プロセスアートの特徴を解説|略歴や代表的な作家について紹介
プロセスアートの特徴を解説|略歴や代表的な作家について紹介
アートとは、完成した作品を愛でるだけではありません。
さまざまな素材を使用した作品制作において、完成にいたるプロセスを大事にするという美術のカテゴリーが存在します。
それがプロセスアートです。
プロセスアートは美術史の中でどのような位置づけにあり、どんな意味を持っているのか。
そして日本には、プロセスアートを実践したアーティストは存在するのでしょうか。
その歴史や、代表的な作家についてご紹介いたします。
プロセスアートとは?特徴を解説
現代アートのカテゴリーのひとつ、プロセスアートとはどんな特徴を持っているのでしょうか。
また、プロセスアートの原点はいったいどこにあるのか。
プロセスアートに使われた素材や表現方法とともに、詳しくご説明いたします。
完成した状態の作品よりも制作の「プロセス」に重きをおく芸術傾向
プロセスアートとは、芸術の完成作を鑑賞するだけではなく、製作の「プロセス」に注目し、素材や技法を感じとるアートを指します。
フェルトやラテックス、ワックスなどを素材にする場合が多く、この観点から見ても伝統的なアートとは様相を異にしています。
可鍛性のある素材を使用することで芸術作品の継続的な変化に重きを置き、あらかじめ構成や予定をした体験ではなく、偶然性や偶発性を大事にするのも、プロセスアートの重要なコンセプトとされています。
ロバート・モリスは作品制作のプロセスや時間・素材を重視する「アンチ・フォーム」を提唱
プロセスアートの代表的な作家のひとりが、ロバート・モリスです。
ロバート・モリスが1968年に発表した評論『アンチ・フォーム』は、プロセスアートの真髄を伝えています。
アンチ・フォームとは、ミニマリズムに見られる幾何学形態を解体し、重力や自然の力による偶発性を重んじるスタイルです。そのため、ポスト・ミニマリズムの一環とされることもあります。
ロバート・モリスは、部屋に散乱する木や金属、壁に垂れ下がるフェルトの布、地面から噴き出す蒸気など、不確定の形を持つものを知覚するというコンセプトを主張し表現しました。
アンチ・フォームの傾向は、ロバート・モリスと同世代のリチャード・セラをはじめとするアーティストにも見ることができます。
プロセスアートの誕生した背景や歴史
画像:flickr photo by Trevor Cox
作品制作のプロセスや素材を重んじるプロセスアートは、どんな歴史を背景に生まれたのでしょうか。
1960年代当時のアート界の風潮とともに、プロセスアート誕生と歴史の経緯を追っていきます。
1960年代半ば:アメリカとヨーロッパを中心にプロセスアートが盛り上がりを見せる
プロセスアートが盛り上がりを見せ始めるのは、1960年代も半ばを過ぎた頃です。
アメリカでは抽象表現主義においてポロックのドリッピングなどが注目され、ヨーロッパでは水や土など素朴な素材を使ったアルテ・ポヴェラが生まれていた時代です。
素朴な素材、自由で開放的な表現方法、伝統的な絵画との決別など、プロセスアートの要素が時代の先端を行くようになっていました。
1969年:ホイットニー美術館にて「アンチ・イリュージョン 手続き/素材」展が開催
プロセスアートの展開の中で重要な役割を果たしたのが、1969年にホイットニー美術館で開催された「アンチ・イリュージョン 手続き/素材」展でした。
この展覧会では、アート作品が持つ幻影的な効果は排除し、素材やその動き、作品制作の過程をそのまま作品とした点が、プロセスアートの体現とされたのです。
モリスやセラをはじめ、音楽家のフィリップ・グラス、映像画家のマイケル・スノウも参加し、あらゆる観点からプロセスアートを追求した展示会として有名です。
前年にモリスによって提唱された『アンチ・フォーム』論とともに、プロセスアートを世界に知らしめたイベントでもありました。
2022年:日本人アーティストの「はるアトリエ」が作品の制作過程の動画を「プロセス・アートNFT」としてオークション販売
1960年代から1970年代にかけて盛んになったプロセスアートですが、現代の日本においてプロセスアートを実践し、販売しているアーティストがいます。
プロセスアートの対象が映像や音楽にも及ぶことは既述しましたが、日本人アーティスト「はるアトリエ」が製作するのは動画です。
そのメイキング過程をNFT化し、若い世代も気軽にアートに触れることができるというプロジェクトです。2022年だからこそ可能になった、新たなプロセスアートの形といえるかもしれません。
プロセスアートは決して過去のものではなく、あらゆる形をとりながら現代も進行中であることを、この企画が証明しています。
【プロセス・アートNFT】はるアトリエの作品が生まれる過程の動画をNFTとしてHEXA(ヘキサ)でオークション販売
世界の代表的なプロセスアートのアーティストと作品を紹介
画像:flickr photo by Ed Schipul
プロセスや素材感を重視するプロセスアートを実践したアーティストたちは、それぞれどんな作風を持っていたのでしょうか。
プロセスアートの世界に名をはせた代表的な作家をご紹介いたします。
ロバート・モリス
プロセスアートというアートの傾向に多大な影響を与えたのが、ロバート・モリスです。
1931年、アメリカのミズーリ州に生まれたロバート・モリスは、カンザス大学、カンザスシティ美術研究所、カリフォルニア美術学校、リード大学、ハンター・カレッジなどで学び、初期には抽象表現主義の作品を作っていました。
哲学や即興劇も学んだ多才なモリスは、幾何学を基調とした巨大な彫刻をてがけ、ミニマル・アートの代表作家となっていきます。
しかし1960年半ば、モリスはそれまでの作品を一変させます。アーティストの行為ではなく、鑑賞者の知覚も意識した作品を作り出し、プロセスアートの先駆けとなったのです。
1970年代には迷路を題材にした作品、黙示録をテーマにした重々しいレリーフなど、モリスの作風は変化を続けます。
しかしその根本にあったのは、論理的かつ知的に物事の本質を極めるという姿勢であり、得手としていた執筆やダンスのパフォーマンスもその一環といわれています。
ハンス・ハーケ
プロセスアートを手段として、強烈な社会派としての姿勢を貫いているのがハンス・ハーケです。
1936年、ドイツのケルンに生まれたハーケは、カッセルやパリ、アメリカのテンプル大学で美術を学びました。
1965年から活動の拠点をニューヨークに定めたあと、水や動植物の現象を捉えるプロセスアートを手掛けるようになりました。水蒸気が氷となる現象を作品とした《氷の柱》(1966)はその代表作です。
1970年代に入ると、アパルトヘイト問題や企業と美術の癒着、ネオ・ファシズムを対象として問題提起を行い、社会派アーティストとして名が知られるようになりました。
厳格な思想から生まれるハーケの作品は見る人を浄化するような力があり、1993年にはヴェネツィアのビエンナーレで金獅子賞を受賞するなど、国際的な評価も安定しています。
金獅子賞を受賞した作品《ゲルマニア》は、社会派でありながら優れたアーティストであることをいかんなく発揮したとされています。
ハーケはまた自身のスケッチを売買しないことで、資本主義に加担しない姿勢を貫いています。
ラファエル・フェレール
1933年、プエルトリコのサン・フアンに生まれたラファエル・フェレールは、画家、彫刻家、そして教育者としての顔を持ちます。
若い頃はアメリカの学校で学び音楽への興味をもったフェレールですが、1953年になるとプエルトリコへ帰国し、亡命中だったシュルレアリズムの芸術家グラネルと出会います。これを契機にフェレールはヨーロッパやアメリカを訪れ、芸術家としての活動を開始しました。
故郷のプエルトリコをテーマにした初めての個展を1961年に開催したフェレールは、1960年代半ばからプロセスアート寄りの作品を生み出すようになります。その作風の特徴は、自然の素材を用いた刹那的な点にあります。
1970年代に入ると、フェレールのテーマは海へと移り、ストーリー性を感じる作品が多くなりました。プエルトリコを感じさせる鮮やかな色彩の作品があるいっぽうで、プロセスアートの真骨頂ともいうべきシンプリシティを極めた作品もあります。
フェレールのこれらの作品は、ホイットニー美術館やフィラデルフィア美術館で鑑賞できるほか、各地の美術展で高い評価を得ています。
フィラデルフィア芸術大学で教鞭をとるなど、後進の育成にも寄与しているアーティストです。
リチャード・セラ
プロセスアートといえば、ロバート・モリスと並び称される存在、それがリチャード・セラです。
セラの作風の特徴は、素材感が重厚な鉄製の巨大な作品に見ることができます。
1939年、サンフランシスコに生まれたセラは、カリフォルニア大学やイェール大学で建築や美術を学びながら、鉄工場のアルバイトで鉄に関する知識を得ました。
1960年代半ばにはネオン管やゴムを使った作品を製作しますが、1968年から鉄や鉛を生かしたセラの独自性が顕著になりました。
薄い鉛を使った《巻かれた35フィートの鉛》(1968)や、溶かした鉛の様子を作品とする《まき散らし》(1969)は、プロセスアートの最たるものとされています。
1970年代に入ると鉄を使った巨大な彫刻作品が多くなり、これがセラの代表作といわれるようになります。工業技術者の知識も仰いで巨大化した鉄の彫刻は、鑑賞者も含めた環境を作るのが目的でした。
またセラの作品は安全性などの観点から議論を巻き起こすことも多く、公共彫刻として製作しながら撤去されたというニュースもありました。
いずれにしてもセラは、ポスト・ミニマリズムの代表的な作家として、大きな存在として名を残しています。
ブルース・ナウマン
彫刻や絵画だけではなく、写真やビデオ、インスタレーションなど、多彩な媒体でプロセスアートを表現しているのが、ブルース・ナウマンです。
1941年にインディアナ州に生まれたナウマンは、ウィスコンシン大学やカリフォルニア大学で、美術と数学を学んでいます。
まだ学生であった1965年に制作した作品は、壁や床を利用し、ガラスやフェルトなどの素材との関係性を探るコンセプトを含んでいました。
この作風がフェルトを使ったロバート・モリスの作品と類似性があると評価され、ナウマンもまたプロセスアートの担い手として名前が知られるようになりました。
モリス同様に鑑賞者の知覚を意識したナウマンは、さらに言語やコミュニケーションをテーマとした作品も数多く生み出しました。
1970年代以降は、社会に潜む暴力や抑圧を題材とした社会派アーティストとしての活躍が目立ちます。限られた出口しかない廊下を作品にした《ライブ・テープト・ビデオ・コリドール》(1970)、ネオンを使用した《アメリカン・バイオレンス》(1981)はその代表作です。
生と死、公共性と私性の関係を考察するような奥の深さが、ナウマンの作品には込められています。
日本にはプロセスアートをメインの作風とした作家は少ない
1960年代半ばから知られるようになったプロセスアートですが、日本では特にプロセスアートを主張した作家が存在しません。
ただし、プロセスアートとの類似点があるフランスのシュポール・シュルパスやイタリアのアルテ・ポヴェラとよく似た傾向は、日本でも見られました。
それが「もの派」と呼ばれるグループです。
日本にはプロセスアートと似た「もの派」という美術傾向がある
土や木、鉄や布などの素材感を重要視する前衛美術の傾向は、「もの派」と呼ばれています。
プロセスアートと同様に、1960年代後半から1970年代にかけて盛んになったもの派は、素朴な素材を手付かずのまま展示し、独自の世界を表現することを目的としていました。1970年に東京で開催された「人間と物質」展が、もの派の評価を不動のものにしました。
身近な素材を使う点やインスタレーションが多かったという点は、プロセスアートとの共通点といえます。
もの派の代表的な作家として、関根伸夫や吉田克朗の名前が知られています。
プロセスアートの歴史や代表作家まとめ
プロセスアートは、1960年代後半から欧米を中心に生まれた美術の傾向です。
その名の通り、作品を完成することに目的があるのではなく、製造工程に重点を置いたことがプロセスアートの最大の特徴です。
ワックスやフェルトを使用し、物質の無作為の変化によって鑑賞者の知覚を刺激するという概念のもと、ロバート・モリスやリチャード・セラによって展開されてきました。
モリスが論じた「アンチ・フォーム」はプロセスアートを端的に表現したものとされていますが、ハーケやナウマンのようにメッセージ性の強い作品を生んでいった作家もいます。
同時期の日本には、物質の世界を表現する「もの派」が存在し、プロセスアートとの共通点も見られます。
作家によって作風もさまざまなプロセスアートは、現代も映像を使った若手作家が存在するなど、現代アートに大きな影響を与えています。