ロバート・ラウシェンバーグとはどんなアーティスト?代表作品『モノグラム』や買取相場を解説
ロバート・ラウシェンバーグとはどんなアーティスト?代表作品『モノグラム』や買取相場を解説
ロバート・ラウシェンバーグ(Robert Rauschenberg)は、美術の潮流が抽象表現主義からポップ・アートへと移り変わる20世紀後半のアメリカで活躍したアーティストです。ロバート・ラウシェンバーグの「コンバイン・ペインティング」や「シルクスクリーン・ペインティング」はのちのアート界に非常に大きな影響を与えました。
今回は、アートを通じて世界平和に貢献したことでも知られるロバート・ラウシェンバーグの代表作品や、略歴、作品の買取相場などを合わせて解説します。
ロバート・ラウシェンバーグの略歴
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
それではまず、ロバート・ラウシェンバーグがどのようにしてのちの美術界に大きな影響を与えたのか、彼の略歴を追ってみましょう。
1925年:アメリカテキサス州のポート・アーサーに生まれる
1925年、ロバート・ラウシェンバーグは、アメリカのテキサス州にあるポート・アーサーという街に生まれました。第二次世界大戦の終戦間際、海軍に召集されて数年間従軍します。その後、カンザスシティ美術大学やパリのアカデミー・ジュリアン美術学校で学び、画家を目指すようになりました。
20代後半でノース・カロライナ州にあるブラック・マウンテン大学に入学し、バウハウス(ドイツの美術学校)の元教師であるジョセフ・アルバースに師事します。また、大学のイベントで作曲家のジョン・ケージに出会い、その影響で初期の代表作品「ホワイト・ペインティング」「ブラック・ペインティング」を制作します。
1954年頃:代表作『モノグラム』をはじめとしたコンバイン・ペインティングを開始
1953年、初めての個展をニューヨークのBetty Parsons Galleryで開催し、その翌年に同じくネオダダのアーティストとして知られるジャスパー・ジョーンズに出会います。そして、この頃からロバート・ラウシェンバーグの代名詞ともいわれる「コンバイン・ペインティング」を手がけるようになりました。
また、ロバート・ラウシェンバーグは、写真などのイメージをキャンバスに転写する「シルクスクリーン・ペインティング」に1962年頃から挑戦しています。シルクスクリーンを使った制作方法は、のちに訪れるポップアートやそれ以降の芸術に大きな影響を与えました。
1964年:べネツィア・ビエンナーレで大賞を受賞
ニューヨークやパリのギャラリーで個展の開催を重ねたロバート・ラウシェンバーグは、1964年にべネツィア・ビエンナーレに参加し、アメリカ人で初の金獅子賞(最優秀賞)を受賞しました。これにより、ロバート・ラウシェンバーグは国内外でその名前を知らしめることに成功します。
ロバート・ラウシェンバーグは、1960年代後半に作曲家のジョン・ケージらとダンスやパフォーマンスを手がけ、制作の幅をますます広げていきます。1982年には日本に訪れて、滋賀県の信楽で美術陶板技術を用いた作品を数点制作しました。
1984年:「ラウシェンバーグ海外文化交流(ROCI)」の発足
1984年、ロバート・ラウシェンバーグは国連で「ラウシェンバーグ海外文化交流(ROCI)」の発足を発表します。ROCI(通称ロッキー)は、世界中のアーティストが協力して制作や展覧会を行い、絆を深めて世界平和に貢献することを目的として設立されました。 1986年に開催された世田谷美術館の「ROCI日本」展を含め、1985年から1990年にかけてROCI世界巡回展が世界各地で開催され、大成功を収めます。ちなみに、ROCI(ロッキー)は、ラウシェンバーグが飼っていた亀の愛称としても知られています。
また、ロバート・ラウシェンバーグは第2回ヒロシマ賞の受賞を記念して、1993年に広島市現代美術館にて個展を開催しました。さらに、ロバート・ラウシェンバーグは「チェンジ基金」や「ラウシェンバーグ財団」などの設立を通して芸術家への支援に努めます。
1997年以降:グッゲンハイム美術館やメトロポリタン美術館で大型回顧展が開催される
1997年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館において、ロバート・ラウシェンバーグは大型回顧展を開催しました。また、2006年には同じくニューヨークにあるメトロポリタン美術館において、回顧展を大々的に行います。
1998年の第10回高松宮殿下記念世界文化賞など数々の賞を受賞しながら、ロバート・ラウシェンバーグは活動を続けました。そして、2008年に住んでいたキャプティバ島(フロリダ州)にて心不全でこの世を去りました。
ロバート・ラウシェンバーグの世界観
First Time Painting (1961)
出典元:flickr
ロバート・ラウシェンバーグは、兵役を終えてニューヨークに帰ってきたジャスパー・ジョーンズと1954年に出会いました。彼らはともに南部出身であったために急速に親しくなり、お互いに刺激を与えあいながら芸術を追求し始めます。
アメリカの美術が抽象表現主義からポップ・アートに移り変わろうとする過渡期において、2人は両時代を結ぶ非常に重要な役割を果たしました。身のまわりにあるありふれたものに価値を見出すロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズの作風は1910年頃に展開された「ダダイズム」(既存の秩序や常識を否定する芸術運動)との共通点があるため、彼らの作品や思想は「ネオ・ダダ」(新しいダダイズム)と呼ばれることもあります。
ロバート・ラウシェンバーグの作品は、シルクスクリーン等の版画、立体作品、パフォーマンスなど幅広く存在します。当時、そのなかでも特に注目を集めていたのが「コンバイン・ペインティング(combine painting)」と呼ばれるシリーズです。「コンバイン」とは「結合」を意味します。コンバイン・ペインティングにおいて、ロバート・ラウシェンバーグは抽象表現主義の作風に社会性や現実感を加える試みを行いました。具体的には、抽象表現主義風の激しいタッチで塗られたキャンバスに、日用品や廃材などを貼りつけるなどして、作品を制作しています。
ロバート・ラウシェンバーグは作品のなかで社会性を表現しただけでなく、実生活においても社会的活動に積極的に参加しました。特に世界平和に貢献することを目的として設立された「ラウシェンバーグ海外文化交流(ROCI)」の活動は有名です。ロバート・ラウシェンバーグは、芸術を通したふれあいが人々を相互理解へ導くと信じ、強い意志を持って活動を推し進めました。
ロバート・ラウシェンバーグの代表作品を解説
次に、ロバート・ラウシェンバーグの作品のなかでももっとも有名な、代表作品3点を紹介します。
ホワイト・ペインティング(White Painting)
ロバート・ラウシェンバーグは、大学のイベントで出会った作曲家のジョン・ケージに触発されて「ホワイト・ペインティング」と呼ばれる作品を制作しました。画面に白いペンキを塗っただけのこれらの作品が初めて作られたのは1951年です。さらにその後、1951年から1953年にかけてはさまざまな黒を用いて「ブラック・ペインティング」と呼ばれる作品も制作しています。これらの作品は、ロバート・ラウシェンバーグの「美術作品を身のまわりのもののうちの一つとして捉える考え方」の出発点となりました。
また、ジョン・ケージが1952年に作った『4分33秒』という曲は、ロバート・ラウシェンバーグのホワイト・ペインティングがきっかけで生まれました。曲中に一切の楽音を発しない『4分33秒』という曲は、音楽における沈黙の意味を問いかけるジョン・ケージの代表的な作品です。
モノグラム(Monogram)
ロバート・ラウシェンバーグが1955年から1959年にかけて制作した『モノグラム』は、コンバイン・ペインティングの代表的な作品です。つまり抽象表現主義風の絵画と立体がコンバイン(結合)して生まれた傑作といえます。
この作品で用いられた立体は、タイヤを胴体にはめたヤギのはく製です。二つ以上の文字を組み合わせてできた記号のことをモノグラムといいますが、ツノの生えたヤギとタイヤの組み合わせがモノグラムを連想させるため、このような名前が付けられました。
ベッド(Bed)
『ベッド』はロバート・ラウシェンバーグが1955年に制作したコンバイン・ペインティングです。この作品では貼りつけられた枕、シーツ、キルトの上に、絵の具が抽象表現主義風にはねかけられています。
記録によると、これらの寝具はロバート・ラウシェンバーグ自身のものです。つまり、この作品はロバート・ラウシェンバーグの自画像にも匹敵するプライベートなものだといえるでしょう。
ストックホルム近代美術館でロバート・ラウシェンバーグの作品『モノグラム』の鑑賞が可能
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スウェーデンの首都にある「ストックホルム近代美術館(Moderna Museet)」は、現代アートの収蔵数が世界トップクラスともいわれる国立美術館です。この美術館ではロバート・ラウシェンバーグの代表作品『モノグラム』を鑑賞できます。
ストックホルム近代美術館では、他にもロバート・ラウシェンバーグの『マッド・ミューズ(Mud Muse)』という作品や、同じネオダダのアーティストであるジャスパージョーンズの作品などが観られます。
ロバート・ラウシェンバーグの作品の落札価格とその価値について
近年、ロバート・ラウシェンバーグの作品の価値は安定して高水準を保っています。オークションにおいて高額で落札された二つの作品を紹介します。
2019年:Buffalo II|約97億円
クリスティーズ・ニューヨークで2019年に開催されたセールでは、ロバート・ラウシェンバーグの『Buffalo II』という絵画作品が、予想落札価格5,000万ドル~7,000万を上回る8,880万5,000ドル(約97億円)で落札されました。
『Buffalo II』はロバート・ラウシェンバーグが1964年に制作し、同年に行われたべネツィア・ビエンナーレに出品して金獅子賞を取った有名な作品です。
2015年:Johanson's Painting|約22億円
2015年、同じくクリスティーズ・ニューヨークで行われたオークションにおいて、ロバート・ラウシェンバーグの『Johanson's Painting』という作品が18,645,000ドル(約22億円)で落札されました。
『Johanson's Painting』は、ロバート・ラウシェンバーグが旅行先のスウェーデンで制作した142.2cm×122.5cm×17.5cmの作品です。
ロバート・ラウシェンバーグの作品の買取相場
Retroactive II(1963年)
出典元:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
現在の国内マーケットに流通するロバート・ラウシェンバーグの作品は、その多くがシルクスクリーンやリトグラフといった版画作品です。これらの版画作品は30万円から50万円をメインとしながらも、ときには100万円を超えることもあるでしょう。
ただし、保存状態や付属品、タイミング等によっても買取価格は変動します。気になる方はお気軽にお尋ねください。
ロバート・ラウシェンバーグに関する豆知識(トリビア)
最後に、ロバート・ラウシェンバーグにまつわる豆知識を紹介して結びたいと思います。
ロバート・ラウシェンバーグの作品は国内でも鑑賞可能
ロバート・ラウシェンバーグはアメリカ人ですが、実は日本の美術館でも彼の作品を鑑賞できます。例えば、大阪にある国立国際美術館では、ロバート・ラウシェンバーグの『Works by Artists in the New York Collection for Stockholm』より 「無題」という版画を収蔵しています。また、リニューアルオープンしたばかりの滋賀県立美術館では、「霧のエディション」として制作されたうちの1点である『ミュール』という作品を収蔵しています。気になる方はぜひ足を運んでみてください。
ロバート・ラウシェンバーグの作品は強化買取中
出典元:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
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