生まれたのでしょうか。

ヌーヴォー・レアリスムが誕生した歴史を、社会的背景とともに説明いたします。

 

 

1960年:美術評論家ピエール・レスタニがフランスで9名から成る芸術家グループを結成、「ヌーヴォー・レアリスム」の宣言書を発表

 

ヌーヴォー・レアリスムという動きは、1950年代のフランスに起源があるといわれてます。

正式に芸術家グループが発足したのは、1960年のことでした。

 

ミラノのアポリネール画廊において、フランスの批評家ピエール・レスタニが宣言文を発表し、ヌーヴォー・レアリスムが誕生したのです。

ピエール・レスタニの宣言文に署名したのは、レイモン・アンス、アルマン、ジャック・ド・ラ・ヴィルグレ、イヴ・クライン、ダニエル・スペーリ、ジャン・ティンゲリー、フランソワ・デュフレンヌ、マルシャル・レイスの8人でした。

 

レスタニは、表現スタイルが異なるアーティストたちを巧みにまとめて、ヌーヴォー・レアリスムという流れへと導きました。いずれの作家たちも、大量消費社会から拒絶された廃品を使用したという特徴があります。

 

のちにヌーヴォー・レアリスムのモットーに共鳴したセザール、ミンモ・ロテッラ、ニキ・ド・サン・ファル、ジェラール・デシャン、クリストも加わり、活動はさらに活発になりました。

 

 

1960年代前半:各地でグループ展覧会を開催

 

ヌーヴォー・レアリスムが活動したのは、1960年から1970年までの10年ほどでした。

その間、短くも激しい運動を繰り広げたことが、各地で開催した美術展からも伺えます。

 

結成後まもなく、1960年11月に行われた「アヴァンギャルドの祭典」が皮切りとなりました。1961年には、パリのJ画廊にて「ダダの上 40゜」、1962年にニース・フェスティバルおよびニューヨークのニュー・ニアリスツ」、1963年にミュンヘン、そしてサン・マリノ・ピエンナーレと続き、世間を瞠目させました。

 

ヌーヴォー・レアリスムにおいて、評価が高い美術展は1960年代前半に集中しています。これは、ヌーヴォー・レアリスムにおいて中心的存在であったイヴ・クラインの死と関係していると言われています。

 

 

1970年:ミラノで開催された展覧会を最後に運動は終わりを迎える

 

ヌーヴォー・レアリスムの活動を締めくくる1970年の『凱旋展』は、発足の場であったミラノで開催され、活動に終止符を打ちました。

 

1962年、ヌーヴォー・レアリスムの旗手として評価されつつあったイヴ・クラインが34歳の若さで急逝後、グループの求心力が弱まったことは否めなかったようです。

1970年にミラノのロトンダ・デッラ・ベサナで行われた最後の美術展では、早逝したクラインへのオマージュも捧げられています。

 

 

 

世界の代表的なヌーヴォー・レアリスムのアーティストと作品を紹介

 

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画像:flickr photo by ellevalentine

 

ヌーヴォー・レアリスムの作家たちは、1960年代のヨーロッパを中心に活発に活動したことで知られています。彼らはそれぞれ、どんな作風や特徴を持っていたのでしょうか。

ヌーヴォー・レアリスムの作家をご紹介いたします。

 

 

イヴ・クライン

 

ヌーヴォー・レアリスムを代表する作家イヴ・クラインは、深い青色の彫刻やモノクローム絵画が高く評価されています。

1928年、フランスのニースに生まれたクラインは美術教育を受けたことがなく、神秘思想を学んだり東洋の思想に興味を持ち、1952年には来日して講道館で柔道を修めたというユニークな記録も残っています。

 

クラインが芸術家として注目を浴びたのは1958年、パリにおいてなにも展示しない「空虚展」を開催してからのことでした。

モノクロニズムにこだわり続けたクラインは、自然の力を画面に表現したり、人体プリントを作品にしたりと、これまでにない新しい試みを実践し、ヌーヴォー・レアリスムに大きな影響を与えました。

 

クラインは1962年に心臓発作により34歳で急逝し、ヌーヴォー・レアリスムの活動は結束力を失ったともいわれています。

クラインが作品で使った青色は、インターナショナル・クライン・ブルーと呼ばれ、今も多くの人に愛されています。

 

 

セザール・バルダッチーニ

 

鉄や車の車体など、硬質な素材を使ったアートで有名なのが、セザール・バルダッチーニです。

バルダッチ―ニは1921年にマルセイユに生まれ、同地やパリの美術学校で長年にわたり研鑽を積みました。

 

1954年に初めての個展を開いてからは精力的な制作活動を続け、ヌーヴォー・レアリスムの仲間入りをしています。

バルダッチーニは、初期には鉄を多く使った理知的な作品を発表していました。60年代以降、ヌーヴォー・レアリスムに参加してからは、車体を圧縮するコンプレシオンで注目を浴びます。

 

1966年からは合成樹脂を使ってフォルムを作るエクスパンシオンによって、彫刻の世界に新たな風を起こしました。

1960年代後半からは、擬人化した巨大なオブジェの作品が多くなります。その中でも《親指》は、バルダッチーニの代表作として日本の美ヶ原高原美術館でも鑑賞できます。

 

 

アルマン

 

ヌーヴォー・レアリスムの芸術家たちの中でも、メッセージ性の強さが印象的な作家が、アルマンです。

アルマンは1928年にフランスのニースで生まれ、1950年代から「Cachets」と呼ばれるスタンプ絵画の製作を始めたといわれています。

 

ヌーヴォー・レアリズム結成当初からのメンバーであったアルマンは、ダダイズムやキュビズムから発想を展開させて、既製品や廃品を重ねたり壊したりという作風により、独自性を構築した彫刻家でした。

特に第二次世界大戦後に世界を席巻した大量消費主義を批判する作品が多く、破壊された物体をオブジェとして使用した《怒り》シリーズは彼の代表作となっています。

 

ヌーヴォー・レアリスム解散後はアメリカに渡り、新品も活用した集積の美術を製作し続けました。

代表作には《長期間駐車》(1982)、《平和への希望》(1995)などがあります。

2017年には、ローマでアルマンの大規模な回顧展が開催されています。

 

 

ジャン・ティンゲリー

 

ヌーヴォー・レアリスムに精通していなくても、見た人に無邪気な歓声をあげさせるような魅力ある作品を作ったのが、スイスの芸術家ジャン・ティンゲリーです。

1925年にフリブールに生まれたティンゲリーは、バーゼル美術学校で学んだあと、パリに出て活躍しました。1957年に発表した《メタ・メカニック》は、稼働する装置によって芸術を視覚化するという新しい試みで、新たな技法を構築しています。

 

モーターを使ったアートは、ティンゲリーの代名詞となっていきますが、廃品の寄せ集めであったこれらの機械は整合性はなく、アイロニーの要素も含んでいるのが特徴です。

1960年には、パフォーマンスで《ニューヨーク賛歌》を行い、高い評価を受けました。

 

ヌーヴォー・レアリスムにおいては、66年にド・サン・ファールと共作した《hon》がよく知られています。ヌーヴォー・レアリスム解散後、ティンゲリーはドン・サン・ファールと結婚、彼女との共同制作もいくつか残しました。

パリに残る《ストラヴィンスキーの泉》(1983)はそのひとつです。

 

 

クリスト

 

ブルガリア人のクリストは1935年、ガブロヴォに生まれました。首都ソフィアやプラハ、ウィーンで芸術を学び、1958年からパリで活躍した芸術家です。

マン・レイに影響を受けたといわれるクリストの作品は、当初樹木の一片や日用品を布で包むという作風に特徴がありました。

 

ヌーヴォー・レアリスムに参加し、1960年代後半からは梱包する対象が山や都市の景観へとスケールアップしていきます。

1964年からアメリカに移住したクリストは、フランス人の妻ジャンヌ・クロードと強い絆で結ばれており、夫妻はランド・アートの代表としてその名を世界に知られるようになります。

 

ベルリン美術館の建物や、イタリアのスポレートの塔、フロリダの海に点在する11の島、コロラド渓谷など、これまでクリストがアートの対象としてきた景観は多岐にわたっています。

1991年には日本でも、「アンブレラ・ブロジェクト」が開催されています。

 

1995年には世界文化賞の彫刻部門で初の夫婦としての受賞を果たし、それまでの功績が讃えられました。

 

 

 

日本にはヌーヴォー・レアリスムをメインの作風とした作家は少ない

 

ヨーロッパを中心にさまざまな芸術家が活動を行ったヌーヴォー・レアリスムですが、日本のアート界はこの潮流に乗った様子が伺えません。

ヌーヴォー・レアリスムをうたった作家の情報はほぼなく、その存在が確認されていないというのが現状です。

 

 

 

ヌーヴォー・レアリスムの歴史や代表作家まとめ

 

20世紀のアートといえば、大国アメリカを中心に抽象作家たちが活躍したというイメージがあります。

しかしヨーロッパでは、1960年代から大量消費主義を揶揄するかのようなヌーヴォー・レアリスムが興り、短期間ながら濃い活動で世間の注目を集めました。廃棄された物を使用することが多かったヌーヴォー・レアリスムは、現実や環境への関心を喚起することがその目的であったとされています。

 

まるで現代社会に先駆けたようなヌーヴォー・レアリスム、そのモットーに共感する人は今も多いことでしょう。

世界各地に残された彼らの作品を、現代人としてぜひ鑑賞してみてください。

 

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