吉原治良とはどんなアーティスト?代表作「円」や買取相場を解説

2022/08/12 ブログ

吉原治良とはどんなアーティスト?代表作「円」や買取相場を解説

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吉原治良は円をモチーフとした作品で知られる、戦前から戦後にかけて活躍したアーティストです。シンプルな構図の中で、色合いや筆使い、円のシルエット、配置といった細やかな工夫を凝らしました。幾何学的で抽象的な作品でありながらも、躍動感や生命力を感じさせるのが彼の作品の特徴です。

 

戦後には具体美術協会を結成し、自由な精神のもとで多くのアーティストを輩出して、世界的にも有名なグループとなりました。2015年にはサザビーズが、吉原治良をはじめ同グループのアーティストにフォーカスしたオークションを香港にて開催しました。

 

 

 

吉原治良の略歴

 

吉原治良は、戦前から戦後にかけて活躍した抽象画家です。円をモチーフとした作品で知られています。また、アーティストとして活動するだけでなく、経営者としての側面も持ち合わせていて、商業デザインなども手がけました。

 

 

1905年:大阪府に生まれる

 

吉原治良は、1905年に大阪府の油問屋(現在のJ-オイルミルズ)の御曹司として生まれました。9才の頃に兄を、11才の頃に母親を亡くしています。絵画に関心を持ち始めたのは中学在学時で、その頃から独学で油彩画を始めました。

 

吉原治良をアートの世界へと導いたきっかけには、幼い頃に身近な存在を喪った経験にあるのでしょう。独学で作品を描き始めた彼は、主に大原コレクションのルノアール作品や、松方コレクションのセザンヌの「廃屋」、ゴッホの「ひまわり」に強い影響を受けました。

 

 

1929年:初の個展を開催

 

中学でアートの世界に魅了された吉原治良は、中学卒業後、関西学院高等商業部に入学しました。関西学院時代には辻愛造、伊藤慶之助、赤松進らの艸園会(そうえんかい)や弦月会(げんげつかい)に入り、美術展にも出展するようになりました。1928年には関西学院高等商業部を卒業し、1929年には大阪朝日会館の大ホールで最初の個展を開催しました。

 

関西学院卒業後、吉原治良は父の経営する製油会社で勤務しながら絵画制作を続けます。その頃の彼はフランスから帰国したばかりの洋画家・上山二郎に強い影響を受けました。そして、上山をきっかけに東郷青児、藤田嗣治らとも知り合いました。

 

その後、1934年に二科展に出展し、東京の銀座紀伊國屋画廊にて個展を開催したり、1937年の二科展では出品作品が特待賞を受賞するなど、吉原治良の活躍の幅が広がりました。

 

 

1951年:東郷青児・吉原治良二科2人展を開催

 

吉原治良は、東郷青児、藤田嗣治らと知り合い、交友関係を広げていきました。彼は、1938年に設立された二科会内での前衛的なグループ「九室会」にも参加します。しかし、戦時中には前衛的な絵画を描けない情勢となり、彼は前衛絵画から遠のいて写生を続ける日々を過ごしました。

 

戦後、実家の製油会社の社長としてビジネスに励むかたわらで、デザインや商業デザイン、舞台装置などを手がけました。また、二科会再建にも携わるほか、1951年には東郷青児とタッグを組んで二科2人展を神戸元町画廊で開催したり、同年には大阪府芸術賞を、1953年には日本国際美術展に出展するなど、精力的にアーティストとしての活動も行いました。

 

 

1954年:具体美術協会を結成

 

吉原治良は1954年に具体美術協会を結成しました。また、その2年前には現代美術懇談会も結成しています。具体美術協会は、彼から作品の批評を受けていた若いアーティストたちとともに「精神が自由であることを具体的に提示」(「具体」創刊号より)するという理念のもと創設されたグループです。

 

具体美術協会のメンバーは、絵画的手法だけでなく、パフォーマンスや、音や光といった従来のアートでは考えられない素材を用いたラディカルな活動を行いました。彼らの前衛的なスタイルは1950年代後半にフランス人の批評家であるミシェル・タピエにより、アンフォルメルの代表的なグループとして評価されました。海外進出を果たし、日本国内だけでなく海外を巡回する展覧会を開催しました。

 

 

1960年:円をモチーフに作品を手がける

 

吉原治良は、1960年代より円をモチーフとした作品を制作するようになりました。戦後直後の1950年代、彼だけでなく多くのアーティストたちは日本の新たな美術スタイルを探求し始めましたが、その1つが彼が熱心に取り組んだ抽象画でした。そのなかで彼は線と余白が生み出すダイナミズムに感銘を受け、最終的に円を描くことになりました。

 

シルエットからも無限を内包するイメージを想起させる円は、吉原治良を魅了し、その後のキャリアにおいて円を描き続けるようになります。円といえば円環を象徴とした東洋思想にもとづいたものだと考えてしまいますが、彼の場合は宗教と関係なく、地と図の関係性を追求するためのモチーフだったようです。

 

 

1970年:日本万国博美術展現代の躍動の部に出品

 

その後、吉原治良は1970年に開催された日本万国博覧会での美術展で「躍動の部」に出品しました。この万博のテーマは「人類の進歩と調和」で、日本での開催はアジア初でした。敗戦からわずか25年ほどで国際的・経済的に発展した国となり、万博でも日本の戦後アーティストが注目されました。その1人として、戦後の日本抽象画の発展の一翼を担った吉原治良に脚光が集まりました。

 

1971年にはインドで開催された第2回インド・トリエンナーレ展にてゴールドメダルを受賞しました。

 

 

1972年:くも膜下出血により死去

 

晩年の吉原治良は、円をモチーフとした作品から脱却し、漢字をモチーフとした作品制作に励みました。漢字を上下反対に、左右反転させたり、一部をクローズアップさせたりと、漢字の様々な見せ方を探求するようになります。そのようななか、1972年にくも膜下出血により死去しました。その後、従五位勲四等旭日小綬章を追贈されました。

 

 

 

吉原治良の作品の特徴・世界観

 

吉原治良は、中学時代より絵画に親しみ、とりわけ原コレクションのルノアール作品や、松方コレクションのセザンヌの「廃屋」、ゴッホの「ひまわり」に強い影響を受けました。円をモチーフとした作品で知られる彼ですが、キャリア初期はデ・キリコ、そしてモンドリアンに感化されていました。

 

吉原治良は戦前より幾何学的な作品を描いていましたが、戦後には一時期具象画に作風を変え、再び抽象画に戻り、晩年には円や漢字をモチーフとした作品を手がけました。

 

 

 

吉原治良の代表作品を解説

 

ここでは、吉原治良の代表作品を解説します。

 

「朝顔等」(1928年)

関西学院卒業後に描かれたこの作品は、抽象画で知られる彼の作品でも珍しく、写実的です。深みがかった黄色や青色を用いたのは、ゴッホの影響があるのかもしれません。

 

「海辺の静物」(1931年)

海辺に描かれた巨大な錨、そして真っ白な布が印象深い作品です。日常、しかしながら非日常も感じられて、シュルレアリスムの影響を受けた作品だと考えられます。

 

「黒地に白」(1965年)

黒地の背景に白い円が描かれているだけの一見シンプルな作品ですが、晩年の彼がモチーフとした円ゆえ、アーティストとしての彼の世界観が表出しています。単純さのなかに宿る躍動感、そして「幾何学的」「抽象的」といった枠組みを壊すような生命力は、彼を唯一無二のアーティストたらしめました。

 

「黒地に赤い円」(1965年)

彼の円シリーズ作品の多くは黒地に白い円でしたが、赤い円が描かれている作品は珍しいです。静と動を感じられる作品です。

 

「白い円」(1967年)

1967年の第9回日本国際美術展にて出品され、最優秀賞を受賞した作品です。完璧な円でなく、中心部分の円にくぼみがあり、シンプルといえど彼のチャーミングな人間味がうかがえます。

 

「作品/黒地に白四角」(1971年)

この作品では円でなく四角形が描かれています。晩年の彼は円だけでなく漢字をモチーフに描いていましたが、実は四角でなく漢字の「口」をイメージして描いたのかもしれません。そのような思いを巡らせながら鑑賞してみると面白そうです。

 

「作品/黒地に白い点の円」(1971年)

円の線を点として描いた作品となっています。ひとつひとつの点が貝のような可愛らしいシルエットをしています。円を描き始めた頃の作風と異なり、円の見せ方を探求する姿勢がうかがえます。

 

 

 

大阪中之島美術館で「円」などの吉原治良の作品が鑑賞できる

 

吉原治良の作品は大阪中之島美術館にて鑑賞できます。大阪中之島美術館には、19世紀から21世紀の近代・現代美術作品が収蔵されています。収蔵されている主な吉原治良作品は、「圓」(1971年)、「縄をまとう男」(1931-1933年)、「作品(白地に黒い円)」(1967年)、「作品A」(1971年)、「作品B」(1971年)、「作品C」(1971年)などで、彼のキャリアの初期から晩年までの作品を鑑賞できます。

 

 

 

吉原治良の作品の落札価格とその価値について

 

吉原治良は、具体美術協会のなかでも1,2を争うほど人気のあるアーティストです。具体美術協会は世界的にも評価されているため、世界にも通用するアーティストといえるでしょう。高い作品では1,000万円を超えています。

 

 

無題 Lot 309|推定落札価格:50,000~100,000円

 

「無題 Lot 309」は、50,000〜100,000万円の価格がつけられています。吉原治良は円をモチーフとした作品で有名なため、マーケットでは主に円を描いた直筆作品が出回っています。それらの作品の値段は高い傾向にあります。

 

また、2015年にはサザビーズが吉原治良にフォーカスしたオークションを香港で開催しました。具体美術協会に所属していたアーティストのうち、吉原治良の作品の多くは美術館に寄贈されているため、これまであまりマーケットに登場することはなく、このオークションは多くのアートファンの注目を集めました。

 

 

無題 Lot 117|価格:1,573,000円

 

吉原治良の描く円をモチーフとした作品では、幾何学的なシルエットをした円が特徴的です。しかし、「無題 Lot 117」にて描かれている円は形に歪みがあり、書画のような印象を受けます。

 

この「無題 Lot 117」の価格は157万円となっています。円モチーフの作品のなかでも偶然性を一層感じられます。作品を細やかに見ていくと、吉原治良の大胆かつ繊細な筆使いがよくわかり、シンプルな構図といえど色やシルエットの深みを味わえるはずです。

 

 

 

吉原治良の作品の買取相場

 

吉原治良は、具体美術協会の創設者であり、かつ世界的に有名なアーティストでもありますが、作品の多くが美術館に寄贈されているために、マーケットに出回っている作品数は少ないです。それゆえに希少価値が高く、買取相場も比較的高めとなっています。

 

 

無題(版画)|価格:数万円~数十万円台

 

「無題」シリーズは、円だけでなく色やシルエットに工夫を凝らした吉原治良の実験的な作品群です。彼の作品は円をモチーフとした作品で知られているため、また、版画作品は直筆作品に比べてマーケットに出回っている数が多いため、それらの作品の買取価格は数万円〜数十万円と手頃です。「無題」シリーズでは様々な試みで描かれた円のニュアンスを味わえるでしょう。

 

 

無題(版画/スタンプサイン)|価格:数万円~数十万円台

 

「無題」シリーズの多くは、円をモチーフとした作品です。色合いや円の配置、シルエット、筆使いなど版画ゆえの細やかなニュアンスを確かめられます。これらの作品はマーケットに出回っている数が多く、比較的安く取引されています。しかし、サインなしの作品と異なり、サイン付きの作品の方が高めな買取価格となっています。

 

 

 

吉原治良に関する豆知識(トリビア)

 

吉原治良は、アーティスト活動だけでなく、経営者としての側面もありました。大阪府の油問屋(現在のJ-オイルミルズ)として生まれた彼は、父の家業を継いで吉原製油の社長を務めました。社長としての彼もまた、実業においてアーティストとしての側面を発揮し、商業デザインを手がけるなどデザインにこだわりを持ちました。

 

例えば、吉原製油の「ゴールデンサラダ油」の黄色いレトロなパッケージデザインは、吉原治良が早川良雄に依頼したものです。

 

 

 

吉原治良の代表作品まとめ

 

吉原治良は、50年近くにもわたるアーティストとしてのキャリアのなかで、抽象画をメインに作品を制作し続けました。特に円をモチーフとした作品では、極めてシンプルな構図といえど、色やシルエット、描き方に工夫を凝らしている姿勢がうかがえます。また、晩年には漢字をモチーフとした作品を制作することもありました。

 

しかし、美術館に寄贈されている作品が多く、アートマーケットに出回る作品数は少ないです。希少価値が高いために吉原治良の作品は比較的高値で取引されています。

 

 

 

吉原治良の作品は強化買取中

 

吉原治良は戦後の日本美術発展に寄与した重要人物であり、アーティストとしての側面だけでなく一大企業の経営者としても功績を残しています。アーティスティックな感性と経営センスの両方に卓越した数少ないアーティストの1人です。

 

当店では現在吉原治良作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、絵画だけでなく、骨董や茶道具など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。