菅井汲の代表作品を紹介|作品の価格や愛車のポルシェエピソードまであわせて解説

2022/10/18 ブログ

菅井汲の代表作品を紹介|作品の価格や愛車のポルシェエピソードまであわせて解説

菅井汲_Deviation

 

菅井汲(すがいくみ)は、主にフランスで活躍した神戸出身のアーティストです。

戦後、もっとも早いタイミングで欧米から評価された作家の一人で、車や道路にまつわる傑作を多く生み出しました。

油彩画のほかにリトグラフやシルクスクリーンといった版画作品も多く制作しており、版画を扱う国際美術展において何度も賞を受賞しています。

 

今回は、菅井汲の作品の世界観や落札価格、スピード狂であったという彼の愛車などについて幅広く紹介します。

 

 

 

菅井汲の略歴

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

まずは、波乱万丈な菅井汲の略歴について、簡単に紹介します。

 

 

 

1919年:神戸市東灘区御影町に生まれ、子供の頃から心臓弁膜症を患う

 

菅井汲(本名:貞三)は、1919(大正8)年、兵庫県神戸市東灘区の御影町に生まれました。心臓弁膜症を患っていたために小学校卒業後は自宅で療養生活を送っていましたが、知人からのすすめで1933(昭和8)年に大阪美術学校へ入学します。

 

しかし、このとき14歳だった菅井汲は年長の同級生になじむことが難しかったようです。また、病からの回復も十分ではなかったため、大阪美術学校を中退しました。

 

 

 

1937年~:阪急電鉄の事業宣伝課に所属し、デザイナーとして働く

 

1937(昭和12)年、菅井汲は阪急電鉄の事業宣伝課に就職しました。10代後半であった菅井汲は、ポスターなどの商業デザインを扱うデザイナーとして働きながら、画家の中村貞似について日本画を学びます。

 

この頃の菅井汲は、エルンストやクレーなどの海外の画家にも関心を持っていました。そのなかでジャクソン・ポロックなどのアメリカの画家に憧れて渡米を夢みるようになります。

また、菅井汲は前衛画家の吉原治良に批評してもらいながら独学の油彩画を展覧会へ出品しましたが、しばらくは落選が続きました。

 

 

 

1952年:フランスへ移住し、2年後には初の個展を開催

 

パリのエッフェル塔

出典元:Unsplash

 

 

渡米を夢みた菅井汲ですが資金面で叶わず、行き先をフランスへと変更します。そして1952(昭和27)にフランスへの移住が実現しました。

 

渡仏後の菅井汲はパリにアトリエを構えつつ、美術研究所のグランド・ショミエールで学びを深めました。

イタリア人画家のパオロ・ヴァルローズや日本から訪れていた岡本太郎、今井俊満らと交流するなか、菅井汲はファッションデザイナーの川本光子と出会い結婚します。

 

渡仏してから2年後の1954(昭和29)年、クラヴァン画廊と契約して自身初の個展を開催し、エキゾチックな作品がたちまち話題となりました。翌1955(昭和30)年にはピッツバーグで行われた第40回カーネギー国際美術展に出品し、国際美術展への参加も開始します。

 

 

 

1957年:日本で初めて展覧会に参加、その後は数々の国際美術展で出品作品が受賞

 

  菅井汲が初めて日本国内で作品を発表したのは、1957(昭和32)年でした。

それは、第1回東京国際版画ビエンナーレに出品したリトグラフと、ブリヂストン美術館(現在のアーティゾン美術館)の「新エコール・ド・パリ展」に出品したグワッシュ(不透明水彩絵具の一種で描かれた作品)です。

 

以下、国際美術展にも出品を重ねた菅井汲の受賞歴です。

1959(昭和34)年:ザグレブ市近代美術館賞(第3回リュブリアナ国際版画ビエンナーレ)
1961(昭和36)年:第2回グレンヒェン色彩版画トリエンナーレ大賞
1962(昭和37)年:第31回ヴェネツィア・ビエンナーレでデイヴィッド・E・ブライト基金賞
1965(昭和40)年:第8回サンパウロ・ビエンナーレで外国作家最優秀賞を受賞

 

順調に画家としての地位を確立していった菅井汲ですが、1967(昭和42)年に悲劇が彼をおそいました。

愛車のポルシェを運転中に事故を起こし、頸部骨折の重傷を負ったのです。怪我が完治するまでに8年を要するほどの大事故でした。しかし、菅井汲は助手の助けを借りて、事故の翌年には仕事を再開します。

 

 

 

1983年:国内初の回顧展が西武美術館と大原美術館を巡回

 

1983(昭和58)年から翌年にかけて、国内初の回顧展「菅井汲展―疾走する絵画、明快さの彼方へ」が西武美術館や大原美術館などの全国の美術館を巡回し、多くのファンが足を運びました。

また、1991(平成3)年には兵庫県の芦屋市立美術博物館で、翌年には岡山県の大原美術館で個展を開催します。

 

70歳を超えてもなお精力的に活動を続けた菅井汲ですが、1996(平成8)年の一時帰国中、心不全のため神戸市の六甲病院にて亡くなりました。

 

*独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所 / 菅井汲

*京都国立近代美術館 / 作家略歴 / 菅井汲

 

 

 

菅井汲の作品の世界観

 

Deviation (リトグラフ 1991年)

 

 

菅井汲の画業は大きく4つの時期にわけられるでしょう。

「神話とカリグラフィー」を描いた初期の時代、代表作品「朝のオートルート」を制作した1960年代の「オートルート」の時代、幾何学的な作品を発表した1970年代の「ハード・エッジ」の時代、晩年の「Sシリーズ」の時代です。

 

1952(昭和27)年に渡仏したとき、菅井汲のエキゾチックな作品はフランスにおいて高く評価されました。これには菅井汲が一時日本画を学んでいたことが影響していると考えられます。

菅井汲の作風はその後変化し、車や運転からインスピレーションを得た作品が制作されるようになります。道路や道路標識を連想させる作品をみると、誰もが菅井汲の作品だと一目でわかるでしょう。

 

スピード狂であった菅井汲は、高速走行中に湧き上がってきたインスピレーションをもとに、数々の名作を生み出しました。晩年の「Sシリーズ」は、道路のカーブを意味するとともに、菅井汲のイニシャルの「S」でもあるといいます。

 

 

 

菅井汲の代表作品を解説

 

次に、菅井汲の世界観が強くあらわれている代表作品を、それぞれの時代から取り上げて紹介します。

 

 

 

Masse Noire

 

『Masse Noire』は菅井汲が1964(昭和39)年に制作した作品で、翌年の第8回サンパウロ・ビエンナーレに出品され外国作家最優秀賞を受賞しました。初期のカリグラフィックな作風から変貌を遂げようとする過渡期に制作された、明快な形と色を持つ作品です。

 

空のような鮮やかな青を背景に、回転するような黒い丸が描かれた『Masse Noire』は、のちの「オートルート」へつながる重要な作品でもあります。

 

*静岡県立美術館 / 菅井汲 / Masse Noire

 

 

 

朝のオートルート

 

『朝のオートルート』は、多く描かれた「オートルート」シリーズのなかでも特に有名な、菅井汲の代名詞ともいえる作品です。195cm×154cmのキャンバスの中央に、くっきりとした黒で描かれた弓型のフォルムが非常に印象的です。

 

奥にある赤い形のモチーフは、車体を連想させます。菅井汲らしさがあらわれた、シンプルでありながらもスピード感と力強さのある作品です。

 

*独立行政法人国立美術館 / 東京国立近代美術館 / 菅井汲 / 朝のオートルート

 

 

 

フェスティヴァル・ド・トウキョウ

 

東京国立近代美術館の壁画『フェスティヴァル・ド・トウキョウ』は、菅井汲が1969(昭和44)年に制作した361cm×16mの大型作品です。菅井汲はこの作品の取り付けに立ち会うため、18年ぶりにフランスから日本へ帰国しました。

 

「フェスティヴァル」シリーズは、「オートルート」シリーズをより単純化させた構成が特徴です。

壁画『フェスティヴァル・ド・トウキョウ』は油彩作品ですが、菅井汲は翌1970(昭和45)年にこれを39.3cm×162.7cmのリトグラフにしており、こちらも東京国立近代美術館にコレクションされています。

 

*独立行政法人国立美術館 / 東京国立近代美術館 / 菅井汲 / フェスティヴァル・ド・トウキョウ

 

 

 

12気筒

 

『12気筒』は「ハード・エッジ」の時代を代表する184cm×6mの大型作品です。12気筒とは高級車やスポーツカーなどで使われるエンジンの種類の一つで、非常にパワーが強いことと独特のエンジン音が人気を集めています。菅井汲らしいテーマといえるでしょう。

 

この頃の菅井汲は『12気筒』のように、円を印象的に使った幾何学的な作品を多く制作しました。1972(昭和47)年に制作された『12気筒』は、京都近代美術館に所蔵されています。

 

*独立行政法人国立美術館 / 京都近代美術館 / 菅井汲 / 12気筒

 

 

 

S.14 & S.15

 

『S.14 & S.15』は晩年に制作された「S」シリーズの作品の一つで、1990(平成2)年に描かれました。

黄色、緑、赤などで色鮮やかに表現されたS字が大変印象的で、目を引く作品です。亡くなる6年前に描かれた250cm×264cmのアクリル画で、国立国際美術館に所蔵されています。

 

*独立行政法人国立美術館 / 国立国際美術館 / 菅井汲 / S.14 & S.15

 

 

 

菅井汲の作品は東京国立近代美術館にて鑑賞可能

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

菅井汲の代表作品を鑑賞したい方は、東京国立近代美術館を訪れるとよいでしょう。

東京国立近代美術館がコレクションする菅井汲の作品は油彩画、アクリル画、版画とその種類が 幅広く、先ほど紹介した『朝のオートルート』や『フェスティヴァル・ド・トウキョウ』も、こちらで鑑賞できます。

 

東京国立近代美術館は、19世紀末から現代までの約130年間の国内外の名品を所蔵しており、菅井汲と交流のあった吉原治良や今井俊満の作品も多く所蔵しています。

戦後の現代美術を牽引した、3人の日本人アーティストの作品が間近で見られるおすすめの美術館です。

 

東京国立近代美術館の公式HPはこちら

 

 

 

菅井汲の作品の落札価格と価値について

 

菅井汲の作品は国際的に評価が高く、特に海外で行われるオークションにおいては高額で取引される傾向がみられます。ここで紹介した2点のほかにも、2016(平成28)年にはサザビーズ香港において1m近い作品が約1,000万円で落札されました。

 

 

 

2015年:KAGURA (Sacred Music and Dance)|約3,604万円

 

2015年、フィリップスのオークションにおいて、菅井汲の油彩作品『KAGURA (Sacred Music and Dance)』が約3,604万円(293,000ドル)で落札され、大変話題になりました。

 

『KAGURA (Sacred Music and Dance)』は1958(昭和33)年に制作された138cm×114cmの作品です。渡仏したばかりの頃の菅井汲は、象形文字をあらわすようなエキゾチックな作品を多く制作していました。この作品もその時代に描かれたものです。

 

*PHILLIPS / 菅井汲 / KAGURA (Sacred Music and Dance)

 

 

 

2018年:Akatsuki (Dawn)|約1,573万円

 

2018(平成30)年、同じくフィリップスのオークションにおいて、菅井汲の『Akatsuki (Dawn)』が約1,573万円(106,250ドル)で落札されました。『Akatsuki (Dawn)』は、菅井汲が1960(昭和35)年に制作した149.9cm×129.9cmの油彩画です。

 

*PHILLIPS / 菅井汲 / Akatsuki (Dawn)

 

 

 

菅井汲の作品の買取相場

 

偶然(エッチング 1962年)

 

FORET(リトグラフ 1971年)

 

 

菅井汲の作品は、「オートルート」および「ハード・エッジ」時代(1960年〜1970年代頃)の作品が大変人気です。この時代のキャンバス作品であれば、100万円を超える金額での買取ができる場合もあります。

 

水彩や版画はキャンバス作品よりは落ち着いた価格帯となるでしょう。作品の保存状態や、人気のテーマであるかどうかなどを鑑みて、総合的に判断いたします。どうぞお気軽にご相談ください。

 

 

 

菅井汲に関する豆知識(トリビア)

 

最後に、菅井汲にまつわる興味深い豆知識を二つ紹介してしめくくりたいと思います。

 

 

 

菅井汲の作品が映画『悲しみよこんにちは』に使われている

 

『悲しみよこんにちは』は南仏を舞台とした青春映画です。フランスの女性作家フランソワーズ・サガンが1954(昭和29)年に書いたベストセラー長編小説を元に、1958(昭和33)年に映画化されました。

 

菅井汲はこの映画にスタッフとして参加しており、ギャラリーのシーンでは菅井汲の個展風景が描かれています。映画『悲しみよこんにちは』は、主人公セシールのかわいらしさと登場人物の洗練されたファッションで、当時大変話題になりました。

 

 

 

菅井汲の愛車はポルシェ911Sとポルシェ・カレラRS

 

1967年式 ポルシェ911S

1967年式 ポルシェ911S

出典元:flickr

 

 

菅井汲は優れた画家であるのと同時に大変なスピード狂であり、その二つの事柄は菅井汲のなかで密接に結びついていました。菅井汲は、高速走行中に湧き上がってきたビジョンを作品制作に取り入れていたのです。

 

1967(昭和42)年9月、菅井汲はバカンスからの帰国途中で大事故を起こしますが、このときに彼が乗っていたのがポルシェ911Sでした。

しかし、菅井汲は「ここで車をやめたら負け」という精神で、より速いスピードの出るポルシェ・カレラRSを事故後に購入します。

 

菅井汲にとって、車がインスピレーションの源泉として欠かせないものであったことがよくわかるエピソードです。

 

 

 

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