嶋本昭三の瓶なげ作品とは?具体美術協会の中心メンバーとして活躍したアーティストの代表作や作品の落札価格を紹介

2022/10/22 ブログ

嶋本昭三の瓶なげ作品とは?具体美術協会の中心メンバーとして活躍したアーティストの代表作や作品の落札価格を紹介

嶋本昭三

 

嶋本昭三は、大胆なパフォーマンスで広く知られる具体美術協会(GUTAI)のアーティストです。吉原治良の「誰もやったことのないことをやれ」という言葉を胸にさまざまな芸術表現にチャレンジし、瓶なげ作品のような個性的な作品を数多く生み出しました。

作品の斬新さは世界的にも評価が高く、ロサンゼルス近代美術館で開催された「戦後の世界展」では世界四大アーティストにも選ばれています。

 

今回は、日本の現代アートを世界に知らしめた偉大なるアーティスト、嶋本昭三について代表作品や作品の持つ世界観、作品の落札価格などを紹介します。

 

 

 

嶋本昭三の略歴

 

嶋本昭三は、1928(昭和3)年、大阪府大阪市に生まれました。嶋本昭三が絵を描き始めたのは遅く、関西学院大学文学部に在学していた頃でした。

新制作協会(昭和期に存在感を示した反官展の洋画団体)の大住閑子(おおすみしずこ)と出会ったことをきっかけに、嶋本昭三はアーティストとしての道を歩み始めます。

 

 

 

1947年:のちに具体美術協会の創設者となる吉原治良の門下になる

 

嶋本昭三は、大住閑子が上京してからは新制作協会の増田雅子から絵を学んでいました。そして、1947(昭和22)年、嶋本昭三は増田雅子からの紹介によりのちに具体美術協会の創設者となる抽象画家の吉原治良(よしはらじろう)の門下となります。

 

大学を卒業する頃、嶋本昭三はのりで新聞紙を貼り合わせたものに穴をあけた作品を制作します。この作品が評価された嶋本昭三は、いつしか吉原治良の門下生のなかでのリーダー的な存在となっていました。

 

また、嶋本昭三は1953(昭和28)年から大阪市立豊崎中学校にて美術教師を務めます。教師としての経験は、その後、障害者芸術の振興活動へとつながっていきます。

 

 

 

1954年:具体美術協会発足に立ち会い、中心メンバーとして活躍

 

1954(昭和29)年、嶋本昭三は具体美術協会の発足に創立会員として立ち会います。具体美術協会とは、嶋本昭三の師であり、抽象画家、実業家であった吉原治良をリーダーとして、阪神地域に住む若い美術家たちがつくった前衛アーティスト集団です。

 

嶋本昭三は、1955(昭和30)年に東京都で開催された第1回具体美術展に「この上を歩いてください」という体験型の作品を出品し、それ以降も主だった具体美術展にはすべて参加しています。翌1956(昭和31)年の野外具体美術展では、大砲状の筒に絵の具を入れてそれを爆発させて描く「大砲絵画」を制作し、それを改良した「瓶なげ作品」が第2回具体美術展に出品されました。

 

 

 

1970年:大阪万博「1000人の花嫁」のプロデュースを担当

 

大阪万博、開催期間中の会場風景

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

1970(昭和45)年、大阪の吹田市で日本万国博覧会(通称:大阪万博)が開催されました。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げる大阪万博には、世界中の77か国が参加し、6,500万人近い人々が訪れています。

 

さまざまなイベントが行われたなかで、嶋本昭三は「1000人の花嫁」というファッションショーのアート・プロデュースを担当しました。

「1000人の花嫁」はペーパードレスの花嫁衣装をPRするというイベントで、嶋本昭三は会場となったお祭り広場に巨大バルーンを出現させました。

 

 

 

1975年:AU(アーティスト・ユニオン)に参加し、翌年には事務局長に選出される

 

1975(昭和50)年、嶋本昭三はAU(アーティスト・ユニオン)に参加します。

AUとは、前衛芸術家の吉村益信の呼びかけによって集まった、1960年代に活躍したアーティストによって構成される美術団体です。

翌年、嶋本昭三はAU全国合議体事務局長に選ばれ、就任しました。

 

AUの活動の中で、嶋本昭三はメール・アート(郵便・通信制度を利用したアート)を活発に発表し、これによって世界中の人をアートで結びつけるネットワークを構築します。

アーティスト・ユニオンは1980(昭和55)年にアート・アンアイデンティファイドに改名(AUという表記は変わらない)しますが、嶋本昭三は引き続き同会の運営を担いました。

 

作家活動のかたわらで日本障害者芸術文化協会の会長も務めた嶋本昭三は、1992(平成4)、大阪海遊館にて日本初の大規模な障害者芸術展を企画しました。

 

 

 

1993年:ヴェネツィア・ビエンナーレに具体グループとして参加

 

1993(平成5)年、嶋本昭三は第45回ヴェネツィア・ビエンナーレに具体グループとして招待されました。その後、嶋本昭三は1999(平成11)年の第48回ヴェネツィア・ビエンナーレと2003(平成15)年の第50回ヴェネツィア・ビエンナーレにも参加しています。

 

また、1998(平成10)年、ロサンゼルス近代美術館(MOCA)の「戦後の世界展」において抽象表現主義の画家ポロック、音楽家のジョン・ケージ、画家で彫刻家のフォンタナとともに世界四大アーティストに選ばれたことも見逃せません。

 

さらに、2001(平成13)年、イギリスにおけるJAPAN YEARに招待され、作品がロンドンにある国立の現近代美術館テート・モダンに所蔵されます。これは白人以外による初めてのコレクションとして話題になりました。

 

その後も世界各国の展覧会で個展を開催したり、パフォーマンスを披露したり、積極的に活動を続けた嶋本昭三は、2013(平成25)年に急性心不全のため兵庫県の病院で亡くなりました。

 

*独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所 / 嶋本昭三

*Shozo Shimamoto / Profile

 

 

 

嶋本昭三の作品の世界観

 

 

二十歳前後で絵を描き始めた嶋本昭三は、師であり具体美術協会の創設者でもある吉原治良のもとで、見る間に自らの才能を開花させていきました。

「誰もやったことのないことをやれ」という吉原治良の言葉を胸に、瓶なげ作品や女拓(にょたく)などの誰も見たことないような作品を次々と生み出しています。

 

このような自由の精神は、嶋本昭三が一貫して持っていたアール・ブリュットへの関心にもあらわれているといえるでしょう。

アール・ブリュットとは「生の芸術」を指すフランス語で「西洋の伝統的な芸術教育を受けていない人が生み出す芸術」などという意味があります。

嶋本昭三は特に幼児や障害者が常識にとらわれずに自由に制作した作品に心惹かれ、障害者芸術の振興にも熱心に取り組んでいました。

 

嶋本昭三の作品の中でも代名詞といえるのが、瓶なげ作品です。嶋本昭三は「筆」を使った表現から抜け出して、大砲の筒や瓶などに絵の具を入れてそれをキャンバスにぶつけるという驚きの方法で絵画を制作しました。

そして作品ができる過程や思いがけない結果なども含め、それらすべてが芸術なのだと私たちに示したのです。

 

嶋本昭三は、人種差別、男女差別、世界平和、地球汚染、障害者問題などにも目を向けながら、芸術の持つ新たな可能性を見出そうとしました。ポジティブなエネルギーを持つ嶋本昭三の作品は、世界中の多くの著名人やアートファンを魅了し続けています。

 

 

 

嶋本昭三の代表作品を解説

 

続いて、嶋本昭三の代表作品を7つ紹介します。多彩な作品からは嶋本昭三がいかに芸術に対して真摯に向き合い、挑戦し続けたのかが伝わってきます。

 

 

 

この上を歩いてください

 

嶋本昭三が制作した『この上を歩いてください』は、1955(昭和30)年の「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」や同年の第1回具体美術展、翌年の第2回具体美術展などに出品されました。

床(や地面)に置かれた作品の上を歩いて味わう、体験型のユニークな作品です。

*Shozo Shimamoto / Works

 

 

 

穴の作品

 

1950(昭和25)年前後、嶋本昭三は新聞紙を小麦粉と水で作ったのりで張り合わせ、キャンバス代わりに使用した作品をよく制作しました。これには、戦後の厳しい経済状況でキャンバスを買うのが難しかったことも関係しています。

 

紙でできているため、描いているうちに穴があいてしまうこともしばしばだったのですが、そこが斬新であると吉原治良から評価されました。この作品をきっかけに、嶋本昭三は吉原治良から一目置かれるようになります。

 

1955(昭和30)年の「真夏の太陽にいどむ野外モダンアート実験展」にはトタンに穴をあけた作品も出品しました。1960年代には普通の紙に穴をあけた作品も制作しており、これらは海外からも高く評価されています。

 

*Shozo Shimamoto / Works

 

 

 

瓶なげ作品

 

1956(昭和31)年の野外具体美術展において、嶋本昭三は大砲状の筒に絵の具を入れてそれを爆発させて描く「大砲絵画」を制作しました。

しかし、大砲を使った作品は大きな音が伴います。そのため、大砲を使う代わりにガラス瓶の中に絵の具を入れてキャンバスや石に投げつける「瓶なげ作品」が制作されるようになります。

 

「瓶なげ作品」は1956(昭和31)年の第2回具体美術展に出品され、それ以降、約40年に渡って繰り返し制作されています。また、2003(平成15)年のヴェネツィア・ビエンナーレで行った瓶なげパフォーマンスは、当時大変注目されました。

 

*Shozo Shimamoto / Works

*Shozo Shimamoto / Performance

 

 

 

メールアート

 

嶋本昭三は、AUの活動の中で1976(昭和51)年頃からメール・アートを本格的に用いるようになりました。

メールアートとは、郵便や通信制度を利用したアートのことを幅広く指す言葉です。例えば、消しゴムはんこを封筒や便箋にたくさん押して投函したり、ユニークな形のものに直接文章を記入して郵便物として送ったりなどがあります。

 

メールアートは誰でも挑戦できる身近なアートです。この点はメールアートの大きな魅力といえるでしょう。アートの力で世界中の人を結びつけるのがメールアートであり、メールアート運動の根底には博愛主義や平和主義が存在します。

 

 

 

女拓

 

嶋本昭三は、女性の裸体に墨を塗ってそのままの姿を紙にうつす「女拓(にょたく)」という一風変わった作品も制作しました。この作品は日本だけでなくフランスやフィンランドといった海外でも制作されています。

 

2004(平成16)年には、歴史あるカ・ペーザロ美術館(イタリア)で女拓のパフォーマンスが行われました。ヌード写真とも水墨画とも異なる性質を持つ女拓は、女性が能動的に美しさを表現する芸術作品です。

 

*Shozo Shimamoto / Performance

 

 

 

ナノアート

 

ナノアートは、歯ブラシの毛の先端部分にあたる平面をキャンバスとして使った、極小サイズのアートです。制作には、立命館大学理工学部のマイクロ機械システム工学科教授、杉山進が協力しました。

 

ナノアートでは、直径約200ミクロンの円にレーザー光を使って顔などを彫刻します。この作品を鑑賞するときには、顕微鏡を通して撮影したものをプロジェクターで1000倍以上に拡大する必要があります。

ナノアートは、アートとサイエンスがコラボレーションした非常に斬新な作品です。

 

この作品は、2005(平成17)年にイタリアのトレビ・フラッシュ・アート美術館で発表されました。

 

*Shozo Shimamoto / Performance

 

 

 

スキンヘッドアート

 

スキンヘッドアートは、嶋本昭三が自身の頭髪を剃り、頭をキャンバスとしてさまざまな人にメッセージを書いてもらうという作品です。多くの人がスキンヘッドアートに参加し、嶋本昭三の頭に絵の具や墨を使って自分の主張を書きました。

 

1987(昭和62)年、嶋本昭三はスキンヘッドアートを行うためにアメリカの少年院をまわりました。また、自分のスキンヘッドの写真を各国の元首に送り、メッセージを書いて返信してもらうという試みも行っています。

 

*Shozo Shimamoto / Performance

 

 

 

嶋本昭三の瓶なげ作品は大阪中之島美術館がコレクションしている

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

19世紀後半から今日までの国内外の美術作品を集めている大阪中之島美術館では、嶋本昭三の作品を3点所蔵しています。

そのうちの『1961-1』と『1962-1』は、嶋本昭三の代名詞でもある瓶なげ作品です。2mを超えるキャンバスに絵具やガラスが飛び散っているさまは、生で見ると非常に迫力が感じられるでしょう。

 

また、大阪中之島美術館と隣の国立国際美術館を会場として、2022(令和4)年10月22日から2023(令和5)年1月9日まで開催される「すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合」という展覧会にも注目です。

この展覧会では、大阪中之島美術館が「分化」、国立国際美術館が「統合」をテーマとしており、嶋本昭三を含む具体美術協会のアーティストの多くの作品が鑑賞できます。

 

大阪中之島美術館の公式HPはこちら

「すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合」についてはこちら

 

 

 

嶋本昭三の作品の落札価格とその価値について

 

それでは、近年高額で落札された嶋本昭三の作品と、その作品の落札価格について紹介します。

 

 

 

2017年:BLACK WHIRLPOOL|約2億4,400万円

 

2017(平成29)年5月27日、クリスティーズのライブオークションで、嶋本昭三の『BLACK WHIRLPOOL』という作品が約2億4,400万円という高値で落札されました。

 

『BLACK WHIRLPOOL』は嶋本昭三が1965(昭和40)年に制作した183cm×231cmのエナメル作品で、第17回具体美術展に出品されています。

 

*CHRISTIE'S / 嶋本昭三/ BLACK WHIRLPOOL

 

 

 

2015年:Untitled(2010年)|約3,526万円

 

2015年(平成27)年11月28日、クリスティーズのイブニングセールで、嶋本昭三の『Untitled』(2010年)が約3,526万円で落札されました。

 

『Untitled』(2010年)は200.6cm×159.2cmのキャンバスに鮮やかなアクリル絵具とガラスが飛び散っている瓶なげ作品です。

 

*CHRISTIE'S / 嶋本昭三/ Untitled(2010年)

 

 

 

嶋本昭三の作品の買取相場

 

出典元:Pixabay

 

 

二次流通に出回っている嶋本昭三の作品はあまり多くありません。そのためクオリティの高い人気作品を見かけた場合には、100万円を超える買取金額を提案できる場合もあります。

保存状態やタイミングなども鑑みて、総合的に判断させていただきます。まずはお声かけください。

 

 

 

嶋本昭三に関する豆知識(トリビア)

 

最後に、嶋本昭三にまつわる豆知識を2点紹介してしめくくりたいと思います。

 

 

 

嶋本昭三は日本よりも海外で評価が高い

 

天才肌の嶋本昭三がつくった型破りな作品は、見慣れぬものに距離を取りがちな日本人の性質には馴染みにくかったのかもしれません。

しかし、1998(平成10)年に世界の四大アーティストの一人に選ばれたことなどから、嶋本昭三が海外で非常に高く評価されていたことがはっきりと伝わってきます。

 

特にヴェネツィア・ビエンナーレの開催国でもあるイタリアには、アートに対する造詣の深い国民性も相まって、嶋本昭三のファンが数多くいるようです。

嶋本昭三の作品はロンドンの現代美術館テート・モダンや、ヴェネツィアのカ・ペーサロ美術館など、世界中の主要な美術館に数多く所蔵されています。

 

 

 

嶋本昭三の息子たちは音楽家として活躍

 

嶋本昭三の長男である嶋本高之は音楽家で、ジャズトランぺッターです。嶋本高之が30歳を過ぎた頃からは、何度かコラボレーションも行っています。ちなみに、次男の嶋本晃も音楽家で、バリトン歌手です。

 

 

 

嶋本昭三の作品は強化買取中

 

具体美術協会の中心メンバーとして活躍した嶋本昭三は、海外で大変高く評価されるアーティストです。そんな嶋本昭三の作品について、売却を検討している方がいらっしゃいましたら当社にご相談ください。丁寧に鑑定させていただきます。

 

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