ザオ・ウーキーの作品とは?抽象主義と中国水墨画の融合美術の魅力を解説
ザオ・ウーキーの作品とは?抽象主義と中国水墨画の融合美術の魅力を解説
ザオ・ウーキーは中国出身の、パリを拠点に活動したアーティストです。キャリアの初期は中国にて伝統画法を学んだものの、中国のアートシーンに違和感を覚えたためにパリに移住しました。パリではパウル・クレーなどの抽象画家と交流を深め、初の個展ではパブロ・ピカソなどの巨匠から高い評価を得ました。
東洋と西洋の美意識を融合させた作風で知られ、没後2018年にサザビーズが開催したオークションでは、アジア人アーティストとして最高評価額で作品が落札されました。
ザオ・ウーキーの略歴
ザオ・ウーキーは1921年に中国で生まれ、パリを拠点に活動したアーティストです。彼の作品は東洋と西洋の美意識が融合している点が特徴的です。その独特の世界観は高い評価を得ていて、没後に開催されたオークションではアジア人アーティストとして最高価格で油彩画が落札されました。
1935~41年:杭州美術学院へ入学、中国絵画や西洋絵画を学ぶ
ザオ・ウーキーは、1921年に北京で生まれました。その後1935年から1941年にかけて、杭州美術学院で林風眠や方韓民などの画家から教授を受けながら、書法と山水画を学びました。裕福な家庭で育ったゆえ、幼い頃から芸術作品に触れることが多かったことでしょう。若くして豊かな教養を身につけた彼ゆえ、早くから杭州美術学院の助教授に就任しました。
当時の中国は清王朝から中華民国に国家体制が変わった頃でした。満州事変や盧溝橋事件、第二次世界大戦の真っ只中で不安定な時代だったため、中国のアートシーンも揺らいでいました。そのような状況を目の当たりにしたザオ・ウーキーは、形骸化した中国のアートシーンに対して疑問を持ち始めました。
1948年~:パリへ移住、翌年パリ・クルーズ画廊で初の個展を開催
ザオ・ウーキーは、母国でアーティストとしての活動をするなか、形骸化した中国のアートシーンに対して不満を覚えました。その後、1948年に妻とともにパリに移住します。中国共産党政権が誕生する直前での移住でしたが、もし彼がそのまま中国に居続けていたとしたら、恐らくアート界に対する不満がさらに募っていたことでしょう。
ザオ・ウーキーは、パリにてグランド・ショミエールのアトリエにて学びました。翌年の1949年にはパリ・クルーズ画廊にて初の個展を開催しました。ジョアン・ミロやパブロ・ピカソといった巨匠たちから「中国のボナール(※ボナール:ピエール・ボナールと呼ばれるフランスのナビ派の画家)」と賞賛を受けるほど、個展は大成功をおさめました。
1950年~:パウル・クレーや抽象表現主義の影響を受ける
1950年代以降のザオ・ウーキーは、その時代のパリのアート界を席巻したアンフォルメル(色彩を重んじた激しい筆致が特徴のムーブメント)に影響を受けた作品を制作しました。なかでもパウル・クレーとの出会いをきっかけに、彼の作風は次第に抽象画を極めていきます。
パウル・クレーといえば「天使」シリーズに見られるように、直線のみを使って対象を表現する画家です。また、ザオ・ウーキーがキャリア初期に学んだ書法と水彩画は、書筆と墨汁を使った技法で、対象物をシンプルに表現するといった点において2人の中で通ずるものがあったのかもしれません。
そして1950年後半よりザオ・ウーキーは純粋抽象画を描き始めました。中国伝統の水墨画と西洋の抽象画の美意識を折衷した独特の世界観で作品を制作するようになりました。
1980年~:中国で個展を開催、世界的な評価を受ける
中国伝統の水墨画に見られるような墨の濃淡を使った奥行きの表現手法と、西洋の絵画の伝統である透視図法的な表現手法とが入り混じったザオ・ウーキーの作品は、東洋的とも西洋的ともカテゴライズしづらいものの、しかし、観る者にとって懐かしさを感じさせる叙情性があります。そのような魅力が、世界中の多くのアートファンを惹きつけました。
ザオ・ウーキーの活躍はパリにとどまらず、アメリカやスイス、ロンドンといった欧米諸国、そして1983年には母国の中国・北京でも個展が開催されました。また、1993年と2006年にはフランスの最高勲章であるレジオン・ドヌール勲章を、1994年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。
2018年:アジア人アーティストの油絵で過去最高額を記録
その独自の世界観から世界的に評価されたザオ・ウーキーは、2013年に逝去しました。しかし、彼の作品は2018年にサザビーズが香港にて開催したオークションで6500万ドル(約74億円)で落札され、アジア人アーティストの油彩画として過去最高額を記録しました。
ザオ・ウーキーの作品を長きにわたり取り扱ってきた香港拠点のディーラーは、このオークションでの評価を受けて、彼が活躍した1960年代のアメリカの著名アーティストたちと同価格帯で評価されるようになったと述べています。これまでの絵画の伝統では、欧米人アーティストの評価が高くなりやすい傾向でしたが、このオークションはザオ・ウーキーにとどまらずアジア人アーティストへの注目が集まるきっかけとなったはずです。
ザオ・ウーキーの作風は東洋の宇宙観と西洋の抽象主義の融合
ザオ・ウーキーの作品の特徴は、西洋と東洋の美意識が折衷されている点にあるといえます。彼のアーティストとしてのキャリア初期では、中国伝統の書画や水墨画を中心に学びましたが、西洋で抽象画家として活動し始めてもなお初期の作風が残っています。
東洋の文化の拠点である中国の伝統的な絵画における墨の濃淡と余白を用いた美意識、そしてシンプルでありながらも豊かさを感じさせる宇宙観は、多くの西洋人を魅了しました。西洋画では数学的な考えを用いた透視図法で空間を描いていたため、感覚で奥行きをもたせた東洋の表現技法は新鮮に映ったことでしょう。
加えてザオ・ウーキーは、パリ移住後にパウル・クレーらとの交流によって西洋的な抽象主義を作品に取り入れました。それゆえ、彼の作品には精神・技法ともに東洋と西洋の美意識が融合した独特の世界観が見受けられます。
ザオ・ウーキーの作品はアーティゾン美術館にて鑑賞可能
ザオ・ウーキーの作品は東京・京橋にあるアーティゾン美術館にて鑑賞できます。彼は1958年に初来日し、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)を訪れました。美術館の創設者の息子であり、美術コレクターでもあった石橋幹一郎は彼と親交を深めて、数多くの作品を集めました。現在、アーティゾン美術館には十数点のザオ・ウーキー作品が収蔵されています。
また、2022年の春にはアーティゾン美術館にて「Transformation 越境から生まれるアート」展が開催され、越境をテーマに展示された作品としてザオ・ウーキー作品が紹介されました。
ザオ・ウーキーの代表作と解説
ここでは、ザオ・ウーキーの代表作である「07.06.85」(1985年)と「コンポジション」を紹介します。これらの彼の作品からは、これまでに解説した通りに東洋的、そして西洋的な美意識の融合を確かめられます。
東洋の伝統である書画や水墨画に見られる空間を重視した構成を重視したように考えられる「07.06.85」と、西洋の透視図法や抽象主義を意識したように感じられる「コンポジション」からは、ザオ・ウーキーの自由闊達な姿勢がうかがえます。
07.06.85
「07.06.85」(1985年)は、鮮やかな青と白のコントラストが、無限の対比を感じさせます。この作品の上部の青の部分では筆を使わずに絵の具を注ぎ込む技法が使われていて、東洋の水墨画の要素が活かされています。中央部分では白い絵の具を使った巧みな筆さばきが確認でき、ザオ・ウーキーの画力の高さがうかがえます。
この作品は青と白のわずか2色での表現にもかかわらず、1つの色の中に様々な感情のほとばしりを感じられます。例えば青色部分では、ひとえに「青」と表現するには難しく、「蒼」や「碧」といったニュアンスでも青色を感じることができます。作品を鑑賞する側に対して色の持つイメージを自由に与えてくれるのもこの作品の特徴といえるでしょう。
コンポジション
「コンポジション」からは、躍動感のある筆致、そして水墨画のように少ない色を濃淡で表現する色使いから、深みや豊かさを感じることができます。アクアチントを用いて描かれた作品では面の表現がメインですが、奥行きや触感といった細やかな感覚を味わえるところに、ザオ・ウーキーの工夫がうかがえます。また、ジョルジュ・ブラック作品のような暗い色使いの抽象画を思い出させます。
ザオ・ウーキーの作品の落札価格とその価値について
ザオ・ウーキー作品は、2018年にサザビーズが香港で開催したオークションにてアジア人アーティストとして最高評価額の約73億円で落札されたことが記憶に新しいです。東洋と西洋の美意識を折衷させた独特の作風は、没後もなお評価されています。
2018年:1985年6月-10月|約74億円
2018年にサザビーズが香港にて開催したオークションにて、ザオ・ウーキーの版画作品「1985年6月-10月」(1985年)がアジア人アーティストとして最高評価額の約73億円で落札されました。
同時期にサザビーズが開催したオークションでの奈良美智の「Knife Behind Back」の落札額をはるかに超える価格であり、そのことからもザオ・ウーキーは非常に注目されているアーティストだといえます。
2017年:24.12.2002 – Diptyque|約5.6億円
2017年にクリスティーズが上海にて開催したオークションでは、ザオ・ウーキーの「24.12.2002 – Diptyque」が約5億6000万円(3360万元)で落札されました。
同オークションにて落札された西洋のアーティストの最高額作品はサルバドール・ダリの彫刻(1320万元)でしたが、ザオ・ウーキーはそれを凌ぐ価格で評価されました。
ザオ・ウーキーの作品の買取価格と相場
ザオ・ウーキーの作品は、2018年のオークションにてアジア人アーティストとして過去最高額の約73億円で落札されました。香港のディーラーによると、彼と同時代に活躍したアメリカの著名アーティストと同価格帯で評価されるようになったとのことで、これからもマーケットでの価値がさらに高くなるはずです。
国内で流通している作品の多くは版画作品のため、今後の動向を考えると1点数十万円辺りが目安かと考えられます。また、亡くなったばかりのアーティストのため、相場が変動する可能性もあります。
ザオ・ウーキーの作品は強化買取中
ザオ・ウーキーは、東洋と西洋の美意識を融合させた作品で知られ、2018年のオークションではアジア人アーティストとして過去最高額で評価されました。
当店では現在ザオ・ウーキー作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、絵画だけでなく、骨董や茶道具など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。