ロイ・リキテンスタインとはどんな現代アート作家?ポップ・アートの中心人物の代表作品や買取相場を徹底解説

2022/04/26 ブログ

ロイ・リキテンスタインとはどんな現代アート作家?ポップ・アートの中心人物の代表作品や買取相場を徹底解説

Roy_Lichtenstein_Drowning_Girl

現代アートの買取ならTAPIR

ポストモダンアートについての詳細はこちら

ネオダダ(ポップアート)についての詳細はこちら

 

ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein)は、アンディ・ウォーホルと並んでポップ・アートの双璧をなす偉大なアーティストです。

 

絵画だけでなく彫刻なども手がけていますが、なかでも有名なのは漫画の一コマを拡大してキャンバスに描いたシリーズでしょう。

 

リキテンスタインの作品は独特の平面性を強調したデザインが特徴で、近年ますます人気を高め、高額で取引されています。

 

今回は、今も世界中の人を魅了するリキテンスタインの代表作品や、買取相場などを解説します。

 

 

 

ロイ・リキテンスタインの略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

ロイ・リキテンスタインは、1923年、アメリカのニューヨークに生まれました。不動産の仕事をする父親と主婦の母親を持つ、中流階級の出身です。

 

ニューヨークのアッパーウエストサイド(比較的高所得者向けの住宅街)で育ち、ドワイトスクールという進学校で学んだリキテンスタインは、その後オハイオ州立大学美術学部へ進みます。

 

ピアノを弾いていた母から影響を受けたのか、リキテンスタインは若いころから音楽を愛しました。リキテンスタインは、楽器を演奏しているミュージシャンの姿を描くのも好きでした。  

 

 

 

1940年:オハイオ州立大学美術学部にて美術を学ぶ

 

1940年、リキテンスタインはニューヨークを離れてオハイオ州立大学のスタジオコースへ通い始めます。

 

そこで学位を取得したリキテンスタインでしたが、1943年から1946年まで(第二次世界大戦末期から戦後すぐの時期)は、陸軍に入隊して任務にあたりました。

 

除隊後、リキテンスタインはオハイオ州立大学の大学院で、彼の作品に大きな影響を与えたといわれるホイト・L・シャーマン教授に出会います。

 

彼のもとで三次元空間で見たものを二次元に置き換えることを学んだリキテンスタインは、1949年に芸術学の修士号を取得しました。

 

オハイオ州立大学の講師としても働いたリキテンスタインは、1949年にイザベル・ウィルソンと結婚しましたが、彼女とは1965年に離婚しています。

 

 

 

1950年代:製図工や大学講師をしながら抽象表現主義の作品を制作

 

1951年、リキテンスタインはニューヨークのカールバッハ・ギャラリーにおいて、初の個展を開催します。

 

この頃のリキテンスタインは、製図工や大学講師の仕事で生計を立てつつ、当時流行していたキュビズムや抽象表現主義の作品を制作していました。

 

1954年に現在ソングライターとして活躍する長男のデビッド・ホイト・リキテンスタインが誕生、続いて1956年には次男のミッチェル・リキテンシュタインが誕生しました。

 

1958年、リキテンスタインはニューヨーク州北部にあるニューヨーク州立大学オスウィーゴ校で教え始めます。

 

この頃には抽象表現主義の作品の中に、ミッキーマウスなどの漫画のキャラクターのイメージを取り入れ始めました。

 

 

 

1961年:最初のポップ・ペインティングを開始

 

[ L ] Roy Lichtenstein - Look Mickey (1961)

出典元:flickr

 

リキテンスタインは、1960年からニュージャージー州のラトガース大学で働き始めます。

 

そこで出会った「ハプニング」(一般人を巻き込んだゲリラ的なパフォーマンスアート)の創始者であるアラン・カプローの影響で、リキテンスタインはポップ・アートに関心を寄せるようになります。

 

1961年、リキテンスタインは、息子がミッキーマウスのコミック本を指して言った「きっとパパにはあれほどうまく描けないよ」という言葉を受けて、『Look Mickey』という作品を制作します。

 

輪郭のはっきりしたキャラクター表現は、以降リキテンスタインの作品の特徴となりました。

 

1962年、ニューヨークの美術商レオ・カステリのギャラリーで、漫画のイメージを取り入れたリキテンスタインの初めての個展が開催されました。

 

リキテンスタインが出品した作品は、展覧会が始まる前にすでにコレクターによって買い占められ、注目を集めました。

 

この頃から、リキテンスタインは戦争や恋愛をテーマにした漫画からインスピレーションを得て、多くの作品を制作するようになりました。

 

『Look Mickey』や1963年に制作した『Drowning Girl』は、リキテンスタインを代表する初期の名作です。

 

 

 

1964年:『ライフ』誌にて「彼はアメリカで最悪のアーティストか」と酷評される

 

1964年、リキテンスタインはラトガース大学の仕事を辞し、アートの中心地であるニューヨークに戻って絵画制作に専念することを決めます。

 

『Look Mickey』や『Drowning Girl』で話題になったリキテンスタインですが、当時の評価はよいものばかりではありませんでした。

 

リキテンスタインの作品を「低俗」「空虚」と評する美術評論家も多く存在しました。

 

1964年、アメリカの人気雑誌『ライフ』はリキテンスタインのことを取り上げて「彼はアメリカで史上最悪のアーティストだ」という長い批評を掲載します。

 

しかし、リキテンスタインは褒められてもけなされても意に介さず、黙々と作品制作に集中するのみでした。

 

また、人気雑誌に取り上げられたことは、リキテンスタインが注目の新人としてますます存在感を高めるきっかけにもなります。

 

 

 

1960年代後半以降:彫刻制作や映画制作なども通して幅広い領域で表現活動を行う

 

リキテンスタインは、1964年頃から彫刻にも関心を持ち始め、『Head of Girl』(1964年)や『Head with Red Shadow』(1965年)を制作します。

 

1969年には、ニューヨーク市のアッパー・ウエストサイドにあるグッゲンハイム美術館において、リキテンスタインの回顧展が開催されました。

 

また、1970年には、ロサンゼルス・カウンティ美術館からの依頼で映画制作にも携わります。

 

さらに、1972年から1980年の初めにかけて、リキテンスタインは漫画をモチーフとするだけでなく、果物、花、花瓶などの伝統的なモチーフも含めてさまざまなテーマに挑戦しました。

 

私生活においては、リキテンスタインは1968年にドロシー・ヘルツカと再婚しますが、1991年から歌手のエリカ・ウェクスラーとも関係を持ち始めます。

 

40歳以上年下のエリカ・ウェクスラーは、リキテンスタインの「Nudesシリーズ」におけるミューズ(性的魅力を持ちインスピレーションをもたらす存在)となりました。

 

 

 

1995年:国民芸術勲章を受賞

 

1995年、リキテンスタインは画家、彫刻家として「国民芸術勲章」を授章しました。国民芸術勲章とは、アメリカの芸術家や芸術後援者に送られる、最も栄誉ある勲章です。

 

また、同年リキテンスタインは日本の「京都賞」の思想・芸術部門(美術分野)を受賞しました。

 

京都賞とは、京セラ株式会社名誉会長である稲盛和夫が設立した「公益財団法人稲盛財団」による、日本の国際賞です。

 

ちなみに京都賞は、京都賞の受賞後にノーベル賞を受賞する人物が増えていることから、近年注目されています。

 

リヒテンシュタインは、国民芸術勲章を授章した2年後の1997年9月29日、ニューヨーク大学医療センターで、肺炎による合併症により73歳で息を引き取りました。

 

亡くなる前まで熱心に制作に励んだリキテンスタインの作品は、現在も世界中の著名な美術館に所蔵されています。

 

 

 

ロイ・リキテンスタインの作品の世界観

 

ロイ・リキテンスタインは、アンディ・ウォーホルと同時代にニューヨークで活躍したポップ・アートの巨匠です。

 

ポップ・アートとはポピュラー・アート(大衆芸術)の略称であり、1960年代前半からニューヨークを中心に活発化したムーブメントのことをいいます。

 

それまでに展開していた抽象表現主義のムーブメントと比較して、テーマがわかりやすく、誰もが理解しやすいところがポップ・アートの魅力の一つといえるでしょう。

 

ポップ・アートでは、漫画やスターの肖像など大衆文化に属するさまざまなものを、絵画や彫刻に取り入れます。

 

ちょうどこの頃に開発されたばかりのシルクスクリーンの技術を用いた版画作品も多く制作されています。

 

リキテンスタインは、戦争漫画や恋愛漫画を取り上げた作品で有名です。

 

作品の特徴としては、はっきりとした輪郭線やベンデイドット(アメリカンコミックのカラー表現に用いられるドット)が用いられることや、多くの場合、赤・青・黄の三原色を使った油彩で制作されていることなどが挙げられます。

 

これらの三原色に白・黒を加えた色使いは、19世紀末から20世紀にかけて活躍した抽象画家、ピエト・モンドリアンにも共通します。

 

リキテンスタインの平面性を強調した構成は、同じく平面性を強調した抽象表現主義から続いていると考えられるでしょう。

 

また、リキテンスタインの後期の作品では漫画以外のテーマも取り上げ、三原色以外の色も使っており、表現の幅を広げていることが見受けられます。

 

 

 

ロイ・リキテンスタインはアンディ・ウォーホルにも影響を与えた

 

アンディ・ウォーホル

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

Andy Warhol’s Campbell’s Soup Cans

アンディ・ウォーホルが1962年に制作した『キャンベルスープ缶』

出典元:flickr

 

ロイ・リキテンスタインとアンディ・ウォーホルはポップアートの双璧として広く知られています。二人は同時代に活躍したアーティストのため、比較されることも多いでしょう。

 

貧しい家庭から成り上がって華やかな世界でスキャンダラスな人生を送ったアンディ・ウォーホルに対し、中流階級の家庭に生まれたロイ・リキテンスタインは恋愛面の奔放さは多少あったものの、比較的堅実な人生を送ったといえるのではないでしょうか。

 

互いに意識し合っていたリキテンスタインとウォーホルですが、リキテンスタインがウォーホルに影響を与えたという一つのエピソードを紹介します。

 

30代の前半のウォーホルは、人気のアメリカンコミック『バッドマン』『スーパーマン』をモチーフに作品を制作していました。

 

ところがリキテンスタインが同じくアメリカンコミックをモチーフとして、完成度の高い作品を制作しているのを目にします。

 

ドットを使った独特な表現を見てウォーホルは非常に悔しがり、それ以来アメリカンコミックを題材とした作品から手を引きました。

 

しかし、このときウォーホルが方向転換を図ったおかげで名作『キャンベルスープ缶』が生まれたのですから、運命とはおもしろいものです。

 

 

 

ロイ・リキテンスタインの代表作品を解説

 

それでは、ロイ・リキテンスタインの代表作品について、初期の作品をメインに紹介します。

 

 

 

Whaam!

 

whaam -  roy litchenstein 1963

出典元:flickr

 

『Whaam!』は、リキテンスタインが1963年に制作した作品です。

 

DSコミックス(アメリカのワーナー・ブラザーズの子会社であるコミック出版社)から出版された1962年号の「All-American Men of War」からインスピレーションを得て制作されました。

 

2機の戦闘機と爆発音をあらわす文字などが描かれた『Whaam!』は、1962年から1964年頃に制作された「戦争」をテーマにしたシリーズのなかで、最も有名なものの一つです。

 

現在イギリスの国立近代美術館、テート・モダンに所蔵されています。

 

 

 

Head of Girl

 

リキテンスタインは1964年頃から彫刻に取り組み始めました。

 

1964年に制作された『Head of Girl』は38.1×17.8×21.6cmの作品で、粘土を使って頭部が形作られています。

 

リキテンスタインは、その後少女の頭部に黒い線やベンデイドットを描き、まるで彼の絵画作品のように仕上げました。

 

『Head of Girl』は、ニューヨーク市のマンハッタンにあるホイットニー美術館に所蔵されています。

 

 

 

Look Mickey

 

[ L ] Roy Lichtenstein - Look Mickey (1961)

出典元:flickr

 

『Look Mickey』は先ほども紹介した通り、リキテンスタインの息子がミッキーマウスのコミック本を指して言った「きっとパパにはあれほどうまく描けないよ」という言葉を受けて、1961年に制作されました。

 

釣り針が自分に引っかかっていることに気づかずに「見て!ミッキー」と語りかけるドナルドダックと、笑いをこらえるミッキーマウスが描かれています。

 

リキテンスタインは、息子の持つ絵本の絵柄を元にポップアートの世界へ足を踏み入れ、彼の特徴的な作風を見出しました。そしてインパクトと表現力の両方をあわせ持つ漫画の世界に魅了されたのです。

 

 

 

Drowning girl

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

『Drowning girl』(溺れる少女)は、DCコミックスの『シークレット・ハーツ』83号における絵柄を用いて1963年に制作されました。

 

1961年に制作された『Look Mickey』と同じく、はっきりとした輪郭線とベンデイドットが特徴です。

 

『Drowning girl』は恋愛漫画をモチーフとしたシリーズのうちの一つで、溺れる少女が悲劇のヒロインとしてメロドラマ調に描かれています。

 

 

 

東京都現代美術館でロイ・リキテンスタインの作品『ヘアリボンの少女』の鑑賞が可能

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 国内外の現代美術作品を体系的に収集している東京都現代美術館(MOT)では、リキテンスタインの『ヘアリボンの少女(Girl with Hair Ribbon)』が鑑賞可能です。

 

『ヘアリボンの少女』は1965年の作品で、『Drowning girl』と同じく恋愛漫画をモチーフとして制作されました。

 

『ヘアリボンの少女』は、東京都現代美術館が開館時に約6億円という高額で購入したことで、話題になった作品でもあります。

 

東京都現代美術館は、『ヘアリボンの少女』以外にもリキテンスタインが1992年に制作した詩画集『新アメリカの没落』を所蔵しています。興味のある人はぜひ足を運んでみてください。

 

・名  称:東京都近代美術館(MOT)

・住  所:〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)

・電話番号:03-5245-4111(代表)       050-5541-8600(ハローダイヤル 9:00-20:00 年中無休)

・開館時間:10:00~18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)

・公式HP:https://www.mot-art-museum.jp/

 

 

 

ロイ・リキテンスタインの作品の落札価格とその価値について

 

ここからは、近年高額で落札されたロイ・リキテンスタインの作品について紹介します。

 

 

 

2017年:マスターピース|約180億円

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

2017年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の長年の理事長で現名誉理事長でもあるアグネス・ガンドが、自宅のダイニングルームに飾っていたリキテンスタインの『Masterpiece』を約180億円で売却しました。

 

購入したのはヘッジファンドのビリオネアでアートコレクターでもあるスティーブン・A・コーエンです。

 

アグネス・ガンドはその収益をもとに「Art for Justice Fund」を設立し、刑事司法改革のために役立てました。

 

『Masterpiece』はリキテンスタインが1962年に制作した作品です。

 

吹き出しには「この絵は傑作よ!近いうちにニューヨーク中があなたの作品を求めてくるわ!」と書かれており、リキテンスタインが自らの成功を予言したものとして注目を集めました。

 

 

 

2015年:ナース|約117億円

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

2015年、リキテンスタインが1964年に制作した『ナース』が、世界的に有名な美術品競売会社クリスティーズのオークションにおいて、約117億円という高額で落札されました。

 

『ナース』は1960年代の恋愛漫画からインスピレーションを得て制作された作品で、リキテンスタインが描く典型的なヒロインが表現されています。

 

 

 

2013年:花飾りの帽子の女性|約57億円

 

Woman with Flowered Hat

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

2013年、クリスティーズのオークションにおいて、リキテンスタインが1963年に制作した『花飾りの帽子の女性』が約57億円で落札されました。

 

『花飾りの帽子の女性』は、パブロ・ピカソが1963年に描いたドラ・マールの肖像画をオマージュした作品です。

 

 

 

ロイ・リキテンスタインの作品の買取相場

 

日本国内に流通しているロイ・リキテンスタインの作品は、版画(シルクスクリーン・リトグラフ・オフセットなど)がメインです。

 

近年、リキテンスタインの原画作品が世界の主要オークションで驚きの高値で落札されていることもあり、版画作品の買取相場も高い金額で推移しています。

 

買取査定額は作品の人気度合いや技法などによって判断し、数十万円台から数百万円台までさまざまです。なかには1,000万円以上で評価できる版画作品も存在します。お気軽にご相談ください。

 

 

 

ロイ・リキテンスタインに関するトリビア

 

最後に、ロイリキテンスタインに関するトリビアを紹介します!

 

 

 

名画を複製したりなどピカソにも影響を受けていた

 

 先ほど紹介した『花飾りの帽子の女性』がパブロ・ピカソの作品へのオマージュであったように、リキテンスタインはほかにもセザンヌ、モンドリアン、ゴッホ、マティス、ダリなどからも影響を受けたといわれています。

 

なかでも、リキテンスタインが1992年に制作した『アルルの寝室』は、ゴッホが1889年に制作した『アルルの寝室』第2版をもとにして制作されており、大変ユニークな作品として知られています。

 

リキテンスタインの作品では、椅子やシャツが現代風に描きかえられているのが特徴です。

 

 

 

UNIQLO(ユニクロ)とのコラボ経験もある

 

UNIQLOのTシャツブランド「UT」が、2021年4月19日よりロイ・リキテンスタインとのコラボレーション商品を販売しました。

 

メンズTシャツ、レディースTシャツ、エコバック(M)(L)が販売され、1枚でも様になるおしゃれなデザインがあらゆる世代から人気を集めました。

 

UNIQLOとリキテンスタインのコラボTシャツはこちら  

 

 

 

ロイ・リキテンスタインの作品は強化買取中

 

ロイ・リキテンスタインの作品をお持ちで、売却を検討している方がいらっしゃいましたら当社にご相談ください。丁寧に鑑定させていただきます。

 

また、鑑定経験が豊富な美術品買取専門店、株式会社獏では、ご希望により簡単・手軽・便利のすべてを実現したLINE査定も可能です。

 

LINE査定なら、わざわざ店舗に足を運んだり直接スタッフと話したりする必要もありません。余計な手間や時間を一切かけずに査定できるので、仕事や家事で忙しい方に人気です。

 

美術品や骨董品の売却をご検討の方は株式会社獏にご相談ください。

 

情報参考サイト

日本現代美術振興協会

モダンアート協会

MOMA

東京都現代美術館

文化庁

文部科学省
 

 

【関連作家】

キース・へリング