辰野登恵子とはどんなアーティスト?最後に手がけたリトグラフや作風に影響を与えた夫についても紹介

2022/10/20 ブログ

辰野登恵子とはどんなアーティスト?最後に手がけたリトグラフや作風に影響を与えた夫についても紹介

辰野登恵子_DEC-2-93

 

辰野登恵子(たつのとえこ)は、昭和後半から平成にかけて活躍した日本を代表する抽象画家です。芸術選奨文部大臣新人賞や毎日芸術賞を受賞し、油彩画や版画の名作を多く生み出しました。

 

多摩美術大学で教授をつとめて次世代の作家に大きな影響を与えた辰野登恵子について、作品の持つ世界観や代表作品などを幅広く解説したいと思います。

 

 

 

辰野登恵子の略歴

 

Spring to SummerⅤ(リトグラフ 1995年)

 

 

まずは、略歴を通して辰野登恵子の幼少期や、作風の変遷などを紹介します。

 

 

 

1950年:長野県岡谷市に誕生、幼少期には姉と一緒にピアノ、バレエ、お絵かき教室へ通う

 

辰野登恵子は1950(昭和25)年1月13日、長野県岡谷市(おかやし)に生まれました。父親はサラリーマンでしたが、辰野登恵子が小学校低学年の頃に精密機械の会社を立ち上げて経営していました。

 

辰野登恵子には2歳上の姉がおり、幼少期には連れだってピアノやバレエを習いに行き、お絵かき教室にも通っていたそうです。辰野登恵子は長野県の諏訪二葉高等学校在学中に現代美術に目覚め、卒業後は東京藝術大学美術学部へ進みました。

 

 

 

1972~年:東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻で学び、在学中から版画制作に取り組む

 

1972(昭和47)年から東京藝術大学絵画科油画専攻で学んだ辰野登恵子は、そのまま同大学の修士課程に進み、1974(昭和49)年3月に修了しました。

 

1960年代にアメリカで流行したポップアートやミニマルアートに強い関心を持っていた辰野登恵子は、在学中、同級生であった柴田敏雄(のちに写真家として活躍)や鎌谷伸一(のちに版画家として活躍)らと一緒に「コスモス・ファクトリー」というグループを結成します。

 

ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルが「ファクトリー」で写真製版によるシルクスクリーンを制作したように、辰野登恵子は「コスモス・ファクトリー」でシルクスクリーンの制作に挑戦したのです。

 

さらに、ポスト・ミニマリスムの影響も受け、ストライプ(罫線)やグリッド(方眼)といった連続したフォルムのなかにあらわれる差異を扱った版画や素描を活発に制作します。

 

辰野登恵子は1976(昭和51)年に結婚すると夫の仕事の都合で大阪に移り住み、1988(昭和63)年までの約12年間を大阪で過ごしました。

 

 

 

1980年代~:幾何学的なモチーフを描いた油絵を制作

 

1980(昭和55)年代に入ると、辰野登恵子は油絵の制作に力を注ぐようになりました。作風もミニマリズムの影響を受けた無機的なものから変化を見せ、油絵具の質感を生かした色彩豊かで有機的な作品を制作するようになります。

 

それは、当時流行していたニュー・ペインティング(新表現主義。ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートに反発して生まれた具象的な傾向を持つ絵画)とは一線を画すものでした。

 

 

 

1990年代前半:第22回サンパウロ・ビエンナーレをはじめとする数多くの展覧会に参加

 

1990(平成2)年代初頭、辰野登恵子は数多くの展覧会に積極的に参加しました。

1992(平成4)年にはボローニャ市立美術館(イタリア)と世田谷美術館で開催された「70年代日本の前衛」展、1994(平成6)年には横浜美術館で開催された「戦後日本の前衛美術」展とブラジルで行われた第22回サンパウロ・ビエンナーレなどに作品を出品しています。

 

第22回サンパウロ・ビエンナーレには美術家・彫刻家の遠藤利克や画家の黒田アキとともに参加し、後ほど紹介する『UNTITLED 94-4』などの作品を出品しました。

 

 

 

1995年:個展「辰野登恵子 1986-1995」を、東京国立近代美術館にて史上最年少の45歳で実現

 

「辰野登恵子 1986-1995」展が開催された東京国立近代美術館

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

(平成7)年、辰野登恵子は史上最年少(当時)の45歳で東京国立近代美術館における個展を実現しました。その個展とは「辰野登恵子 1986-1995」です。

 

辰野登恵子の近作から新作約40点で構成された「辰野登恵子 1986-1995」は、当時の絵画が置かれていた状況や「描く」とは何かという根源的な問いを投げかける展覧会でした。

 

翌1996(平成8)年、この展覧会をきっかけとして辰野登恵子は芸術選奨文部大臣新人賞(現在の芸術選奨文部科学大臣新人賞)を受賞します。 また、辰野登恵子は2003(平成15)年より多摩美術大学の客員教授、翌年からは同大学の教授を務めます。

 

 

 

2013年:前年に開催された「与えられた形象-辰野登恵子/柴田敏雄」が評価され、第54回毎日芸術賞受賞

 

2012(平成24)年、国立新美術館において「与えられた形象ー辰野登恵子/柴田敏雄」展が開催されました。写真家の柴田敏雄は、学生時代に辰野登恵子とともにコスモス・ファクトリーの活動を行っていた仲間でした。

 

同時代に生きた2人のアーティストが芸術を作り上げていく課程を追う展覧会が評価の対象となり、辰野登恵子は翌年に第54回毎日芸術賞を受賞します。

 

毎日芸術賞とは、文学、演劇、音楽、美術などの芸術分野で功績が認められた者に贈られる、毎日新聞社が主宰する賞です。しかし受賞後の2014(平成26)年に、辰野登恵子は転移性肝癌によって64歳で急逝しました。

 

辰野登恵子がこの世を去ってからも、神戸市のBBプラザ美術館で開催された個展「辰野登恵子-イメージの知覚化-」のように、辰野登恵子の作品を扱ったさまざまな展覧会が各地の美術館やギャラリーで開催されています。

 

*独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所 / 辰野登恵子

 

 

 

辰野登恵子の作品の世界観

 

DEC-2-93 (リトグラフ 1993年)

 

 

辰野登恵子は、1970年代にはストライプやグリッドを使ったポスト・ミニマリスム風のシルクスクリーンやドローイングを制作していました。

1980年代初頭から装飾的なモチーフが登場するようになり、1980年代後半には華やかな色彩と重厚的なテクスチャーで描かれる大型作品を制作するにいたりました。晩年にはフランスの著名なリトグラフ工房「Idem Paris(イデム・パリ)」でリトグラフも制作しています。

 

版画も油絵も共に評価が高いですが、丸や四角などのモチーフを温かみのある色彩で描いた油絵は特に人気があります。辰野登恵子は油絵の質感を活かすため、色を重ねたりナイフで削ったりしながらボリューム感のある力強い絵画空間を作り出しました。

 

辰野登恵子の作品の背景には当時の平面表現に対する批判的な造形思考がみられ、それは日本美術史上、大変価値あるものであったといえます。辰野登恵子は64歳で惜しまれつつこの世を去りますが、多摩美術大学の教授として、そして1人のアーティストとして、次世代の作家へ大きな影響を与えました。

 

 

 

辰野登恵子の代表作品を解説

 

続いて、辰野登恵子の代表作品を3点紹介いたします。

 

 

 

UNTITLED 94-4

 

『UNTITLED 94-4』は、辰野登恵子が1994(平成6)年の第22回サンパウロ・ビエンナーレに出品した作品です。2012(平成24)年に国立新美術館で開催された「与えられた形象ー辰野登恵子/柴田敏雄」展にも展示されました。

 

『UNTITLED 94-4』は228cm×182cmの大型のアクリル画で、オレンジ色の背景に球形が連なったように見える赤いモチーフが大きく描かれています。有機的なイメージを与える赤いモチーフが目の前に迫ってくるように感じられる、迫力のある作品です。

 

*独立行政法人国立美術館 / 国立国際美術館 / UNTITLED 94-4

 

 

 

Work 84-P-1

 

  1984(昭和59)年に描かれた『Work 84-P-1』は、194cm×130cmの油彩画です。右側の明るい青の部分に装飾的なパターンが規則正しく描かれますが、左側に進むと暗い色調のなかに混沌が訪れ、秩序が失われます。

 

左右の対比が目を引くこの作品は、1984年に東京国際近代美術館で開かれた「メタファーとシンボル」展に出品され、現在も同館に所蔵されています。

 

*独立行政法人国立美術館 / 東京国立近代美術館 / Work 84-P-1

 

 

 

「Idem Paris(イデム・パリ)」で制作したリトグラフ

 

辰野登恵子は2011(平成23)年と2012(平成24)年にフランスの著名なリトグラフ工房「Idem Paris」でリトグラフ作品28点を制作しました。

 

「Idem Paris」は、パリのモンパルナスにある歴史的な版画工房です。1881(明治14)年に設立されて以来、マティスやピカソなど巨匠の作品を多く手がけました。

 

2011年と2012年に制作したこの連作リトグラフには、辰野登恵子の卓越した色彩感覚や描写力が大いに発揮されています。辰野登恵子は2014(平成26)年に亡くなっているため、この28点の連作リトグラフは辰野登恵子が最後に手がけた版画の連作です。

 

 

 

辰野登恵子の作品が鑑賞できるおすすめの美術館3選

 

今回は、辰野登恵子の作品が観られるおすすめの美術館を3館ピックアップしました。いずれも特色ある魅力的な美術館です。これらの美術館で所蔵しているコレクションは貴重なものばかりなため、お近くへお住まいの方はぜひ足を運んでみてください。

 

また、美術館の情報は2022年10月時点のものとなります。最新の情報は美術館の公式HPでご確認ください。

 

 

 

国立国際美術館(大阪)

 

出典元:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

 

 

国立国際美術館は、1945(昭和20)年以後の国内外の現代美術をメインに収集する大規模美術館です。

所蔵作品数は約8,200点(2022年3月現在)にも及び、辰野登恵子のほかコスモス・ファクトリーでともに制作を行った柴田敏雄や鎌谷伸一の作品も幅広くコレクションしています。

 

シーザー・ペリ アンド アソシエーツジャパンが設計したスタイリッシュで美しい建物も魅力の一つといえるでしょう。

 

国立国際美術館では、本記事で代表作品として紹介した『UNTITLED 94-4』やその他油彩作品、版画作品を数多く所蔵しています。

 

住所 〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-2-55
電話番号 06-6447-4680(代)
営業時間

【通 常 日】 10:00ー17:00(入館は16:30まで)

【金・土曜日】 10:00ー20:00(入館は19:30まで)

※月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始、展示替え期間は休館

料金 各展覧会により異なる
公式HP https://www.nmao.go.jp/

 

 

 

練馬区立美術館(東京)

 

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

練馬区立美術館は日本近現代美術を中心に収集する美術館として1985(昭和60)年に開館しました。練馬区立美術の森緑地や練馬区立図書館と隣接しており、自然豊かな環境でアートに触れることができる文化の発信地として、練馬区民に親しまれています。

 

練馬区立美術館では辰野登恵子が1992(平成4)年に制作した大型油彩作品『Untitled 92-7』や、同年に制作した『Untitled 92-8』が所蔵されています。

『Untitled 92-7』は四角、『Untitled 92-8』は球体を印象的に描いた作品です。いずれも、鮮やかで力強い色彩が辰野登恵子らしい作品といえるでしょう。

 

住所 〒176-0021 東京都練馬区貫井1-36-16
電話番号 03-3577-1821
営業時間

10:00ー18;00(入館は17:30まで)

※月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始、展示替え期間は休館

料金 各展覧会により異なる
公式HP https://www.neribun.or.jp/museum.html

 

 

 

愛知県美術館(愛知)

 

愛知芸術文化センター

愛知県美術館は愛知芸術文化センターの8階、10階、12階

出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

愛知県美術館では、近現代の日本画、洋画、彫刻、版画などを幅広く収集しています。クリムト、ピカソ、マティスといった20世紀の巨匠の作品も豊富です。

ミュージアムショップやレストランなどの設備も充実しているため、気軽に訪れてアートを楽しむことができるでしょう。

 

愛知県美術館には、辰野登恵子が1995(平成7)年に制作した大型油彩作品『Untitled 95-1』のほか、アクアチントの技法(金属板の表面を酸で腐食させて製版する。繊細な濃淡の表現が可能)を用いて制作された辰野登恵子の銅版画が、数多く所蔵されています。

 

住所 〒461-8525 名古屋市東区東桜1-13-2
電話番号 052-971-5511(代)
営業時間

10:00-18:00(入館は閉館の30分前まで)

※金曜日は20:00まで

※月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始、展示替え期間は休館

料金

【コレクション展】 一般500(400)円、高校・大学生300(240)円、

          中学生以下無料

※( )は20名以上の団体料金 ※学生は窓口で学生証を提示

【企画展】 各展覧会により異なる

公式HP https://www-art.aac.pref.aichi.jp/

 

 

辰野登恵子の作品の落札価格とその価値について

 

次に、2016(平成28)年にSBIオークションにおいて落札された、辰野登恵子の2点の作品を紹介します。

 

 

 

2016年:Work(1993年制作)|19万5,500円

 

2016(平成28)年4月23日、SBIアートオークションにて辰野登恵子の『Work』が、落札予想価格の2倍に近い19万5,500円で落札されました。

 

『Work』は辰野登恵子が1993(平成5)年に制作したエッチング(銅版画)です。

 

*SBI Art Auction / 辰野登恵子 / Work(1993)

 

 

 

2016年:Work(1994年制作)|12万6,500円

 

同じく2016(平成28)年4月23日、SBIアートオークションにて辰野登恵子の『Work』が、落札予想価格を上回る12万6,500円で落札されました。

 

こちらの『Work』は辰野登恵子が1994(平成6)年に制作した作品で、先ほど紹介した『Work』(1993年制作)よりも小振りのエッチング(銅版画)です。

 

*SBI Art Auction / 辰野登恵子 / Work(1994)

 

 

 

辰野登恵子の作品の買取相場|買取価格が100万円を超えることもある

 

Work(リトグラフ 1991年)

 

 

近年、辰野登恵子の作品が市場へ出まわることが増え、知名度も上がっています。特に人気が高いのは1980年代頃から描かれるようになった油彩画です。

 

油彩画は、買取金額が数十万円程度の作品もあれば100万円を超える作品もあります。金額の幅が大変広いですが、サイズが大きいほど高額買取につながりやすいでしょう。

 

版画作品は油彩作品と比較すると落ち着いた価格帯になります。保存状態、タイミング、作品の人気などを鑑みて総合的な判断をいたしますので、まずはご相談ください。  

 

 

 

辰野登恵子に関する豆知識(トリビア)

 

最後に、辰野登恵子にまつわる大変興味深い豆知識を一つ紹介いたします。

 

 

 

夫で元新聞記者の中徹(なかとおる)が辰野登恵子の作風に影響を与えたという説も

 

1976(昭和51)年、辰野登恵子は当時新聞記者を務めていた中徹と結婚しました。中徹は大阪の読売新聞本社で社会派の事件を扱っていたそうです。また、バタイユ(フランスの思想家、作家)が好きな文学青年でもありました。

 

もともとミニマリスム風の無機的な作品を制作していた辰野登恵子が、1980年頃から有機的なモチーフを扱うようになったのは、情熱的で素直な性格であった中徹からの影響を受けたためだという見方もあります。

 

 

 

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