篠田桃紅の墨を使用した代表作品や現代女性を惹きつける名言などについて幅広く解説

2022/09/12 ブログ

篠田桃紅の墨を使用した代表作品や現代女性を惹きつける名言などについて幅広く解説

篠田桃紅_RELATIVITY

 

篠田桃紅(しのだとうこう・本名は篠田満洲子)は書道を出発点としながら、のちに「書」と「絵画」が融合を果たす独自の芸術を生み出しました。シカゴ美術館、メトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、シンガポール美術館など世界中の主要な美術館が彼女の作品を所蔵していることから、篠田桃紅は日本を代表する女流作家のひとりといえます。

 

今回は、大正生まれでありながら現代女性の心に刺さる名言を多く残した篠田桃紅の生き様や、代表作品、作品の持つ世界観などを紹介します。

 

 

 

篠田桃紅の略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

まずは、多くの名言を生んだ背景ともいえる篠田桃紅の略歴を簡単に紹介します。  

 

 

 

1913年:中国の大連に生まれ、独学で書を学ぶ

 

1913(大正2)年、中国の大連に生まれた篠田桃紅は、日本の東京で育ちました。父の指導のもと5歳のときに書道をはじめ、以降はほぼ独学で書を学びます。20代で本格的に書家としての活動を開始しました。

 

幼いころから手本をまねることに違和感を持っていた篠田桃紅は、次第に自分なりの美を追求したいと考えるようになります。  

 

 

 

1947年:抽象的な作品の制作を開始

 

篠田桃紅は戦時中の疎開先で重い結核を患いましたが、戦後になんとか回復し東京へ戻ってくることができました。その後はもっと自由に制作したいと思うようになり、1947(昭和22)年からは「書」の世界から踏み出し、抽象的な作品の制作を開始します。1950年代に入ると書道美術院に数年間所属し、墨象(ぼくしょう。前衛書道)の作家らと交流を持ちました。  

 

 

 

1956年:シカゴ、シンシナティなどの美術館で個展を開催

 

1956(昭和31)年に単身で渡米した篠田桃紅は、ニューヨークを拠点として活動するなかで多くのアーティストと交流を持ちました。そして、そのころにニューヨークを中心として高まりを見せていた抽象表現主義から影響を受けます。 抽象表現主義と墨象を融合させた篠田桃紅の独自の芸術が生まれ、それはアメリカにおいて高く評価されました。

 

篠田桃紅の展覧会がボストンのスエゾフ・ギャラリーや、シカゴのアート・インスティテュート・オブ・シカゴ東洋館、シンシナティのタフト美術館などで次々に開催されます。  

 

 

 

1958年:帰国後も数々の個展や国際美術展に出品

 

アメリカで大いに活躍したものの乾いた気候が水墨に向かないと考えた篠田桃紅は、1958(昭和33)年に日本へ帰国しました。1961(昭和36)年には第6回サンパウロ・ビエンナーレに招待出品、1977(昭和52)年にはワシントン駐米日本大使館公邸で壁画を制作しています。

 

さらに、1992(平成4)年には岐阜県美術館で回顧展「篠田桃紅 時のかたち」、1996(平成8)年にはシンガポール国立近代美術館で個展「TOKO SHINODA VISUAL POETRY」、2003(平成15)年には原美術館で個展「篠田桃紅 朱よ」を開催するなど精力的に活動を続けます。

 

篠田桃紅は、2005(平成17)年にニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100人」にも選出されました。  

 

 

 

2013年:回顧展「篠田桃紅 百の譜」を開催

 

その後も多くの展覧会を開いた篠田桃紅ですが、特に100歳を迎えた年に開催された2013(平成25)年の回顧展「篠田桃紅 百の譜」や、2019(令和元)年から開催された個展「篠田桃紅 とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」は大規模なものでした。

 

100歳を越えてもなお制作にいそしんだ篠田桃紅ですが、2021(令和3)年に東京の病院にて、107歳でこの世を去ります。

 

死後1年を経た2022(令和4)年には、東京オペラシティ アートギャラリーにおいて大規模回顧展「篠田桃紅展」が開催されました。

 

 

 

篠田桃紅の作品の世界観

 

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篠田桃紅は大正時代生まれの画家です。現代でも画家として身を立てること自体がすでに難しいことですが、当時の社会背景をふまえると、女性でありながらそれをやり遂げた篠田桃紅が、いかに意志の強い女性であったか想像に難くありません。篠田桃紅の作品には、そんな彼女の生き様があらわれているといえるでしょう。

 

幼いころから手本をまねるだけの書道に違和感を感じていた篠田桃紅は、30代のころに墨を用いた抽象的な作品の制作を開始しました。その後、墨象(前衛書道)の作家たちやアメリカ抽象表現主義の芸術に出会ったことをきっかけに、それらを融合させた独自の芸術を開花させます。

 

文字を解体し、そこからあらわれた線や形を墨の濃淡などで表現する篠田桃紅の作品は、色彩が、黒、金、赤などに限定され、非常にシンプルです。線や形が作品の中で緊張感を持って結びつくオリジナリティあふれる作品は、日本のみならず海外からも高く評価されています。

 

また、自立した意志の強い女性であった篠田桃紅は、現代女性の心を惹きつける言葉を多く残しました。篠田桃紅の著書では彼女の美意識に触れられるうえ、これらの名言もあわせて楽しめます。

 

 

 

篠田桃紅の代表作品を解説

 

次に、「書」と「絵画」を融合させた篠田桃紅の代表作品を4つ取り上げ、紹介いたします。  

 

 

 

展開

 

『展開』は国立京都国際会館2階のロビー、会議場Room Aの前にあるレリーフ壁です。次に紹介する『出遇』とともに1965(昭和40)年に制作されました。墨や銀泥などで彩色された躍動感あふれる作品です。

 

 

 

出遇

 

『出遇』は『展開』とともに1965年に制作されました。国立京都国際会館2階の会議場Room Bの入り口横にある、モノクロの壁画です。

 

 

 

永劫

 

篠田桃紅が2012(平成24)年に制作した『永劫』は次に紹介する『一瞬』と対になった作品です。これらの作品は篠田桃紅が100歳を目前にして制作した記念碑的作品といえるでしょう。60cm×240cmの和紙に描かれたこの作品は、金地の中央にほぼ垂直にひかれた細い銀泥が静かな緊張感を伝えます。  

 

 

 

一瞬

 

『一瞬』は『永劫』と同じく2012年に制作されました。背景が金地で表現される『永劫』に対して『一瞬』は背景が銀地となっています。斜めに入った金泥の線がまるで閃光のように静けさを破る、ダイナミックな大型作品です。

 

 

 

篠田桃紅の作品は岐阜現代美術館や篠田桃紅美術空間で鑑賞可能

 

篠田桃紅の代表作『永劫』と『一瞬』は「岐阜現代美術館」で鑑賞できます。岐阜現代美術館はコレクションの中心に篠田桃紅コレクションを据えており、800点を超える篠田桃紅の作品が体系的に鑑賞できる貴重な美術館です。ファンなら一度は訪れたい美術館といえるでしょう。

 

また、定期的に開かれるコンサートも、岐阜現代美術館の見どころの一つです。お近くにお住まいの方、ご興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

 

篠田桃紅の父親と祖母は岐阜県出身でした。その縁から岐阜県の関市役所7階は「篠田桃紅美術空間」という美術館になっています。あわせて訪ねてみるのもおすすめです。

 

岐阜現代美術館の公式サイトはこちら

関市役所の公式サイト内、篠田桃紅美術空間の紹介ページはこちら

 

 

 

篠田桃紅の作品の落札価格とその価値について

 

篠田桃紅の国内オークションにおける落札価格は、近年好調に推移しています。それでは、オークションで高額で落札された作品を2点紹介いたします。  

 

 

 

2019年:無題|780万円

 

2019(令和元)年の5月に開催されたマレットジャパンのアートオークションでは、篠田桃紅の銀地紙本、墨、彩色による大型作品『無題』が780万円で落札されました。落札予想価格200~300万円を大幅に上回る高額の落札で注目を集めました。  

 

 

 

2022年:ANCIENT POEM|50万円

 

2022(令和4)年の3月、ニューアート・エストウェストオークションズによって行われたスプリングセール東京において、篠田桃紅の『ANCIENT POEM』という作品が落札予想価格の約2倍である50万円で落札されました。

 

『ANCIENT POEM』は1982(昭和57)年に制作された手彩色とリトグラフによる作品です。

 

 

 

篠田桃紅の作品の買取相場

 

sprout(版画+手色彩)

 

篠田桃紅の作品における高価買取のポイントは、赤や金が使われていることです。全体のバランスに加えて赤や金などの明るい色味が使われていることで、買取価格が上がるでしょう。

 

原画は「篠田桃紅鑑定委員会」の登録証書が必要となります。ただし、登録証書がなくてもがなくても査定は可能です。

 

また、版画は多くの場合リトグラフですが手彩色が行われているものもあります。その場合は高価買取につながりやすいでしょう。版画の買取相場は数万円から数十万円ですが、サイズやコンディションにも左右されます。どうぞお気軽にご相談ください。

 

 

 

篠田桃紅に関する豆知識(トリビア)

 

最後に篠田桃紅に関する豆知識を3つ紹介します。  

 

 

 

篠田桃紅は結婚についての名言で有名

 

篠田桃紅の父親は、篠田桃紅へ必ず結婚するようにと遺言を残したそうですが、篠田桃紅は自分の意志を貫いて生涯を独身で過ごしました。そんな篠田桃紅は、結婚についての名言を残しています。

 

104歳のときに受けたインタビューでは「うぬぼれてるんですよ、日本の男の人って。自分たちは(女性を)幸福にする力があると思ってる。人が人を幸福にし得るなんて無理ですよ」と述べ、話題になりました。  

 

 

 

篠田桃紅の自宅を紹介している『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』が人気

 

篠田桃紅の美意識は、絵画作品だけでなく著書においても大いに発揮されました。特に篠田桃紅が青山の自宅や山中湖の別荘などを紹介した2017(平成29)年の『桃紅一〇五歳 好きなものと生きる』や、2015(平成27)年の『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』はベストセラーとなりました。

 

また、1978(昭和53)年に出版した『墨いろ』という作品は、翌年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。  

 

 

 

篠田桃紅は芸術家の家系

 

  篠田桃紅のいとこは、1990(平成2)年に『少年時代』で第14回日本アカデミー賞を受賞した、映画監督の篠田正浩です。また、建築家で名古屋工業大学の名誉教授でもある若山滋は、篠田桃紅の甥にあたります。

 

 

 

篠田桃紅の作品は強化買取中

 

 

日本を代表する女流画家、篠田桃紅の作品をお持ちで売却を検討している方がいらっしゃいましたら、当社にご相談ください。丁寧に鑑定させていただきます。

 

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