もの派の菅木志雄はどんなアーティスト?作品が観られる倉庫美術館や代表作品、価格について幅広く解説
もの派の菅木志雄はどんなアーティスト?作品が観られる倉庫美術館や代表作品、価格について幅広く解説
菅木志雄(すがきしお)は、60年代後半~70年代前半にかけて活動した美術運動「もの派」の主要メンバーです。また戦後の日本美術を代表するアーティストでもあります。
「もの派」では木や石、金属などの自然物・人工物を加工せず、できるだけそのままの状態で作品の中に存在させるのが特徴です。
菅木志雄はこれまでに数多くの個展・グループ展に参加しており、アメリカでも高い評価を得ています。ここでは、「もの派」を代表する菅木志雄の略歴や代表作品、作品の買取相場について解説します。
菅木志雄の略歴
菅木志雄は、関根伸夫や李禹煥(リ・ウーファン)とともに「もの派」を牽引してきた現代アーティストです。60年代後半~70年代前半に、自然物と人工物を用いた作品を多数制作してきました。
1964年から多摩美術大学で絵画を学び、大学で教鞭をとっていた斎藤義重と高松次郎から大きな影響を受けています。
2014年~2015年には東京と静岡で同時期に個展が開催され、大きな話題となりました。また戦後の日本美術を代表するアーティストとして、世界でも評価されています。
1944年:岩手県盛岡市に生まれる
菅木志雄は1944年に岩手県の盛岡市で誕生し、その後は岩泉町、北上市、花巻市で少年時代を過ごしました。幼少期から自然を観察することに時間を費やしており、木や石など加工されていない自然物を用いた作品を制作しています。
岩手県で暮らした少年時代に野原で過ごした経験が、自然物を用いた作品に反映されているのでしょう。青年期を迎えた菅木志雄は外の世界を求めて、その後上京しています。
1964年:多摩美術大学絵画科へ入学し、斎藤義重や高松次郎から影響を受ける
菅木志雄は1964年に上京し、多摩美術大学の絵画科に入学しました。その後、同大学で教鞭をとる2人の画家から大きな影響を受けます。1人は前衛美術の師と呼ばれる斎藤義重で、もう1人は日本のコンセプチュアル・アートに影響を与えた高松次郎です。
絵画を専攻していた菅木志雄は、1966年に斎藤義重教室に進みました。大学在学中から作品を発表しており、平面の世界から「もの」という空間へと表現方法が移り変わります。
大学3年になる頃には絵画をほとんど制作しておらず、立体作品やインスタレーションを手掛けるようになりました。
1968年:東京の椿近代画廊で初個展「転位空間」を開催
多摩美術大学の絵画科で斎藤義重に学んだ菅木志雄は、1968年に同大学を卒業しました。アトリエ近くで野外作品を制作する野展「積層空間」を実施し、その後は70年代に多くの野展を実施しています。
また菅木志雄にとって初めての個展開催も1968年の出来事です。東京の椿近代画廊にて、初個展「転位空間」を開催しました。
同時期に、自然物と人工物を用いた制作が特徴的な「もの派」を代表するアーティストとして、知られるようになります。また雑誌「美術手帖」の芸術評論に転位空間の作品を応募し、佳作入選も果たしました。
1973年:「アクティヴェイション」を本格的に開始する
1973年には、表現方法のひとつとして「アクティヴェイション」を本格的に開始しています。
アクティヴェイションとは、すでに設置されたものを新たに置き換えて、空間を活性化させる手法です。菅木志雄自身が展示空間やアトリエに配置されたものから新たな状況を作り出しており、ライブでしか味わえない感覚が鑑賞者を引き込みます。
1974年からはアクティヴェイションをどんどん展開しており、映像作品も多く残しています。「第8回パリ青年ビエンナーレ」では、ヴィデオ・インフォメーション・センターによって映像記録が行われました。
また1986年には、フランスのパリにあるポンピドゥー・センターで開催された「ジャポン・デ・アヴァンギャルド1910-1970」展にも出展しています。
2012年:ロサンゼルスのギャラリー「Blum & Poe」で行われた「太陽へのレクイエム:もの派の美術」へ参加
菅木志雄は2012年にロサンゼルスのギャラリー「Blum & Poe」で開催された「太陽へのレクイエム:もの派の美術」に参加しました。この出来事をきっかけに、アメリカにおける再評価の機運が高まっています。
「太陽へのレクイエム:もの派の美術」の開催は、ポスト・ミニマリズムの実践に「もの派」がどのように影響するのかを探ることが目的です。
菅木志雄を筆頭に関根伸夫や李禹煥(リ・ウーファン)、吉田克郎などの「もの派」を代表するアーティストの作品が展示されました。
また2016年にはイタリア・ミラノのピレリ・ハンガービコッカにて大規模個展「Situations」を開催し、翌年には第57回ヴェネチア・ビエンナーレ「VIVA ARTE VIVA」にも出展作家として参加しています。
日本国内の活動としては2021年~2022年にかけて、「<もの>の存在と<場>の永遠」を開催しました。
そして現在は静岡県伊東を拠点に活動を続けています。
菅木志雄の作品の世界観
菅木志雄は作品の制作において「同じことはやらない」という方針で創作活動を行っています。関心を持つ対象は毎回異なっており、常に新たな表現を模索しているのが特徴です。
「もの派」を牽引してきたアーティストであることから、制作には木や石など誰もが知る普遍的な自然素材を用いています。素材に対してすでにあるイメージを払拭して、新たな「もの」の在り方を表現しているのが菅木志雄ならではの世界観でしょう。
大学在学中はキャンバスでの表現をメインとしていましたが、表現の場は平面から立体に切り替わりました。自然物を用いた立体作品やインスタレーションを多く手掛けており「もの」がもつリアルな有り様を追求しています。
菅木志雄の代表作品を解説
ここでは、菅木志雄の代表作品を解説します。菅木志雄は60年代後半~70年代前半にかけて活動した「もの派」を代表するアーティストです。その作品には石や木などの自然物を加工せず、在るがままの姿で存在させています。
ただ空間に作品を設置するのではなく、展示空間も含めて作品とみなすインスタレーションという手法が特徴です。
状況律
状況律は1971年に発表された作品で、初期の代表作のひとつです。作品を発表した当時は山口県の宇部市野外彫刻美術館にて公開されていました。
美術館に面した湖水に状況律は展示されており、水面に設置されたプラスチック板の上に等間隔で11点の石を配置した作品です。
また2017年にイタリアで開催された第57回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展「VIVA ARTE VIVA」にも状況律を出展しました。約20メートルのプラスチック板を水面に浮かべ、11点の石を設置することで1971年当時と同様に状況律を再制作しています。
散境端因
散境端因(さんきょうはいん)は1999年に横浜美術館で開催された個展「菅木志雄展:スタンス」で発表されたインスタレーション作品です。
米松の丸太とアルミニウムを用いて構成された2つのユニットから成っています。全長約50メートルの巨大なインスタレーションであり、横浜美術館のエントランスを挟むような展示です。
また2019年には横浜美術館の開館30周年を記念して、20年ぶりに散境端因がプレ展示されました。20年前の作品を再展示したものですが「今と昔は同じように見えて全然違うと認識してほしい」と菅木志雄本人が語っています。
集置
集置は1981年に制作された作品です。インスタレーション作品をメインとする菅木志雄には珍しく、シルクスクリーンに描かれています。
50×64cmの版画作品であり、菅木志雄の作品の中では小さめと言えるでしょう。集置は3枚の版で構成された作品で、右下を見ると版が重ねてあることがわかります。
2019年の時点では、インスタレーション作品を手掛ける現代アーティストの吉岡まさみ氏が所有していました。2022年現在の所有者は不明です。
菅木志雄の作品は倉庫美術館にて鑑賞可能
菅木志雄の作品は栃木県那須塩原市の倉庫美術館にて鑑賞できます。
倉庫美術館は菅木志雄の作品を常時展示するためのスペースとして、2008年に開館しました。「倉庫のようにたくさんの作品を保管、展示したい」という菅木志雄の思いが込められています。
館内には1980年代から現在にいたるまで、約300展の作品が展示されています。倉庫美術館には菅木志雄が制作した庭のインスタレーションがあり、解説付きのツアー形式による鑑賞も可能です。
菅木志雄の作品の落札価格とその価値について
菅木志雄は自然物を使った作風が特徴的な「もの派」を代表するアーティストです。60年代後半から現在までに国内外で多数の個展を開催しています。近年はアメリカにおける再評価の機運が高まっており、作品の落札価格は高額です。
2020年:置景ー内側|80万5,000円
「置景ー内側」は2020年に開催された香港・東京合同オークションにて50万円~80万円で出品され、80万5,000円で落札された作品です。1993年に制作された作品で、オークションに出品されるまでは日本でプライベートコレクションとして所有されていました。
作品には木と塗料が使用されているのが特徴です。また作品の裏面には「suga kishio 1993 置景ー内側」とサインが施されています。
2020年:作品|43万7,000円
「作品」は菅木志雄によって1989年に制作されました。日本国内でSBI Art Auctionに出品され、43万7,000円で落札されています。出品時点での見積額は25万円~35万円であり、見込み以上の値が付いたと言えるでしょう。
作品としてのサイズは小さいながらも、自然物である木を組み合わせた菅木志雄らしい構成です。
菅木志雄に関する豆知識(トリビア)
ここでは、菅木志雄に関する豆知識(トリビア)を紹介します。
菅木志雄の妻は詩人で小説家の富岡多恵子
菅木志雄の妻は詩人で小説家の富岡多恵子です。富岡多恵子は大阪府大阪市の出身であり、大阪女子大学(現大阪府立大学)在学中に第一詩集「返礼」でH氏賞を受賞しました。
その後は「カリスマのカシの木」「物語の明くる日」「女友達」などの詩集を刊行しています。富岡多恵子の作品には人称代名詞が多く、語り口調の作風で女性詩人の中心的な存在です。
菅木志雄の作品は獏にて強化買取中
菅木志雄は60年代後半~70年代前半に「もの派」を牽引したアーティストです。国内外で多数の個展を開催しており、2012に開催された「太陽へのレクイエム:もの派の美術」への参加をきっかけに、アメリカで再評価の機運が高まっています。
菅木志雄の作品は当店にて強化買取中です。アート作品に関する知識を持つ専門スタッフが査定いたします。買取の流れや買取実績、その他ご不明点についてご説明いたしますので、お気軽にお問い合わせください。