タシスムの特徴をわかりやすく解説|アンフォルメルとの関係や代表作家など紹介
タシスムの特徴をわかりやすく解説|アンフォルメルとの関係や代表作家など紹介
20世紀は、アメリカを中心にさまざまなアートのスタイルが拮抗した時代でした。
とくに、第2次世界大戦後における美術界は、アメリカで生まれた抽象表現主義の存在が大きかったことはよく知られています。
本記事でご紹介するタシスムは、アメリカではなくフランスで生まれた芸術です。
タシスムとはどんな特徴があるのか、代表作家などとともにご紹介いたします。
タシスムとは?特徴を解説
画像:Adobe Stock
20世紀に誕生した芸術のひとつが、タシスムです。
第2次世界大戦後のアートは、さまざまな様式が相互作用を及ぼしつつ変化し、発展していった経緯があります。
芸術のひとつであるタシスムとは、どんな特徴と意義を持つのでしょうか。
フランスを中心に拡大した「アンフォルメル」の一流派
タシスムとは、フランスを中心にヨーロッパで興った非定型芸術を指します。
美術の中心として世界中のアーティストの憧れであったパリでは、戦後も変わらず芸術家たちが新たな道を模索していました。
20世紀の芸術の特徴でもあった抽象芸術は、フランスにおいて幾何学的なものと抒情的なものに大別されていましたが、1950年代に生まれたのがアンフォルメルというアートです。
タシスムはこのアンフォルメルの一流派で、幾何学的に構成される「冷たい」抽象とは相反する要素を持つものとして、「熱い」抽象とも称されます。つまり、非定型抽象芸術の中でも、激情型のタイプをタシスムと呼んでいるのです。
タシスムの作品の制作方法は、フリーハンドであったり、絵の具をキャンバスに垂らす方法であったり、偶然性や即効性に因るところも少なくありません。
人間の内面を表現することを目的としたタシスムの作家には、ジョルジュ・マチューやヴォルスがいます。
フランスの評論家シャルル・エスティエンヌが作品を「タッシュ(染み・汚れ)」だと批判したことに由来する
ところで、「タシスム」という耳慣れない言葉はどこから生まれたのでしょうか。
これは、フランス語でシミや斑を表す「tache」という言葉に由来します。
美術批評家のシャルル・エティエンヌが、マチューらの作品を見て「まるでシミのようだ」と評したことが発端でした。
タシスムの作品にはこの名の通り、色彩の斑点を主体とするものが多く見られます。
チューブから直接絵の具をキャンバスへ塗りつけるなど激しい作風が特徴
フランス生まれのタシスムは、アメリカ生まれのアクション・ペインティングと似通う点があります。
タシスムもアクション・ペインティングも、キャンバスに絵の具を垂らしたり叩きつけたり、チューブから直接画布に塗りつけたりという様式を用います。
また、製作する「行為」に重点を置く点もタシスムとアクション・ペインティングの共通点です。
アメリカのアクション・ペインティングといえばジャクソン・ポロックが有名で、彼はアメリカ生まれの抽象表現主義の祖ともいわれています。
フランスやヨーロッパにはタシスムのスタイルで絵画を生み出す芸術家は存在しましたが、パフォーマンス重視のこの様式はやがて、アメリカがその主流とされるようになっていきました。
いずれにせよ、タシスムもアクション・ペインティングも、動的な作風を重んじることでは変わりありません。
タシスムの誕生した背景や歴史
画像:flickr photo by Marco Raaphorst
抽象的な作品が数多く生まれた20世紀、タシスムはどのような背景から生まれたのでしょうか。
アートの国フランスで生まれたタシスムの誕生前後の状況や歴史を知れば、作品の理解度も上がることと思います。
その経緯を見ていきましょう。
1940年代後半:アンフォルメルの広がりと共に誕生
第2次世界大戦中、フランスで活躍していたアーティストたちは四散し、物資不足によって作品制作もままならなかったといいます。
世界大戦後、フランスのアート界は、アンティーブ美術館で開催された「1946年、美術の再興」展から復興の兆しを見せ始めます。
この美術展にはピカソをはじめとする大家が参加したほか、戦禍に直面した若手のアーティストも多数参加しました。こうした若手たちによって生まれたのが、アンフォルメルという動きです。
1950年代のフランスの抽象芸術には、幾何学的な作風のモンドリアンと、抒情的なカンディンスキーの流れがありました。
1951年、美術評論家のミシェル・タピエによって開催された「対立する激情」展にマチューやヴォルスが登場、アンフォルメルのなかでも動的な作風を持つ流れにタシスムの名がつけられたのです。
1950年代前半:P・グエガンやC・エスティエンヌらがアンフォルメルのような技法だと指摘することで一般化
美術におけるタッシュ(tache)という言葉はすでに、19世紀後半の印象主義やフォーヴィズムにおける技法として存在していました。
タッシュという言葉が一般化するには、幾何学的抽象主義の流れに反対する美術の動向について、グエガンやエスティエンヌといった美術批評家たちの登場を待つ必要がありました。
彼らがタッシュの用法を用いた作品について、アンフォルメルの技法のようだと指摘したことから、タシスムはフランス美術のひとつのカテゴリーとして一般化したのです。
世界で著名なタシスムのアーティストと作品を紹介
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タシスムは、20世紀のフランスの美術に足跡を残したスタイルです。
タシスムを代表する作家にはどんな人がいるのでしょうか。
代表格のタシスム作家をご紹介いたします。
ジョルジュ・マチュー
タシスムを代表する画家といえば、ジョルジュ・マチューの名を最初に思い出す人は多いでしょう。
マチューは1921年に、フランスのブローニュ=シュル=メールに生まれました。
哲学と法学を学んだ後、最初に絵を製作したのは1942年のことでした。1944年から抽象絵画を描き始めたマチューは、1947年からパリに拠点を移し、詩人で画家であったカミーユ・ブライアンらとともにタシスムを確立したといわれています
キャンバスに厚く塗った絵の具を削るように製作するマチューの作風は、即興的でありながら理論と行為が調和していることが特徴です。
アンフォルメルの芸術家たちの中でも、特に目立つパフォーマンスで知られています。
ジョルジュ・マチューの代表作には、《赤いフラメンコ》(1950)、《世界中の詩人へのオマージュ》(1956)などがあります。
ジャン・デュビュッフェ
作風も自由なら、生き方も自由であったタシスムの芸術家、それがジャン・デュビュッフェです。
1901年、フランスのル・アーブルに生まれたデュビュッフェは、1918年から美術学校に学ぶものの画業は諦め、1924年からワイン醸造業に従事していました。
1933年、再び絵筆をとったデュビュッフェは1942年から画業に専念し、絵の具に砂や石炭を混ぜる重厚な画風を確立しました。
特に子供や精神を病んだ人々が生み出す作品に興味を抱き、それまでの美術の概念の外で生み出される「アール・ブリュット(生のままの芸術)」の普及に熱心でした。
デュンビュッフェの作品は、オート・パート(厚塗り)と呼ばれるスタイルから生み出される、抽象とも具象ともとれる作風が特徴です。
1950年代の彼の作品はより装飾性の強いものとなっていきました。
ジャン・デュビュッフェの代表作には、《御婦人の身体》連作(1950-51)、《土と地面》連作(1951-52)などがあります。
ジャン・フォートリエ
アンフォルメルの黎明といわれる時代を生み出したのが、ジャン・フォートリエです。
フォートリエは1898年にパリに生まれますが、家庭の事情でロンドンに移住、ローヤル・アカデミーにて学びました。
1917年にパリに戻ったフォートリエは、文学者たちと交流を深めました。なかでも作家のアンドレ・マルローとは縁が深く、彼の依頼でダンテの《神曲》の挿画を描き、これがアンフォルメルの先駆けと認められることになるのです。
フォートリエの作品は、絵の具をパレットナイフでキャンバスに塗り重ね、顔や風景を表現したところに特徴があります。念入りな厚塗りが生み出す繊細な色彩は、当時のヨーロッパの芸術に絶大な影響を与えたといわれています。
画面そのものから感じる力強さは、まさにタシスムの真骨頂という評論家もいます。
フォートリエの代表作としては、1945年に発表された《人質》シリーズが有名です。
サム・フランシス
アメリカに生まれながら、フランスや日本の絵画の影響を受けたといわれるタシスムの作家が、サム・フランシスです。
サム・フランシスは1923年にアメリカのカリフォルニアに生まれ、大学で医学と心理学を学びます。
第2次世界大戦に参戦し負傷したことから、その長い療養期間に絵を描きはじめました。
1947年から作風が抽象美術の様相を呈し始め、1950年に渡仏しパリで大いに評価されました。
欧州に滞在中、代表作となる壁画をいくつか製作しています。
アクション・ペインティングの影響を受けつつも、純白のキャンバスにドリッピングの技法を用いたフランシスの作品は、見る人の心に詩的な思いを抱かせる魅力があります。
フランシスは東洋哲学にも興味があり、1957年以降たびたび日本を訪れ、製作も行っています。
サム・フランシスの代表作には、《サーキュラー・ブルー》(1953)、《無題》(1990)などがあります。
アントニ・タピエス
タシスムの芸術家の中でも、スペインの熱い血を感じさせるのがアント二・タピエスです。
1923年にスペインのバルセロナに生まれたタピエスは、少年時代にスペインの内乱を経験し、その感情が作品を生み出す原点になったといわれています。
初期は父親の跡を継ぎ法律家の勉強をつづけながら、ゴッホやピカソの影響を受けた絵画を制作していました。
1945年、初めて描いた厚塗りの作品をきっかけに、芸術に専念することを決心します。
タピエスはシュルレアリスムの影響を受けた美術団体〈ダウ・アル・セット〉の創立メンバーであり、のちにはアンフォルメルの傾向を強めていきました。
タピエスの作風は、砂などを混ぜた壁に十字や文字、記号を刻み込むという特徴があります。
これは、幼少期に体験した苦痛や国の荒廃を表現する独創性に満ちており、第2次世界大戦後には国際的な評価を得るようになりました。岡倉天心の著作に共鳴し、東洋との関連を持つ作品も存在します。
バルセロナには、スペインを代表するアーティストとなったタピエスの名を冠した美術館が建てられました。
代表作は《覆われた椅子》(1970)、《ピカソへのオマージュ》(1982-83)などがあります。
ヴォルス
ヴォルスという名でタシスムの作品を作り続けたのが、ドイツ人のアルフレート・オットー・ヴォルフガング・シュルツェです。
1913年にベルリンに生まれたヴォルスは、1919年に建築家グロピウスが設立した美術学校バウハウスに学びますが、やがてパリに向かい、ジョアン・ミロやマックス・エルンストらと交流を持ちます。
ヴォルスはこれまでのアートになかった即興性を、線や絵の具によって生み出し、アンフォルメルの先駆者のひとりに数えられるようになりました。
彼自身も作風と同様に自由を愛する人であり、流浪の生活を送りながら写真や彫刻も手掛けています。
小説家であったサルトルとも親交があり、彼の著作のための挿絵を担当したこともありました。クリアなラインによるヴォルスの抽象画は、不思議とどこかで目にしたことがあるような郷愁を感じさせます。
38歳の若さで亡くなったヴォルスは、《構成 白い十字架》(1947)、《コンポジション》(1950)などの作品を残しています。
日本にはタシスムをメインの作風とした作家は少ない
フランスで生まれたタシスムは、日本にも普及したのでしょうか。
20世紀半ばの日本では、吉原治良が率いる具体美術協会が新たなアートの趨勢となっていました。
アンフォルメルの名付け親であったミシェル・タピエが1957年に来日して、具体美術を激賞しました。
これをきっかけに、具体美術協会も反芸術傾向からアンフォルメルの様相を呈し始めます。
しかし、いわゆるタシスムという動向は日本では生まれず、その作風を特徴とする日本人作家は頭角を現さないまま終わりました。
アンフォルメル作家は日本にも世界にも多数存在する
タシスムは、アンフォルメルの一流派でした。
タシスムの作家はそれほど多くないものの、アンフォルメルという大きな範疇の中にある作家は、世界にも日本にも存在します。
前述したマチュー、フォートリエ、デュビュッフェのほかにも、ジュゼッペ・カーポロッシ、ポール・リオペルの名が上がるほか、東洋でも北京生まれのザオ・ウォーキー、日本におけるアンフォルメルの旗手といわれた今井俊満などの名前があげられます。
ザオ・ウォーキーの作品は、中国の散水を感じる抒情性があります。また今井俊満の作品は、《花鳥風月》や《ヒロシマ》などの代表作があり、いずれも東洋らしさのあるアンフォルメルであるのが特徴といえるでしょう。
ミシェル・タピエのほかジョルジュ・マチューも1957年に来日しており、アンフォルメルが欧米にとどまらず、日本の抽象美術に与えた影響は多大なものがありました。
タシスムの歴史や代表作家まとめ
20世紀の抽象美術は、アメリカが中心となったイメージがあります。
しかし美術に歴史のあるフランスもまた、20世紀美術の核となった抽象美術の動向に大いに関わり続けました。
フランスで生まれたアンフォルメルの流れのひとつ、タシスムは感情を自由に表現する様式として、マチューやフォートリエなどの作家を生み出しました。
激動する時代や国情に影響を受けたタシスムの作家も、少なくありません。
線と色彩の中に込められた芸術家たちの感情を、ぜひ感じとってみてください。